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デマやインターネットの情報との付き合い方

この記事を読むのにおすすめな方

・SNSの情報が多くて、何を信じたら良いのかわからない人
・噂やSNSのデマに流されている人が周りにいる方

要約

・自分が実際に見て聞いて、感じたことを一番大切にしよう
・悪い情報というのは記憶に残りやすい
・他人と自分とでは感じ方が、違うことがあると認識しよう

初めに

近年ではコロナに関すること、最近では統一教会や宗教について多くの情報がインターネットやテレビで流れている。
その中で、デマとわかるものが広まっていたり、デマを信じてしまっている人が周りにいたり、はたまた、自身がSNSの情報に引っ張られて鵜呑みにしてしまうこともあるだろう。

そんな中で、噂だったり人の話が大好きな私が、いろいろな情報に引っ張らないように意識していることが何点かある。
特に創価学会4世の立場として、「創価学会はこんなところだ」「こんな団体だ」と書かれている投稿に対して、違うなと思うことも多いため、書いてみようと思った。

自分が実際に見て聞いて、感じたことを一番大切にしよう

これは一次情報を大切にしようということだ。

インターネットで「一次情報」「一次資料」などと検索すると、明確な出典があるわけではないが、大方は「論文など手の加えられていないデータ」「直接知っている人や、それを調べた人が発信している情報」と書かれている。

このように書かれていると、勘違いしてしまうかもしれないが、他人の人から聞いた情報ではなく「自分が見て、聞いて、調査などをして手に入れた」ということだ。自分が情報源になっているものが一次情報になる。

ニュースなど、発信している側の解釈がある情報を1.5次情報としているものもあった。

では、次に、二次情報、三次情報とは何なのか。

こちらも明確な出典はないが、一次情報に手が加えられ、解釈が入っているものや、人から聞いた話が二次情報に当たる。

事件があったと報じられている。これは1次情報、または1.5次情報(都合の悪いところは報じられてない可能性があるため)になる。

それを聞いたテレビのコメンテーターが発してる憶測は、すでに二次情報であるということだ。

三次情報は、情報源はもはや不明瞭で噂レベルの話などに当たると言われる。

上記の説明自体に、出典がないことは大変に申し訳ない。
これ自体が3次情報だったりして笑

上記のことを創価学会の活動に例えてみるとしよう。

Aさんは、お題目(南無妙法蓮華経を唱える)を朝晩唱えることで、生活のリズムがよくなり、また自身の決意などが深まり、より良い生活を送れたと感じた。
これによって「お題目には効果がある」と思うようになった。

これは、Aさんにとっての「一次情報」だ。自分自身が実際に行動し感じて得たものだからだ。

次にAさんがBさんに、上記の体験から、「お題目に効果がある」と話す。

この時点でBさんが、手に入れた情報は「二次情報」なのだ。あくまで自分では体験していないことなので、一次ではない。

これを、反対にあまりよくない話にしてみよう。

Cさんは、お題目を上げてみた結果、あまり意味がないのでは?と思った。

そしてCさんは、Bさんに「お題目はあまり効果がないよ」と話す。

※あくまで例のため、ここでお題目を上げたら効果がないなんてことはあり得ないという、教義上の問題等には触れない。

ここで、Bさんは「お題目に効果がある」「お題目には効果がない」という二つの情報を得てしまうのだ。
そうした時に、どうやって判断するのかは様々な方法があるだろう。
現在で言えば、すぐにインターネットで調べるのではないだろうか。

私、自身も友人から、漫画を勧められたり、美味しいお店を勧められたりしたら、すぐに調べてしまう。

しかし、インターネットで見た情報というのは、友人から聞いた二次情報よりもっと不確かな三次情報に当たるのだ

「僕の友人で、こういう人がいました」「私の親はこう言っていました」
「僕の周りではこうでした」などなど。
まだこのように明確に、その人自身が感じたことではないと、発言してくれていれば三次情報だとわかるが、あたかも人の話を自分が感じたことのように話している人だっている。これを否定する根拠がインターネットでは見つけらないのだ。

だから、私はどんなことであれ、最後には、自分が見て感じて聞いたことが大切だと思う。ここで、さらに自身の崩れない判断基準、哲学などが大切になるが、それはまたの機会に笑
よって、上記の例のBさんは、実際にお題目を上げてみなければ、効果を確かめることは一生できないし、効果がないと決める発言もできない。

私は、友人から「○○さんはやばい人だよ」など言われた際は、聞いたときは「やばい人なのかー」と思うかもしれないが、実際に会ってみて、目を見て、声を聞いてみない限り「やばい人」なんて判断できない。
そうやって本当は良い人だったパターンなんてたくさんあるはずだ。
また、その逆で、周りが持っている良い印象と違う人だなと、感じることだってあると思う。

最近では、統一協会に合わせて、創価学会のこともSNSで取り上げられている。
私自身も、現状得る知識では、統一教会は反社会的な組織ではないかと思うが、自分自身が得た情報ではないため、攻撃をすることはない。
攻撃する権利がないのだ。自分が、感じたことではないから。
創価学会を攻撃する人たちは、だいたいこの論理で取るに足らなくなると個人的には思っている。(取るに足らないからと言って、そのデマなどを無視するということではない)

悪い情報というのは記憶に残りやすい

その上で、ネガティビティバイアスと言って悪い情報というのは、人間の生存本能として、圧倒時に記憶に残りやすいようにできている。

だから、一つの事柄に対して、良い情報と悪い情報を持った場合に、人間には悪い情報の方が強く残りやすいのだ。

悪い噂というのは、良い噂よりとっても早く広まったことが、皆さんの生活でも身に覚えがないだろうか?

だから、人間は悪いことの方が、耳に入ってきやすい、記憶に残りやすい生き物ということも念頭に入れておくべきであろう。

他人と自分では感じ方が、違うことがあると認識しよう

上記の例のように、AさんとCさんでは、感じ方が違った。
これは、同じ料理を食べても、美味しいと感じる人。そう思わない人もいるのと同じだ。

だからAさんが、もしCさんに「お題目は効果がある」と話をし、Cさんから「効果がない」と言われた時に、それは間違っていると完全否定してはいけないのだ。
人によって感じ方は違うから。

一度は、「そうだよね」と受け入れる必要がある。

ここからは、お互いがお互いの話を聞き、対話をしていくフェーズになる。
どう対話をするかは、否定ではなく、
「どうしてそう思ったのか」「どういう経緯があったのか」
様々お互いの状況などいろいろなことを話していく必要があるだろう。

まとめ

以上が、私がデマやインターネットの情報への付き合い方だ。

・自分が実際に見て聞いて、感じたことを一番大切にしよう
・悪い情報というのは記憶に残りやすい
・他人と自分とでは感じ方が、違うことがあると認識しよう

そんなの当たり前じゃんという方がいたら、申し訳ないです。
ぜひ、一緒に発信していきましょう。

またの機会に。

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