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高校の時の思考ノートを見て驚愕した

高校生の頃から『思考ノート』というものをつけ始めた。
イライラした時、悲しかった時、病んでしまった時、誰かに相談したいけど誰にも言えない事を書き殴るノート。

最初は感情的な言葉しか書けないが、段々『なぜそう思ってしまったのか』が勝手に文字になって出てくる。病む時に頭がぐちゃぐちゃしやすい私にとっては、自分を理解できるナイスな方法だ。
また、安易に誰かに相談事ができるタイプじゃ無かったので、気持ちの捌け口として使っていた。
思考ノートはアナログ版とデジタル版があり、家の中でならアナログ版。外で病んでしまったらスマホのメモ機能へ。
今日久しぶりにメモ機能に書いた思考ノートを読み返したのだが…

今の自分と違いすぎる…!!
っていうか自分病みすぎじゃね?

思ったよりみっっちり書かれていた。
大学が始まってから辛い事が少なくなってきたせいからか、自分がこんなに病みやすかった事にびっくりした。

というか。

大学始まってから3ヶ月しか経っていないが…?

私のメンタルがこの3ヶ月でメタル化したとも考えにくい。おそらく高校の頃は忙しすぎたし寝不足すぎた、健康状態が今とは段違いで悪かったせいでメンタルにきていたからだと今気づいた。

高校の頃は良くて5時間睡眠、3,4時間睡眠は当たり前だったし、体育系の部活の部長と、吹奏楽部の部活の副部長件管長を掛け持ちしていて、月から土まで毎日最終下校まで部活をしていた。
プラスで、休み時間に少しでも課題を進ませたくて美術室に行って課題を進めたり、テスト勉強も毎日欠かさなかった。
今考えると危なすぎる。メンタルが常にボロボロだったのも納得であった。

対して大学生になった今、バイトと課題に追われてはいるものの、6時間は寝れているし、部長などの責任を問われる役職についていないのでプレッシャーも皆無。本当に自由になった。

高校の頃は、『この精神状態が自分の正常なんだ』と思っていた気がするが、違った。
第一、2週間に一回のペースで涙が止まらなくなるなんておかしかったのだ。そんな簡単なことにも気づけないくらい忙しかった。

大学生になってからは、多少メンタルがブレておかしくなる事もあるが、涙が止まらないなんて事は起きていない。
思考ノートの存在をここ最近忘れていらくらいだ。本当に健康状態を良くするのは大事なんだなと感じる。

少し話は戻って…
思考ノートをのぞくと、少し前の私はずっと自分の価値が分からず苦しめられていたっぽかった。
上記に書いた様な忙しい日々だったのにも関わらず、誰からも褒められず、追加で母に自分の存在を否定されていたので、自分の価値がどん底のずんどこだと常に思っていた様だった。
(他の人に肯定されても、母が絶対主義というか、母に肯定されなければ何も意味がないと思っていた)
そんな状態でも、その気持ちはノートだけにちゃんと収めて、やる事をちゃんとやりながら明るく振る舞っていたのは凄く偉かったな〜と自分でも思う。

高校1、2年生の時の自分を抱きしめてあげたい。撫でてあげたい。
お母さんはそんなに神様じゃない事、叱られる事を罪だと感じ、罪を償おうと努力する必要はないという事。母の事が嫌いでも良いという事。もっと早く自分に教えてあげたかった。

ノートに書いてあった『お母さんの理想の子になりたかった』という文字に心がキュッとなる。本当に価値を母に委ねていたんだなと、そう感じる。
もう今は自分軸で物事を考える事が出来ている。そのお陰で母への考え方も段々変えられている。

もう苦しくないよって、昔の自分に伝えたいな。


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