曖昧の足音
年があけた。もうすぐ誕生日がやってくる。
その日になれば20代が終わってしまう。
なにも変わらないかもしれないけど、曖昧な不安がある。なにかのタイムリミットが切れてしまうんじゃないかって。
高校生の頃ははやく大人になりたいって思っていた。子供にみられるのは年齢というフィルターが強すぎるからだと、足踏みしていた。
僕をみろ!こんなに冷静だ!賢人の卵だぞ!
心のなかで叫んでプライドを暖める。それは慰めと同じだと気づいていたのか、いなかったのか。思いだせはしないけど、辛かったよね。
そして、もうとっくに年を重ねるのが嬉しくない。
輪郭のない責任ばかり増えていく。僕はずっとダメダメなのに。
金遣いは荒いし、やらなきゃいけないことは限界まで先伸ばしにするし、そして見失うし。毎日会社でミスをするし、 反省なんてその場限りだ。そしてどれだけ辛いことがあっても家に帰って酒をのむし、寝る前にちんこをニギニギしている。
学生の頃とかわったことなんて、天狗の鼻が折れたことくらいだ。
そりゃ成長してないわけじゃないけど、牛歩にもほどがある。幅が少ない。
まだ許される。まだ、許される。
そんな風に毎年思っている。焦燥感が次第に増しても、生活は変わらない。
知ってるんだ。生活が変わらなければ、自分だって同じなまま。
アルコールで視界をぼかして、口当たりのよいものばかりを食べている。雨が降った時、傘をさして出ていくことが僕にはできない。生まれてこのかた、言い訳ばかり探している。
いつ許されなくなるんだろう。なにを許してほしいんだろう。だれが許さないっていうんだろう。
曖昧なままやってくる。それでもやっぱり暖かな、その日が。
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