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ちょこっと読書レビュー#世界地図は誰が作ったの?に答えられるお話(前編)

noteを毎日書く2021年12月にしたいなと思う17日目!

今日は子どもに、こんなことを問われても答えられるようになるかもしれない記事です。

世界地図って誰がつくったの?

誰がつくったんでしょうね?そもそもいつ頃?

はじめに

私は多読・乱読派で、数冊を同時に読み進めている。少しずつ読み進めている「サピエンス全史」第15章を読んでいて気に留めた箇所について今日は書こうと思う。

気になったのは次の箇所だ。

ユーラシア大陸の寒冷な末端に暮らすヨーロッパの人々は、どのようにして世界の中心からほど遠いこの片隅から抜け出し、全世界を征服しえたのだろう?その功績のほとんどがヨーロッパの科学者のものとされることが多い。
サピエンス全史(下)96P

ヨーロッパ人が優れていたのか?科学に強い遺伝的な特性があるのか?もちろん、否。ではなぜだろう。

大航海時代突入まで「世界地図がなかった」

前提知識をおさえておこう。ヨーロッパ世界が拡大したのは、ワンピースでも有名な「大航海時代」だ。15〜17世紀ごろだ。誰しもが一度は聞いたことのあるコロンブスがその火付け役だと言って良いだろう。

クリストファー・コロンブス(Wikipedia)

1492年に7000kmほどいけば日本に着くはずだとスペインから大海に出た。もちろんもっと遠くにあるわけで、何が重要なのかと考えると…そう当時は現在誰もがなんとなく思い浮かべられる「世界地図」がなかったのだ。

大航海時代は世界一周をしたマゼランや、ヨーロッパの国々の拡大にスポットライトが当たりがちだが、「世界地図がなかった」という事実は見逃してはいけないと思う。

空白のある地図

世界地図がなかった当時、自分達が知らない未開の地は魔物や怪物が描かれていた。世界地図が未完成だったので、それっぽく仕立てていたのだろう。

富と権力vs科学的発見

地図を完成させることはあくまでも冒険者たちの目的であって、当時のヨーロッパ世界が拡大したのは「征服」の側面は拭えないだろう。ヨーロッパ以外のユーラシア大陸民族ももちろん同様だ。

サピエンス全史内では「征服の精神構造が異なる」と主張されている。

ローマ人やモンゴル人やアステカ族は、知識ではなく、富と権力を求めて新天地を貪欲に征服した。それとは対照的に、ヨーロッパの帝国主義者は、新たな領土とともに新たな知識を獲得することを望み、遠く離れた土地を目指して海へ乗り出していった。
サピエンス全史(下)101P

そう、征服のためではなく、科学的な発見をするためであったのだ。新たな科学の発見をもとに帝国は発展したのだ。実に興味深い指摘だ。

最初の問い「世界地図は誰がつくったの?」からは話が逸れてしまったが、そのきっかけとなったのはヨーロッパ人であることが間違いなさそうだ。

次回の記事では、世界地図の形成に視点を当ててインプットしたことをアウトプットしていきたい。

おわりに

サピエンス全史を挫折した人へ

(私もまだ読破はできていない身ではあるが…)

「サピエンス全史」難しくて断念した人も多いと聞く。かくして私も挫折しそうである。なんとか食らい付いている。食らいつけている。食らいつけている理由はいくつかあるが、気になることをインプットしながら読み進めているからだと思う。

もう少し言うと、この本を読み進めるにあたって、歴史や宗教、経済や政治のインプットは欠かせない。なので、挫折しそうな人は諦めずにインプットを試みて欲しい。特に宗教と歴史は必須だ。

手軽にインプットできる、最近のおすすめ本は「読書大全」だ。1部を読むだけで、一通りの知識は手に入る。


ではこの辺で。続きはいつか書きます!バイバイ


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