ありのままの自分で大丈夫
北海道にも、やっと春がきた。
暖かい日差しの下で、今まで出番をじっと待っていた草花が一斉に顔を出し始めるこの時期が好き。
北国の短い夏を惜しむように、我よ我よと花と緑が溢れ出す、とても愛おしい季節。
長い冬の間、眠っていた木々も緑の葉をつけ始め、地上に跡形もなかった草花が、きちんと芽を出す。
木は「花になりたい」と思うわけでもなく、そのまま木として育つ。
木は木であることを疑わない。
そして、そのままで十分、この世界の役に立つ。
花だって「たんぽぽ」は「たんぽぽ」のまま、決して「バラ」になろうとはしない。
「たんぽぽ」のままで十分、「たんぽぽ」にしか出来ない役割を担っている。
自然の全てが各々の役割を受け止め、本来の姿で在り続けている。
他の何かになろうとせず、ただ本来の姿で存在している。
それは、この世界の全てのピースがきちっとはまる為に必要な事だから。
人間はというと、自分にはない部分を他人に見つけては羨ましく思ってしまう。
「ああなりたい」と嘆く。
こんな自分じゃ駄目なんだと悲しむ。
だから違う自分になろうと、もがき苦しむ。
それは本来の自分から外れる事であって、パズルのピースを変形させるのと同じ。
「木」が「花」になろうとするのと同じ。
本当は人間も、この世界では自然と同じように、あるがままの自分で十分な存在。
だから、変形させる必要なんてないんだろうな。
きっと。
木が木である事を疑わないように、自分は自分でいいんだと思う。
不完全な部分も、頼りない部分も含めて。
時々、焦ったり悩んだりもするけれど、今の自分を認めて受け入れる。
そして自分に優しく声をかけてあげる。
ありのままの自分で完璧なんだよ。
このままで大丈夫なんだよ、って。
きっと、これが大事なことなんだと思う。
現在、無職の私は「私らしく」生きて行けるよう、日々、自然を眺めては「木は木、鳥は鳥、私は私」と自分に言い聞かせる毎日。
何事も焦らずマイペースで、そして心がワクワクする事にチャレンジしてみようと思ってます。
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