見出し画像

AIと芸術の根は同じという話

 AIってなんの略かご存知でしょうか。
インテリジェンスはすぐ出てくると思いますがAは意外とパッと出てこない人もいるのではないかと思います。
自分もそのレベルの人間なので、今日ふと考えた時にパッと出てきたのはオートマチックでした。車かなにかかな?

 ノーモアAIというような言葉を使う人がいる昨今、タイトルみたいな事を書くと生成AI殲滅派には何を言われるか分かりませんが、今回はAIと芸術が字面では同じ淵源を持っているという話です。

ではAIとは何か

 冒頭の答えですがAIはartificial intelligenceの略称で、人工知能と和訳されています。残念ながらオートマチックではなかったです、それだと自動知能ですからね、普通に気づくべきでした。
artificialにはどこか見たような単語が含まれていますね。そう、芸術を示す単語であるartが含まれています。

 artは〇〇アートやアーティストなど芸術を表すカタカナ語として日本で定着していますが、本来の意味は「人工的」というものです。かつては美術品に限らず人の手が作りあげるもの、あるいはその技術は全てartに含まれていたようです。

 翻って現在のartが美術の意味を持つということは、元来の人工という言葉に「美の技」という意味も与えたという事で、人が作るものこそ美であるとは随分と傲慢ではないか?と一瞬思ったのですが、よくよく見ると「(自然に対する模倣としての)人工」との意図があったようです。

模倣としての美

 これは想像ですが(神の与えた)完全なる美である自然に対して(人間の模倣による)偽りの人工的な美という謙遜、それを技とする芸術、美術であるということなのでしょう。そうだとすれば言葉の成り立ちからして美しさがありますね。

 その流れから考えるとartificial intelligenceは自然の与えた知性を真とした偽としての人工の知性。自然の美しさを真似た人の技と同じく、自然の知性を真似た人の手による知性ということになります。
非常に味わい深い名詞で名付け親のセンスを感じます、人工知能という和訳が無機質、機械的に見えてしまう。もう少し情緒がほしい。

他者との出会い

 日本語でも学ぶは真似ぶなどといったりしますが、やはり人間は模倣による学習から始まるということなのでしょう。

 自然の真似をして木や岩を削ったり土を掘ったりしていた人間が自然界に存在しない文字という概念を生み出し、文章という美を生み出したように、人間の真似をしたAIがいつか人間にないものを生み出し、技として研鑽する日も来るでしょう。

 その時人間はAIのAを外して「知性」として対等に遇するのか、AIの造物主として振る舞うのか、いずれにしても人類以外との知性との向き合い方を考えていく事は種としての成熟を促すかも…というのは希望に寄りすぎかもしれませんが。

 SF的に言えば年上の宇宙人が来て幼年期を終わらせられるよりはAIという雛鳥を育てる方が人類にとってはいいのかなぁ、なんて思ったりします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?