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役割語ってやつを考えてみた


小説を書くのが好きだ。

時々思い立っては書き、たいした出来栄えでもないそれを近しい人々に読ませては感想を強要する。甚だ迷惑な趣味を持つワタクシであるが、自分の書いたものを読んで、ふと、引っ掛かりを感じた。それは、女性のセリフの「~だわ」「~わよ」「そうね」「そうかしら」。

普段、こんな言い方するか?いや、しねえよな。だけど、どうしても小説の登場人物にはそういう話し方をさせたくなってしまう。特に、ちょっと大人で、女性らしい人物のセリフには「~だわ」や「~わよ」を使ってしまう。そうしないとしっくりこない。

夫に話してみた。すると彼は言う。

「『役割語』ってやつだね」

役割語ってなんだ?ウィキペディアにはこう書いてある。

役割語(やくわりご)とは、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いである。主にフィクションにおいてステレオタイプに依存した仮想的な表現をする際に用いられる。

「『わし』『~じゃろ』とかそうだね。おじいさんの」

確かに! おばあちゃんの『だいじょうぶかい』とかもそうだ。赤ちゃんの『~でしゅ』とかも。

現実世界でそういう言葉遣いをする人は見たことがない。
細かい人物描写をしなくても、そういったステレオタイプのセリフ回しをさせることで、この人は女性らしい人なんだな。腰が曲がったおじいちゃんなんだな。もしかしておひげがフサフサかも、なんていう映像が自然に浮かぶ。日本語だけでなく、ドイツ語、英語なんかにもそういう言い回しがあるみたい。言葉っておもしろい。


『役割語』という新しい語彙を私に与えてくれた夫に感謝。彼無しには一生知り得なかった言葉であろう。5歳下の夫はなかなかユニークな人物なので、別の記事でまた書かせていただく。


「~だわ」「~わよ」に引っ掛かりを感じてからというもの、これらの言葉を作品内で使うことに一抹の気恥ずかしささえ感じていた。でもこれで解決だ。私は自由だ。これからも存分に、創作世界における役割語の恩恵を享受していこうと思う。

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