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父が引退した

2020年6月、父が会社勤めを引退した。


父の引退は世間を騒がすような出来事ではない。

しかし、息子からしたらそれなりに想うところが多い、お祝いと感謝と不安の気持ちが同時に湧き上がるようなイベントだった。

何かお祝いを送ろうと考え始めたが、「日本酒」という選択肢は思考パターンの似ている姉に早々に取られたので、他の選択肢を考える必要が出てきた。高級品に振ることも考えたが、お金には困っていないように見えるし、なにより父は物欲がない。物持ちは良く、気に入った服は擦り切れるまで着るが、気に入らなければ全く身につけない。とにかく極端なのだ。


どうせ送るなら気に入ってもらいたいと1-2日間想いを巡らせた結果、カシャッサを送ることにした。ブラジルで親しまれるサトウキビの蒸留酒だ。日本では「51」とラベルに大きく描かれたボトルが知られているが、あれは焼酎で言えば「いいちこ」のようなもの。引退のお祝いには少し向かない。調べてみると日本酒における蔵のような単位でカシャッサを作っているようなので、雰囲気が良さげなものを一本選んで実家宛に宅配手配をした。

この時、通販サイトで注文者と発送先を分けて入力する方法が分からずに、父が自分自身で注文したかのような形になり、新手の詐欺のような形で実家に届いたのはご愛嬌。


父はブラジルに赴任していた経験もあり、帯同された自分としても思い出深い国である。大して酒に強くはない父はこのカシャッサで作るカイピリーニャというカクテルが大好きで、飲んではへべれけになり、家族に対して愛を語ってウザがられるような、そんな父だった。

へべれけになっている父、ノンアルコールビールと知らされずに飲まされて「酔った!」といい気分になっている父(2-3ヶ月続いた)、めったに怒らないけど数年に一度爆発して食器を破壊する父(お気に入りの茶碗を割られたのは今でも根に持っている)、姉の結婚において「結婚式→入籍」の順番を頑なに譲らす家族総出で説得した父、そんな断片的な思い出はあるが、父が一体どんな仕事をしているのか、どんなキャリアを歩んできたのか、どんな上司だったのか、そんなことは自分が働き始めて暫く経つまで殆ど興味が無かった。

父は父でしかなく、労働者としての側面を意識したことは殆どなかった。これは、父が仕事の話を殆ど家に持ち込まなかったことも理由の一つだろう。しかし、そもそも会社で働くということに対するイメージが一切なかった自分にとって、想像をめぐらすことのできる範囲外に父が居たのだと思う。


そんな父が会社員であることを初めて強く意識したのが、今の会社に内定をもらい、家族に報告した日だった。

最終面接後、控室に採用担当がやってきて、しばらく雑談したのち、「今ここで決めるのであれば内定出すよ」と唐突に切り出され、今となっては、オワハラじゃねーか!、とツッコミたくなるものの、純粋に志望していた会社であり、1秒でも早く就活を終わらせたかった自分にとっては、正にWin-Winの提案であり、即答した。

会社を後にして、軽い足取りで最寄り駅に向かい、ホームから母に電話を入れた。思春期(というには遅いかもしれないが)真っ盛りだった当時、中間報告をほぼ入れずに、いきなりの内定報告だった。会社への内定報告を受けた母の第一声は、少し戸惑ったような声で、「そこは、大きな会社なの?」だった。

今の勤め先は、モノづくりでは随分上流に位置付けられる典型的なB to Bの会社であり、近しい業界に居ないと殆ど認知されていない。名前もありきたりな単語の組み合わせで、余計に得体が知れない。母はいわゆる芸術家であり、知る由もない会社なので、仕方がない。しかし、体裁と外面を気にする母からの言葉は、自分に対する心配よりも、「ネームバリューのない会社に息子が入社を決めてしまった」ことに対する不安の方が先立っているようにしか思えなかった。

決して真面目な就活だったとはいえないものの、それなりに悩み、自分なりには考えた末の結果に対する心ない第一声に対して、自分から歩み寄ることができるほど大人ではない。何を話したかは覚えていないが早々に電話を切って帰路についた。

少し重い足取りで家に着き、夕飯のタイミングで父にも報告した。母と同じような反応をされたら嫌だな、という不安とは裏腹に「いい会社じゃないか!パパはよく知ってる会社だよ」と真っ直ぐに褒めてくれた。

多分、この時が、「会社勤めをする父」を初めて強く意識した瞬間だったのだと思う。父は特段社会に対するアンテナが高いわけではなく、仕事上、今の会社を知り得たに過ぎないのだが、知っている人が居たという事実は単純に嬉しくて、一気に父を近い距離に感じた。

昭和の仕事人間を画に描いたような父。若いころは過労で肺炎になったり、年を重ねてからも平日は深夜帰宅、休日も家では仕事したりと仕事一筋。そんなこともあり、あまりコミュニケーションが多くはなかった。しかし、自分が就職して、時折実家に帰省した際には父と仕事に関係する話をするのが密かな楽しみとなっていることに、そう時間を置くことなく気が付いた。

ちなみに、父には気恥ずかしくてそんなことは一度も伝えていない。

父は帰省する度に経営関係、自己啓発系、に時折自分の好きな時代小説も交えて勧めるようになってきた。生憎、自分の趣味と重ならず殆ど手に取っていないが、何れ読みたい時が来るかもしれないと思い、本棚にしまっている。父は働きすぎは体に良くないということは身をもって知っているためか、「がんばれよ」という言葉は掛けてこない。常に「身体を大事にしなさいよ」である。しかし、勧めてくる本の内容や紹介する時のトーンからは、自分に対して何かしらの期待を掛けてくれているのだろうということはよく伝わってくる。

正直、すこし億劫な時もあるが、存外嫌な気持にはならない。それは、無理強いはしてこないということに加えて、父が仕事に真剣に打ち込んでいたことをそれとなく知っているからだと思う。

まだ学生の時分であったころ、父が葬式以外で泣いているところを一回だけ見たことがある。詳細は未だに知らない。しかし、仕事で父の信じる正義を貫こうとしたところ、醜い手で妨害され、妨害されたことよりも、その結果として自分の信じることができなかったことに対する不甲斐なさに泣いていたようだった。

(ここから暫く父の経歴の話が続くが、理解が間違っている可能性もあるので話半分くらいで読んでほしい)

父は信じられないくらいまっすぐな人間だった(今も、だが)。自分の中で優先度がはっきりしていて、重要な契約の調印式よりも娘の体育祭参加を優先させて上司に眉をひそめられたりしていたらしい。調印式は、本人曰く「だって意味のないだたの儀式だもの」とのこと。当時は「そんなもんか」くらいに思っていたが、今の会社に就職してから、調印式の重さを認識して、よくすっぽかしたな、と思った。

ただ決して出世意欲が無いわけではなく、入社当時の日記には「社長になる」と書いてあった。実際に調印式をすっぽかしたり、海外赴任を度重ねて辞退したりと曰く異例づくめの対応をしても経理部長に就くくらいには仕事もできていたらしい。

周囲からはそのまま役員へと昇格するものとみられていたが、ある日監査役へと就任することが決まった。これは、今ネットで検索して知ったことなのだが、この人事異動は2007年のことであり、当時父の泣いている姿をみた記憶と時期が符号する。

父曰く、「さすがに色々やりすぎて目をつけられた節がある」というようなことを言っていた気がする。世の監査役を悪く言うわけではないが、一種の左遷である。

その後、2009年には本社の社長になる道は絶たれて子会社の役員に就任した。

異動直後は少し落ち込んでいた節もあったが、徐々に「業務所掌で上司がいないからやりたいことができる」と生き生きとし始めた。更に、「取締役会議で、経営が苦しいから役員報酬をカットするっていう話になったのに、みんな上役の報酬カットにテコ入れできないでいたから、『先ずは社長が50%カットするべきだ』って言ったら会議が静まり返っちゃったよ!笑」と嬉しそうに話していた。つくづくポジティブな人だなぁ、と思ったことを覚えている。

そんなことをしていながら、無事に常務取締役まで昇格した。この頃、自分は既に入社3年目であったので、会社間の異動こそあれ一企業に40年勤めあげ常務に就任した父のことは純粋にその継続力を尊敬し、少なからず誇らしくもあり、また、楽しそうに仕事をしている父を見られることが嬉しくもあった。

もう少しで念願の社長のポジションが見えてくるか?と口には出さずに期待?応援?をしていたころで、父の会社は別会社との経営統合した。

経営統合したことで会社としてのビジネスチャンスは増え、父も「本社にいるより仕事の未来は多い。これからどんどん面白くなっていくぞ」と益々楽し気に語っていて、その言葉のとおり、会社の業績は向上していった。

しかし、面白いことばかりでもないのが世の常なのか、世に聞く経営統合による社内政治漏れなくついてきたらしく、仕事の愚痴をあまり漏らさない父も、「本当にくだらないことが多いよ」とぼやいていた。父からすれば、過去にすっぽかした調印式のように、社内政治など何の目的にも手段にもならない、取るに足らない話だったのだろう。

そんな父なので、家ではぼやきながらも、社内政治は見て見ぬふりをして、相変わらず成すべきことは成す、言うべきことは言うということを貫いていた。そうなると自ずと結論は見えてくるが、周囲からは少なからず疎まれ、結局社長の座に就くことなく、徐々にポジションを下げ、最終的には監査役に就任した。このデジャブな出来事は2018年のことである。

さて、長々と続いた父の経歴の話も間もなく終わりである。

監査役に就いた父は、「社内政治から解放された!改革すべきことを改革できるぞ!誰も文句を言えない立場でやりたいことをやってやる!」とこれまたどこかで聞いたようなセリフを並べて嬉しそうに仕事をしていた。


そんな父を見て、あぁ、本当に仕事が好きなんだな、と思った。


そして、社内政治を利用して社長に就くよりも、今の方が幸せなんだろうな、とも思った。そもそもそんな芸当ができたら子会社に異動していないだろうが。


そこから2年、監査役を務めあげ、2020年6月、父が引退した。

お祝いにはブラジルの蒸留酒カシャッサを送った。添えた手紙に何を書いたか覚えていないが、お疲れ様と書いたことは確かである。

そうしたら、次に会った時に手紙への返事として、クリアファイルにはA4のコピー用紙にタイプされた手紙が入ってた。

「いや、ワードかよ」と思ったが、突っ込まずに中を読んでみた。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

○○へ

退任時には忙しい中、手紙と高級カシャーシャ、本当にありがとうございました。 とても嬉しかったです。ブラジル時代の様々なことが懐かしく思い出されました。退任して早一か月、朝夕の保育園の送り迎え、家事労働、教会関係、読書等と、お蔭様で充実した日々を送っています。今まではどうしても仕事関係の書籍を読むことで精一杯でしたが、これからは聖書・信仰関係の本を中心に読み、信仰を深められたらと思います。勿論、世界の動向も注視しながら。

○○も社会人になって10 年たちましたか··。 それはそれで色々あったかと思います。 10年、15年と経過していくと、同僚の出世等が気になってくる時期でもあります。 今は管理職制度を無くす会社も出てきていますが。パパは海外赴任が長かった為か、本社の定期 異動からは外れ国内在住の同僚と比べるといわゆる課長等の管理職になるのはそれ程早く はありませんでした。え、 あいつが、という思いもありましたが、気にする暇も無く目の前 の仕事に追われていました。ただ、今振り返ると仕事の知見において随分稚拙な面もあった なあとも思います。

海外関係の仕事から経理部に約10年振りに戻った時は会計制度も色々変わっており改 めて自分で本を買って勉強している内にずっと経理部にいた人たちより諸制度に詳しくなっていました。自己研織は大切だと身をもって思った次第です。 役員になるかならないか、役員での昇進は、日頃の仕事振りや自己研鑽も大切でしょうが、人や仕事との巡り合わせ、運が大きいでしょう。

××(注:父の異動した子会社)は合併会社ゆえ、目には見えない派閥権力関争がありました。今は合併当初の主 だった役員が退任し大分良くなったと思います。 当時トップ主導で進めていた買収案件に 対し取締役会でただ一人反対意見を表明、その結果かどうかは分かりませんが、翌年には監査役になりました。下馬評では専務になる見込みだったのですが。△△(注:本社)の時、やはりト ップ主導の買収案件に反対意見を表明した役員が翌年退任したのを見ていましたのでそれ なりの覚悟は出来ていました。と言っても一人反対意見を表明するのは勇気が要りました。 どう考えても合理性に乏しく会社倒産の危機に陥らせる可能性が高いと判断、職責に忠実 に従うことが出来て良かったと思っています。最終的には人ではなく神に従う気持ちがあ ったからだと思います。

監査役になって改めてコーポレートガバナンスを真剣に学び考え実践でき、監査役にな ったのは良かったと思っています。関西電力の不祥事に関しても考えさせられました。仕事はどこのボジションであっても真剣に前向きにやれば得ることは多々あります。また、陰では反対意見や人の悪口を言いながら公の席や当人の前にでるとヨイショしか言わない人間 がいることも良くわかりました。ババにはその様な芸当は出来ませんでしたが、人の常として、当たり前といえば当たり前なのかも知れませんね。

今思うことは、全て神の導きの中にあったということです。そして、これからも。

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もう1ページ、お勧めの書籍がリストアップされており、プライベートなコメントと共に締められていたが、ここでは紹介することは差し控えたい。


手紙を受け取ってからこれを書くまで少し間が空いたせいか、手紙で読んだことと、自分で理解していたと思っていたことが少し混同してしまったかもしれないがそれはご容赦を。

仕事に生きてきた父は、一方で、心では家族を愛しており、信仰にも生きていた。


そんな父が仕事を引退したらどうなってしまうのか、去年は心配していたが今は、実家近くに住む姉の孫3人の面倒を見る日々に追われている。

最近は孫の世話がきつすぎて突発性難聴になりかけたとか。

「体調を崩すのはよくないけど、その経験自体は価値のあるものだね」とあまり子育てに関われていなかった父本人に告げたところ、

「本当にそう。貴重な経験をしているよ」としみじみ答えていた。


それを聞き、あぁ、この人はきっと大丈夫だな、と思った。


息子ながらに偉そうだが、きっと、この後の人生も目の前にあることを楽しみ、様々なことに感謝をして生きていくのだろう。


父は決して素直ではない。むしろ超がつくほど頑固だ。

価値観の古いところもあり、部下に対してパワハラじみた発言をしていることを、家族総出で怒られたりもしてきた。

しかし、歳を重ねるごとに確かに価値観をアップデートしていっている。

今後、父がどんな成長を遂げていくのか楽しみである。

願わくば、死ぬまで元気に成長して、ぴんぴんころりと逝ってほしいものである。

そして、そうなる前に、一度は面と向かってここに書いたことを伝えたいきもするが、果たしてどうなることだろうか。


おしまい。




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