人の結婚は祝いたいけど、結婚式には今は行きたくない 【9月12日土曜日】
※前置き「遺書、あるいは黒歴史ノートになるはずの日記のようなもの」※
「行けたら行く」
10月に結婚するらしい従弟からの出欠連絡に、とりあえずそう返した。
30歳にもなると、学生の頃の友人はそれなりの割合で結婚している。
大学で東京に出てくるまでは岐阜の片田舎に住んでいたから、そのころの友人はなおさらだ。
だから人並みには結婚式に参加してきたと思う。
新郎新婦の幸せそうな姿を見るのは好きで一緒に祝うのは楽しい。それを微笑ましそうにほかの出席者が見ている雰囲気も大好きだ。
だけど、今は人の結婚式に出るのが嫌でしょうがない。
従弟と仲は良いので結婚式に出て祝いたいという気持ちはあるんだけど、それよりもめんどくささが勝ってしまっている。
去年あった妹の結婚式にも出席しなかった。
そのころは4年間付き合っていた女性に裏切られ別れてからすぐの時期で、心身ともに大きなダメージを受けていた。それは今でも直っていないが…。
しかし、そこはかわいい妹の結婚式だ。兄として参加しようと思った。
だが妹から送られてきた詳細に書いてあった2つの単語を見たときに、俺の決意はサラッと折れた。
「ハワイ」と「白いスーツ」だ。
結婚式をハワイでやると書いてあった。行きと帰り含めて4日はかかるじゃねーか。ただでさえ休みが少ないテレビマンのさらに貴重な有休をなんだと思ってるんだ。
しかもインスタかなんかで見たのか知らないが、親族が白いスーツを着て夕日をバックに、サザエさんのエンディングみたいに一列になって歩いている写真を撮りたいというのだ。
何がハワイだ!何が白いスーツだ!
そんなん新婚旅行かなんかでやれや!お前らの自己満足に俺を巻き込むんじゃねえ!
心の中でそう叫んだ。
自分で文章にしていてなんて適当な原因なんだろうと思ったが、それ以来、人の結婚式には出たくないと強く思うようになってしまった。
だから、冒頭にあげた従弟の結婚式もご祝儀だけ出して欠席しようと思っている。
不出来な従兄で率直に申し訳ないと思っている。
柴田ヨクサルの「エアマスター」というマンガが好きなんだけど、そのマンガに登場する皆口由紀というキャラクターがこう言う。
「他人の笑顔はもう結構よ。肉親の笑顔でももう結構よ。誰の人生も見たくないわ。」
境遇も性格も全く違うけれど、今この言葉にひどく引っ張られてしまう。
共感ではないと信じたい。
だって本当にこのセリフに共感していたら、それこそ中二病じゃないか。
30歳にもなってさすがに中二病の再発は勘弁してほしい。
でも今は他人の人生・幸せは見たくない。もうお腹いっぱいだ。
少なくとも今現在に限って言えば、それは僕の人生を幸せにはしてくれないし、むしろ僕を疲れさせるだけだ。
人の笑顔を受けとめるためには、それなりの体力がいると思う。
「誰か他人の人生を見る」とはどんな時だろう。
僕がぱっと思いつくのは結婚、受験の合格発表、内定をもらった時などだろうか。
そう考えると「誰か他人の人生を見る」とは、「誰か他人の人生が動く瞬間を見ること」とも言えるのかもしれない。
そんな機会はきっと多くないだろう。
そして人の人生が動く瞬間には、周りの人も含めて大きな感情やエネルギーのようなものも動くはずだ。
余裕があるときは、それを受け止め自分を動かす原動力にできる。
僕も出来た。
人の結婚式に参加した翌週なんて「俺も頑張るぞー」なんて言いながら、いつもより睡眠時間を削ってオフライン(VTRの編集作業)に向かっていた。
でも今はそれを受け止めきれない。
自分の人生と比べて苦しくなってしまう。意味のないこととは知りながら。
「おめでとー!」なんて口に手をあてて叫びながら、空しくなってしまう。
先ほどあげたマンガのセリフは、ちょっと空けてこう続く。
「そろそろ私自身が幸せになるわ。」
これまで「幸せになりたい」なんて思ったこともなかった。
「もっと成長したい」「もっと上に行きたい」とは思ってきたけど、そもそも「幸せになる」なんて考えてこなかった。
きっとそれなりに幸せを感じて生きていたから、無自覚だったのだ。
でも今は「自分が幸せになること」が大事な目標になった。
なってしまった。
だから自分が幸せになるまでは、肉親だろうが誰だろうが他人の幸せは見たくないと思ってしまう。
10月に行われる従弟の結婚式も「行けたら行く」と言いつつ、心の中ではバックレることをすでに決め込んでいる。
ただ、今日は「マッドマックス 怒りのデスロード」を見て興奮している。
だから明日、もう一度だけ落ち着いて返事を改めて返そうと思う。
鉄馬の女達みたいなババアになりたい。男だけど。
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