特攻隊について
ちょっと今日はマジメ記事になってしまうと思われます。めんどくせっ、って方はスルーしてくださいませ。
朝、ご機嫌に「たまに聴きたくなる」シリーズでLMFAOの話などして、浮かれて気持ち良く運転していた私です。運転大好きです🚙
信号で止まった時、前のトラックのナンバープレートの隣に、同じくらいの大きさのプレートで「日本 神風特攻隊」という文言を目にしました。
私の脳内は完全にLMFAOから特攻隊へシフトしました。(振り幅が大きすぎる)
特攻隊がカッコいいと思ってる?
自分はその時が来たら命を投げ出せると思ってる?
何のつもりでプレートをつけてるの?
私は次々浮かぶ疑問により頭に血が昇り始めました。いっそスプレーで消してしまいたい。でも器物損壊で捕まりかねない。
私が何故ここまで憤るかは、父が特攻隊員だったからです。
今までも記事にも書いたことがあります。
じゃあ何故私は生きてる?
突撃の2、3日前に、運良く終戦になり命拾いしたからです。だから父は現地の戦いを知ってるわけでもありません。
皆さんは特攻隊というと、空軍の飛行機か海軍の人間魚雷を想像されると思いますが、父は海軍の特殊潜航艇という4人乗りの潜航艇で、行きだけの燃料で突撃するはずでした。
実際に特攻隊で亡くなった人は4000人くらいだったとか…
片道切符で突撃して若い尊い命が一瞬にして散ったのです。
勝ち負けに関係なく、神格化される戦い方でしょうか。神格化するしかその使命を納得出来ないだけです。
そんな酷いこと、考案した方達が自分で試せばよかったのに。どうやったらそんな人非人なアイデアが浮かぶの?
親の気持ちを考えると、戦時中の親は本当に強かったと思います。
父は戦時中のことはほとんど話しませんでした。(没交渉だったという理由もありますが)
ところが、父が90歳くらいのまだシャンとしている時、私の友人が知り合いのルポライターに戦争経験について記事にさせてもらいたいとのお願いがあったのです。
2日かけて話してくれたことで、私の知らなかったことが明らかになっていきました。その記事を探したのですが、なぜかHPで探せません。残念です。
父は訓練時の教官のしごきがいかに辛かったかを特に強く、根強く胸に秘めていました。実際、60を過ぎて呑んだくれて帰宅後、泣きながら、「教官に靴で頭を殴られたんだぞ」と声高に話したことがありました。
60を過ぎても泣くなんて、相当のトラウマだよ。そんなに辛かったのか。
特殊潜航艇とは薄い鉄板で出来ていて、中に入ると寒くてトイレに行くのを我慢するのが辛かった、と言っていました。
月に何度か訓練から解放されて呉の街に遊びに行き、一度だけ母親(私のおばあさん)と旅館に泊まったそうです。私の知らないおばあさんは、どんな気持ちで一緒に時間を過ごしたことでしょう。
父は基本は生真面目で弱気なので、後になって、なぜ自分が特攻隊に志願したのか不思議でならない、と言っていました。そんな世の中は二度とあってはなりません。まして特攻隊を神格化するなどもっての外です。彼らは国ぐるみの洗脳下で、訳も分からず志願したのです。(noteって言論の自由を推奨してますよね。一応確認はしましたが、何も危険思想的なことは書いておりません。と思います)
私たちはそんな不遇の彼らを忘れる訳にはいきません。少しの差で、私という命が誕生した。私はこの命で、出来ることを精一杯する運命なのだと思っています。
結論。
だから、そんなプレートをつけて欲しくない。
それとも、忘れてはならないと諭してくれてるの?
まぁ、今日の私には充分効き目はあったけれども。