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今初めて改めて好きになった人CHARAさん


昔からすきで、
いま本当に好きになったというか

今はとても愛情さえ感じてる。

とおもう人が数人いる。




CHARAさん

まずはこの人


CHARAさんは

学生時代大大好きになり→少し離れ

その後ちょこちょこ聴いてはいたが


社会人時代ふと見たインタビュー番組で

教会のゴスペルを聞くのが好き、とアメリカかどこかの本場のゴスペルを聴きながら涙ぐんだりしながら

小さく口ずさんでいた姿が強烈で、

だから私は彼女に惹かれたんだと強く思った。


ヒット曲を生み出すための商売としての
音楽活動してるだけではない、



心の奥底にある揺れるさまざまな感情を
簡単に手放さず
もがきながらも
涙しながら
純粋さと崇高な美しさを探している魂。

根っこから信じられる人なんだと思った。


その頃
私もクリスチャンとして
駆け出しのころで、仕事も忙しいなかで


何のために聖書がいいと思ったのか
なおざりでいた中だった、、



ルーティンの活動のために生きるのではなく
神を求める心が美しいということを忘れないでいたいと学んだ。


クリスチャンと唱えるわけではない人、
しかも=世俗なミュージシャン
がもつ、

清らかな無意識に神を求める心

の確かさに射抜かれ
改められ心洗われた。と感じた。



自由なまま美しい心でいられる
CHARAさん。

何かを学んでいるから
自動的にただしくなる、
美しくなるのではないと感じさせられた。


ミルクという曲がある。

みんなはいい子
自分はネコだよ
泣いたってミルクしかくれない


いつもTKファミリーの曲ばかり歌う
無口な友人が彼氏と別れそうな際この曲をカラオケで歌ってたとき、

彼女のすべてがわかった気がした
彼女のモテモテの理由を理解した。


その時期ミルクはCHARAにしては珍しく
可哀想ムードの新曲としか思ってなかったけど、

透明な声でミルクをうたう友人は小さなピュアな子猫みたいで、

儚げで清らかでその姿を
会わなくなっても永遠に忘れないと今でも感じる。



そして
picnicという彼女の主演作映画がある。
先日20年ぶりに見ることができた。

あらすじは割愛するが

自分が死ぬ時世界が終わる
と信じているエキセントリックなココ(CHARA)は



旅の終わりにずっと一緒にいたツムジに、

あんたの罪を私が洗い流してあげるよ、

と自分の頭に銃口を向け引き金をひく。


世界が終わればいいと感じていたツムジ
のため、そうする。



忘れきっていたけど、

映画には聖書がたくさん引用されていて、
このラストは私のクリスチャン魂の琴線に刺さりすぎて
今回涙が止まらない。



私がクリスチャンになり学んだことだが、

聖書によると
イエスは人類を救うために
父から遣わされ死をまっとうした。
というものがある。


映画でココはツムジのために?
奇しくも命を差し出した。

衝動的な
無駄死にに見えて
そうではないはず。



ツムジに無償の愛を示すことができたその時

ココの罪も許されたように見えた。

キリストには罪はないという点で
違いはあるけど、

友のために命を差し出すより大きな愛はない。

と聖書にあるそういう愛

が示されたんだととても感じた。


CHARAさんの無垢な美しさが
あの映画を神聖なものにし崇高なところにまで
仕上げている。


改めて、
CHARAさんに
まつわるさまざまを振り返ると、

無垢な美しさ心を欲している際の
エンターテイメント界の稀な
供給者であり、

天性のアーティストだと感じる。





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