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あなたを見つめた3日間

その電話がかかってきた時、僕は本当にどうしようもない奴だという事実が、避けようもなくやってきた。二日酔いで鉛のように重い体をなんとか動かし、スーパーへ入ろうとした頃のことだったと思う。いつも通り気の抜けた声で電話に応じると、母さんが震えた声で言った。

「陽ちゃん、お父さんがね、倒れたの。心肺停止なの。」

電話の向こうで母さんは救急隊員に呼ばれ、通話がきれた。その後も何度か電話がかかってきて、同じように途切れた。
分かったことは、とにかくお父さんが死にかけていることと、県の中央病院に運ばれること。

普通なら脇目もふらず駆けつけるのだろうけど、例のウイルスのことが頭によぎる。突然倒れるようなものではないはずだから大丈夫なのに。行っていいのだろうかと、仲のいい同僚にラインしてしまった。今思えば、やっぱり動揺していたのかもしれない。けれどその時の僕は妙に冷静なつもりで、こんな時でさえがむしゃらになれない自分を冷笑していた。

「すぐに行け!」

少しずつ準備をしていた背中を、友達のラインが力強く押す。車に乗り込み、エンジンをかける。ここから病院までは30分ほど。それまでに息を引き取るかどうかよりも、母さんの側にそれだけいられないことが、自分を焦らせていた。

走り慣れた道。変わらない景色がこうも残酷だと言われても、少し前の自分はわからないだろう。どうにも心が揺れるけれど、そんな風に悲しみに浸るほどの余裕もない。なにより、そんな資格さえ無いのだ。電話をうけた時、僕が思ったことは、とても醜い。

あぁ、死んでくれる。

・・・楽になった。そう思ったのが、僕の事実だ。

病院についた頃にはだいぶ落ち着いていた。救急へかけつける前にトイレを済ませたくらいだ。そして待ち合いへゆけば、一番奥の椅子に母さんがいるのが見えた。小さな背中だった。

隣へ座り、肩に触れる。

「ずっと、隊員の人がかけつけてくれた時から処置してくれているけど、心臓が動かないんだって。たぶん、助からないだろうって。」

消え入りそうな声。不安がこれでもかというほど伝わってくる。僕が「いきなり倒れたの?」と聞くと、母さんは祈るような両手に顔を重ね、震えはじめた。

「-私、寝てたの。」

そう言うと、また母さんが小さくなっていくように見えた。消えてしまいそうだった。最悪なケースが頭をよぎる。つまり、起きたら死にかけていたということだろうか。 それは、あまりに辛い。癒えない傷ができてしまう。

僕は背中をさすりながら「そうか。そうか。しょうがないさ。」と、意味のない慰めをするしか出来なかった。その後も、母さんは震えた声で状況を説明してくれていた。

昼寝をして、起きたら父さんがキッチンでうずくまっていたこと。足でもぶつけたのかと思って、「お父さん、どこか打ったの?」と聞いたこと。胸をおさえ、苦しそうな声をあげていたこと。救急車を呼んでいる間、自分でなんとか動いて布団へもどったこと。その間にも、指先が紫色に変わりはじめていたこと。

母さんが、どれだけ動揺しただろうとおもう。お疲れさまと声をかけるのも違うから「そうか。ビックリしたね。」と言いながら、肩に触れる。

僕は少し安心していた。頭をよぎった最悪なケースではないのだ。母さんが自ら彼の不調に気づいて、救急車を呼べたんだ。不幸中の幸いとはこのことだと思っていた。やがて、扉の向こうから先生がやってきた。それはつまり、終わりが近いということだった。

「心臓のね、弁が裂けてしまって。そこから溢れる血のプールで、心臓自体が動けなくなってしまっています。」

そう話す先生の向こうに、父さんがいた。横になった体に色んな管が繋がっている。胸には白いシートがかけられ、そこからも細い管が飛び出していた。溢れた血を抜き出しているのだという。モニターに表示された血圧や脈拍は弱々しい数値で、もう間もないということは言われるまでもなかった。

「いまも僅かに脈動はありますが、これは余韻のようなもので動いているとは言いがたいのです。つまり。」「はい。分かります。大丈夫です。」

何が大丈夫だというんだろう。僕が冷静なのが大丈夫なのだろうか。そもそも母さんのことを気にせず話を進める辺り、冷静だったとも言えないだろう。電話をうけたあの瞬間から、自分が無数に分かれたような感覚がしていた。悲しむ自分や、楽になったと喜ぶ自分、それを糞野郎だなと見つめる自分。様々な心の相手をするのに忙しかった。

「では、ここで心臓マッサージを止めさせていただきますが、よろしいですね?」

ここで、母さんの了承をとったかどうかも覚えていない。とにかく僕たちは先程まで先生がたがいた場所へ近づき、父さんを見た。

目を瞑り、口にさえ管を繋がれている親が、今まさに死にかけている。それだというのに、僕はどうにも冷静だった。あと何分持つのだろうとか、葬式をどうしたらいいのだろうとか、そんなことを考えていた気がする。

ピッ・・・ピッ・・・。と、機械的な音が生命活動を知らせる。あまりに単純なリズムだから、永遠に続くような気さえしてくる。けれど、そんなわけがないことは分かっているのだ。ひどく静かで冷たいその空間で、母さんが一番最初に手を伸ばした。頬に触れ、今日一番不安そうな声で「・・・お父さん・・・・」と呟いた。

それを聞いた瞬間だった。無数に分かれていた自分は消え去って、ただの僕が立ち尽くしているだけとなった。揺れる心がそのまま瞳も揺らし始める。

だめだ。もう会えないのは違う。目を覚ませ親父。笑えよ。死ぬなよ。

ピーーーーー

ドラマや映画でよく聞く終わりの知らせが、無慈悲に鳴り響いた。母さんが真っ先に悲痛に叫ぶ。

「お父さん!!!」

僕もすぐに感情に飲み込まれ、同じように叫ぶ。あれほど気持ちを表に出したことなんて初めてだった。何度も何度も叫んだ。それでも、目を覚ませって願いだけだけは心にとどめていた。それを言ってしまうのはなにかが違う気がした。涙でぐちゃぐちゃになりながらも、そのまま事実として認めなきゃいけないとおもっていた。

それなのに、母さんが「目を覚まして・・・!」と言って泣き崩れるものだから、僕の心だって崩れてしまうのだ。

死んですぐ、聴覚だけは残っているという。僕は何度も「お父さん、大好き」と繰り返し言った。涙はいいけど鼻水まで父さんにかかりそうになってしまって、何度も袖でふいた。もう終わってしまったけど、何かを伝えるには今しかないと思って、休みなしに働いて支えてくれた感謝を言葉にした。
人生で一番の感情の大波だった。とても、泳げやしない。

そうして、父さんは死んだ。

死亡診断書を書くのに、遺体を一度検査しなくてはならないらしい。狭い筒のなかに入れられるなんて、生きていれば死んでも断るだろうな。笑えない。

仕事を切り上げて駆けつけてくれた嫁さんと義父も一緒に、待合室で検査が終わるのを待っていた。僕は少ない親戚や職場へ連絡をしたり、葬儀の準備をしていた。それは、主に心の。

母はエホバの証人であり、他宗教へ抵触する行為に参加ができない。それは全てではなく、聖書の独自解釈による禁止事項にならうものであるのだけど、少なくとも仏式の葬儀となると完全にタブーなはずだ。必然的に僕が喪主となり、母が不在の不穏な葬儀を取り仕切らないといけない。相当なプレッシャーを感じていた。
父もそういった行事が嫌いなうえ、親戚付き合いも少なかったので、葬儀の経験自体が少ない。うちの墓の場所を知ったのは23歳の頃だった。それでも、やるしかない。

一通り連絡を終えれば、肌触りの悪い静けさが舞い戻ってきた。母や嫁さんに、どういうテンションで喋ればいいのかが分からない。喋らなければいいのかもしれないけれど、僕はじっとしてることができない人間だ。今しなくてもいい話をしたり、したくもないトイレに何度もいったり、外の空気を吸ったりしていた。自動ドアの向こうは天気がよくて、冷たく澄んだ空気が心地よかった。向こうの大通りには車が行き交い、変わらない世界がそこにあった。無情だけど、平穏だ。救われる。

それから待ち合いに戻り、しばらくして別の部屋に案内された。

恐らく職員の休憩室なのだろう。1、5畳ほどの狭い部屋に、タンカに横になった父さんがいた。繋がれていた管は全てとられ、綺麗な姿でそこにいた。

今度はためらうことなく僕から頬に触れる。まだ暖かい。母さんは手に触れた。

「まだ暖かいね。」「そうだね。なんだか、寝ているみたい。」「綺麗な顔。髭、剃ってもらったのかしら。」

話すほど、涙が滲んでくる。あんなに泣いたのにな。本当に、お父さんの顔は綺麗だった。睫毛が長くて、少し口を開いて、穏やかに寝ていた。この人の顔が好きだったなぁと思う。やがて、母さんも頬に触れた。そしてゆっくりと、語りかけはじめたのだった。

「お父さん。いっぱいおしゃべりしてきたけど、もっとお話すればよかったね。コロナのことで、最近はほんとにずっと一緒だったから、沢山おしゃべりできていたけど。それでも、もっとお話したかったね。」

・・・この時の母さんの声を、僕は忘れないだろう。聞いたこともない優しい声。その瞬間、彼女は僕の親ではなく、ただ、父さんの恋人だった。その言葉と響きから、愛しさがこれでもかと伝わってくる。なんだよ、大好きかよ。滲んでた涙が勢いを増す。止められない。

親を亡くしたことなんて忘れてしまうほどの切なさが、僕の胸を襲う。こんなに、こんなに愛しく想ってるのに、お母さんにはもうお父さんがいないんだ。

その後も、彼女はずっと愛しげに彼の体に触れ、ポツポツと優しく言葉をかけ続けた。その度に僕はどうしようもなくなって、ボロボロと涙をこぼす。あぁもう、やめてくれよ。辛くて切なくて、逃げ場がない。どんな映画より胸を締め付ける。たまらない。

葬儀社の方々が父さんを黒い車に運ぶまで、僕も彼に触れ続けていた。湧いてやまぬものを注ぐように。

葬儀場の安置所へ着くと、すでに何人かの親戚がかけつけていた。父側の兄弟だ。お兄ちゃん一人に、お姉ちゃんが二人。

お礼を言いつつ畳へ座る。叔父さんはすでに涙をながしていた。叔母さん二人も潤んだ瞳をしている。眠っているこの人は末っ子で、ずっと自分の世界を生きていた。いっぱいいっぱい心配と迷惑をかけて、いっぱいいっぱい愛されてきたのだ。

「へーぼー、早すぎるなぁ」と、叔父さんが言う。泣くときの顎と声の震え方が、父さんそっくりだ。兄弟だな。聞かされてきた叔父さんとお父さんのエピソードに、ほとんど幸せなものはなかったけど、いつも暖かな表情をしていたことを思い出す。

へーぼーというのは、兄弟間の愛称だ。叔父さんがとても小さい頃に、お父さんの名前をうまく言えずにそう呼んでいたことからきているらしい。

このあだ名が好きだった。
僕は彼の親の顔しか知らない。少ない親戚付き合いの思い出のなかで、父さんはいつもしっかり末っ子だった。その空気、彼の顔、周りの暖かな目を感じることが、息子として幸せだった。

彼は本当にメチャクチャで、きっと誰かを支えたりするのはとても苦手だったとおもう。その鎖を、兄弟と共に過ごしている時は手放せているように見えたのだ。昔、父さんと二人で酒を飲んでいた時「俺は本当に滅茶苦茶な生き方してきたから、こうやって、陽ちゃんがいてお母さんがいて、幸せに過ごしているのが不思議でたまらない時がある」と言っていたことを思い出す。その話をすると、また叔父さんのすすり泣く声が聞こえた。

少し時間がたち、職員の方が呼びに来た。母さんと僕、それに嫁さんが場を離れる。

葬儀の説明を受けるなかで、母さんがちゃんと自分達の死語を考えていたことがわかった。喪主は彼女がやることに決まっていたのだ。いつ話し合ったか知らないが、父さんは「俺が死んだ時は母さんの好きにさせろ」と言っていたらしい。親戚達もそれで納得しているという。

安堵感の後、早く言えよ!とツッコミたくなるが、恥ずかしくなってやめる。結局、親は偉大だった。僕は何も知らずに焦っていただけだ。

こういうケースが珍しくないのか、説明はとても分かりやすくスムーズだった。今回の内容はこうだ。


・今の安置所に今夜から明後日朝の出棺まで家族で過ごす。
・その間、来たい人が来たい時間にやってきて、お別れを言っていく。
・骨は拾わない。


正直、とてもいいと思った。大して仲のよくない人が葬儀にきたら顔をしかめるような人間だ。大なり小なり、彼に愛情を持つ人達だけが集まればいい。葬式なんてのは死んだ者と遺された者のためにあるんだ。決して神や仏のためじゃない。父らしく、母らしく。それでいい。

ただ、骨のことだけは他の遺族にも聞かないといけないだろう。これも父さんの希望とのことだが、きっと母の口からでは角がたつし、僕だけが戻って相談することにした。

こういう時の話し方には自信があったけど、あまり上手くできなかった。未だに動揺が抜けてないんだろうか。
それでも、大した反発もなく了承を得ることができた。きっと、父さんならそう言って聞かない姿が想像できたのだと思う。こんなことが自然とまかり通るのは、あんたが愛されてた証拠だよ。

陽が落ちた頃、兄弟方は帰っていった。僕ら夫婦も今夜はアパートに戻り寝ることにする。そう伝えると、母もそれがいいと言う。

「今日は、二人きりでお父さんと一緒に寝るよ。・・・ね、お父さん。」

・・・だから、泣きそうになるからやめろって。

2日目。お姉ちゃんとラインで相談した結果、僕たちは嫁さんを含め私服でいることにした。母さんは言わずもがなだ。これが我が家らしいよね。
この日もとても天気がよくて、葬儀場へ向かう道中、桜が綺麗に咲いてるのが何度も見えた。まったく、やってくれたよ。これから春になるたび思い出すじゃんか。

葬儀場へつくと、母さんは疲れた顔をしていた。朝ごはんに置いていったオニギリはちゃんと食べてくれたらしい。寝れたか聞くと「うん。まぁ2時間くらい。」とこたえた。車内で嫁さんと予想していた通りの睡眠時間だ。そりゃ、そうだよな。

ひとまず、買ってきた小さな普通の花束を父さんの横に添える。寂しげだったのが少し華やかになるけど、いよいよ葬儀感が出てきてくる。

昨晩、僕は家で日本酒を呑んだ。立山のワンカップ。お父さんの好きだったお酒。味わいながら嫁さんと話していると、やっぱり泣いてしまった。あんなに泣いたのに、枯れる気配がない。母さんにその話をすると「わかるよ。私も、昨日はずっと泣いていたもの。」と言った。

ほどなく親戚方がまた来てくれた。昨日と変わらない話を繰り返しながら、ゆっくりと時間がすぎていく。途中、叔父さんがハンディビデオを構えて父さんの眠っている姿を録画しはじめる。息子に送るそうだ。

「へーぼー。兄弟皆で集まったのは去年やったか。あん時は楽しかったなぁ。また集まって、みんなで酒呑もうって、言って、たのに。なぁ。」

また、あの顎の震えかた。
彼の息子は、僕の父さんと一時期共に暮らしたことがあるらしい。とても慕ってくれていた。東京で暮らすその人は、例のウイルス事情で駆けつけることができない。

「へーぼーおじちゃんは、豪快でやんちゃで、俺にとって超カッコいいオジサンでした。行けなくて凄く悔しいけど、こちらからご冥福をお祈りします。」

届いたメールにそう書いてあった。お父さん、超カッコいいってよ。いまは子供みたいな顔で寝ているけどね。 皆が泣いたり笑ったりしながら、あんたの死を受け止めようとしているよ。

買ってきたお昼御飯を食べながら、ポツリポツリと話をする。やっぱり、早すぎるという話がよく出ていた。享年68歳。確かに、早すぎるよな。たまに実家に顔を出すたび老けたなぁと思っていたけど、お爺さんになる前に死んじゃうなんて、思ってなかったもんね。

叔父さん達が帰ってしばらくして、母の姉とその息子が駆けつけてくれた。すぐにうちの母の様子を僕に聞いてきた。少なくとも呆然自失となっているわけではないと伝えると、安心したようだった。

この二人の、誰かを気遣っている時の声色が好きだった。静かに語りかけるように響くのに、しっかりとした芯がある。優しさが耳から伝わるようだ。
母さんと叔母さんは少し相性が悪く、この日も叔母さんは強い言葉を投げかけていた。

「今まではお父さんがなんでも考えてきたけれど、これからはあんたが一人で考えていかなきゃいけないんだよ。陽ちゃんがしっかりしているから頼ればいいけど、甘えていてはいけないよ。」

違うんだよ叔母さん。確かにお母さんは思考やそれを言語化する力、理解力だって弱いけれど、ずっと支えられてきたのはそこで寝ている彼のほうだ。それに、僕はしっかりなんてしていない。そう見せるのが上手なだけだ。今回の葬儀だって、敷いてあったレールに乗っかっただけ。

昨日から何度も、色々な人に僕が近くにいてよかったと言われてきた。そりゃ一人より二人のほうがいいかもしれないけれど、特になにもできちゃいない。
僕がいてよかった。その言葉を聞くたび、胸に重いものがゆっくりと積み重なっていくように感じていた。昔から優しいように振る舞ってきた業が、今になってやってきたのだ。

母さんがトイレに行っている間に、以前から考えていたことを二人に打ち明けてみる。それは中古住宅を買って、彼女と共に暮らすことだ。嫁さんと共に前から話し合ってきたことだった。いずれ施設へ送らないといけない未来がくるとしても、その中継地点として共に暮らせる家を準備しておいたほうがいい。彼女が一人となってしまった今、現実的に進めるべき話だと思っていた。

「それは、やめといたほうがいいと思うわ。」

叔母さんはすぐにそう答えた。家での役割というのは与えるのが難しく、嫁さんとの関係だって悪化する。誰も幸せにならない未来がやって来るかもしれないよ、と。
その考えもないではなかったけれど、ここまで正面から否定されるとは思っていなかった。母の一人暮らしを支えながら、彼女がボケないように支援していく。そんなことが、僕にできるだろうか。そんな風に思っていると、遠くに座ったお兄さんが言った。

「家で役割がないことは、とても辛いものだよ。」

あぁ、やっぱりこの人達は優しい。僕はまた、頭のいいふりをしてしまっていたのかもしれない。

16時すぎ。二人が帰ろうとした頃、お姉ちゃんが旦那さんと娘をつれてやって来てくれた。ようやく、我が家が揃ったのだ。

うちの姉も、母の姉も、5時間以上のロングドライブだ。叔母さんのほうは今から帰るのだから10時間を越える。ありがとうございましたと頭を下げていると、お兄さんは「なにも気にしないで。そんなとこで気を使ってたらもたないよ」なんて、あの声で言ってくれる。かっこいいなぁ、もう。

叔母さんがたを見送り、僕たちは父さんと共に大部屋へ移った。この部屋が父さんと過ごす最後の場所だ。明日の朝10時に出棺し、燃えておしまい。それまで我が家らしく過ごそう。みんな、そう思っていた気がする。

色々なことを話していたけれど、笑い声がたくさんあがっていた。それは悲しいものじゃなくて、いつも通りの笑顔だった。途中、大人だけで盛り上がりすぎていることに姪っ子ちゃんがヘソを曲げ「もう帰りたい」と言い出したくらいだ。ちょっと悪かったなと思って、そのあとは一緒にたくさん遊んだ。盛り上げすぎてしまって、夜になっても一向にテンションが下がらないのには困ってしまったけれど。

お姉ちゃん達がお風呂に入っている間、僕は酒を持って部屋をでた。今日も立山だ。この3日間はこれを飲むと決めていた。階段の近くにベンチがあり、そこに座ってのみはじめる。お父さんがずーっと飲んでいたこの酒は、ちょうどよい旨味を膨らませながら、スッと切れていく。

この日はスーパームーンで、大きなガラス窓からまんまるの月がよく見えた。桜につづき、月までか。ほんと、いい日に死んでくれやがって。
ボーッと酒を味わっていると、喧騒の波が静まっていく。そしてようやく、自分自身の辛さがやってくるのを感じていた。

せっかく去年から日本酒が好きになったのに、立山の美味しさだってわかるのに、ほとんど一緒に飲めなかったな。この間の休み、顔を出しておけばよかったな。もっとしっかり、ありがとうって伝えたかったな。
そんで、照れて笑う姿、見たかったな。

じわじわと涙が滲んでくる。あんなに泣いたのに、どうにも枯れない。アルコールで緩んだ心に思い出が響く。たくさん苦しめられてきたのに、浮かんでくるのは優しい笑顔ばかりだ。

部屋の扉が開く音が聞こえると、嫁さんがやってきた。きっと、1人で呑ませてあげたほうがいいのかなと気遣いながら、それでも心配で顔を出したんだろう。大丈夫、君がいた方がいいよ。

胸にめぐる思いをゆっくりと話していく。ひとつひとつ言葉にしていると、感情が出口を見つけたように溢れてくる。昨日から泣いている姿を見せてばかりだ。でも、彼女はただ聞きながら手を添えてくれる。一番してほしい寄り添い方。ありがとう。好きだよ。

そう、別に傷ついているわけじゃない。ただ辛いだけだ。

姉ちゃん達がお風呂から上がり嫁さんが呼ばれても、僕はベンチを離れなかった。

安置所のお風呂はとても広かった。普段はスマホを持ち込む僕も、この日だけは何も持たずに湯に身をあずけた。泥のように重く、鉛のように硬い体がほぐれていく。昨日からずっと、ずっと緊張の線が切れていない。これほど疲れたのはいつぶりだろう。地獄のような夜勤のあとだって、こんな風にはならない。

洋服を着て髪の毛を乾かすと、心も体もすこしは軽くなっていた。お風呂は偉大だ。いつもそう思う。
部屋にはもう皆が寝ていて、また酒を持って出ようとすると、お姉ちゃんが体を起こした。視線が交わる。うん、僕も待っていたよ。そうだよね。

二人でベンチへ向かった。どちらの手にも同じ酒が握られていた。

母さんから電話を受けたあの時、楽になったと思ったことをまず話した。お姉ちゃんは「うわぁ、わかるわ・・・」と痛く共感していた。お父さんが死ぬまでの経緯と、お母さんがどう悲しんでいたか、どれほど愛していたかを伝えると、お姉ちゃんの目にも涙が浮かんだ。

僕たちはあの人に苦しめられてきた。それでも僕は大好きだったけれど、お姉ちゃんはそうじゃない。ずっと父親を受け入れられないままだった。その理由を彼女は話してくれた。

物心つく前から、母親の宗教が世の真実ではないと気づいていた。会合に連れていかれることが苦痛でしかたがないけど、幼い自分が言っても意見が通らないことは分かっていたから、高校生になるまで我慢していようと思った。それでも、感情はどうにもならないのが人間だ。子供ならなおさらだろう。こんなに苦しまなきゃいけないのは、何故だ。母親のせいだと普通は考えるだろう。でも、お母さんはもとからカルト教の人間だったわけじゃない。

エホバの証人という沼に沈んでしまったきっかけは、父だ。

「この苦しみを創作にぶつけないと、生きていけないと思ったの。そしてそれは趣味程度のものじゃだめだって。だから、美大にいったんだ。」

・・・小学生が考えられるレベルじゃない。何歩先を生きていたのだろう。そんな苦しみをかかえたまま、折り合いをつけられないまま、父親は死んでしまったのだ。彼女にしか感じられない痛みが確かにある。

1時間ほどだったけれど、色々なことを話した。結局、二人のアイデンティティ形成の根っこには、良くも悪くも父さんがいることがわかった。そんな人が亡くなるのは、大きい。

深夜2時。少し前にお姉ちゃんも布団へ入り、起きているのは僕だけとなった。あぐらをかいて座り込む。目の前には、酒と父親。朝からこうするって決めていた。今から、少しだけ二人きり。

最後だ。呑もうぜ、父さん。

何度も寝ているようだと言われたその顔も、時がたつにつれ徐々に死を隠しきれなくなっていった。皮膚の色や唇の質感。なにより耳の奥から広がっていく紫色は、嫌でもこれが死体であると認識させるものであった。

でも、真夜中の暗い部屋では、そんな色はなりを潜めてしまっている。その顔は本当に寝ているようにしか見えない。いまにもイビキをかきそうだ。昨日から覚悟していたことが揺らいでしまう。隣では母さんが穏やかに寝ていて、もう戻らない二人の姿に涙が溜まってくる。

よくないこととは思いながらも、この光景を残しておきたくてスマホを構えた。シャッターボタンを押して画面をみると、真っ暗でなにがなんだか分からない。この絵は、だらしない酔っぱらいの頭にしまっておくしかないのか。

やりきれないなと、酒を呑む。父さんを見つめていると、愛しさがふつふつと湧いてきて、つい手を伸ばしてしまう。今日だって何度も触れて分かっているはずなのに、その頬はあまりに冷たくて胸をドキリとさせる。

小さくため息をつき、また酒を呑む。じっと父さんを見つめていると、やっぱり体温を錯覚してしまって、馬鹿だと思いながらもう一度手を伸ばす。分かりきった冷たさに胸を刺され、僕はどうしようもなく辛くなってきてしまう。

あぁもう。なんだよ、死んでるじゃんか。

「・・・嫌だなぁ」と、思わず呟いた。そうすると気持ちの蓋が空いてしまって、涙がこぼれる。ぼやけた視界では余計に寝ているとしか思えなくて、自嘲しながらまた手を伸ばす。

触る。冷たい。死んでる。でもここにいる。いや、ここにいない。あぁ、でも、父さん。・・・お父さん。

昔、二人で呑んでいたとき、僕が後輩の指導について話していたら、父さんが静かに泣いたことがあったね。きっと、成長が嬉しかったんでしょ。僕、一回死にかけているものね。あの時、なんだか嬉しかったんだよ。だからもっと、僕で泣いてほしかった。

こんな風に、泣かされたくはなかったよ。

前に友達が「旦那が死んだら私は骨を食べる」と真剣に言っていた時、共感したことを思い出す。自分のなかで存在を感じていたいってことだろう。けど、今はそうは思えない。

ここにいてほしい。耳が紫色でも、どれだけ冷たくても、ここで寝ていてほしいよ。

買ってきた立山が無くなるまで、僕は父さんを見つめ続けていた。

3日目。重い体を起こすと、皆はすでに着替えもすませていた。布団を片付けテーブルを戻し、朝ごはんにする。母さんの友達がもってきてくれた沢山のおこわを皆で食べた。

その後、荷物の片付けなどを済まし、姪っ子と遊んでいるうちに葬儀社の方がやってきた。出棺の時間だ。
母さんだけが葬儀社の車に乗り、僕達はそれぞれの車で現地へ向かった。20分ほどのドライブだっただろうか。この日もよく晴れていた。いい朝だった。

火葬場につき、車を降りる。ホールへ向かう途中、中庭に綺麗な垂れ桜が咲いているのが見えた。今日、ほんとうは夫婦で花見をする予定だったらしい。母さんに行こうよ行こうよと誘われながら、予定を先伸ばしにしていたのだ。出不精なんだから、もう。

職員の方に案内された先には、棺に納められた父さんがいた。家族でそれを囲んで見つめる。これで、本当に最後だ。

皆、少しずつ彼に触れる。母さんはやはり愛しげに語りかけていたが、病院の時のような悲痛さはもう感じなかった。僕も繰り返してきた言葉を、最後に捧げた。ありがとう、大好きだよ、と。お姉ちゃんは、なにも言わなかった。

職員さんは頃合いを見計らっているのだろうけど、僕たちはお別れのタイミングを掴めずにいた。これで最後なのだから、我が家らしく笑って見送ってあげたい。でも胸は苦しいし、うまい冗談も思いつかない。

名残惜しさに動けずにいると、母さんが彼の額に手をあてて言った。

「・・・熱はないわ。」

皆、吹き出すように笑った。いつも通り大きな声で笑った。最高かよ。

棺は閉じられ、火葬炉へと向かう。僕たちもその後ろをゆっくりと歩いていった。

ひとつだけ開いた炉の前で職員さんは立ち止まり、こちらを振り返る。これから焼きますよということを、とても丁寧に伝えてくれた。冷たくも暖かくもない声色がちょうどいい。

母さんが「よろしくお願いします」と言い、僕らも頷く。そして無機質な炉へ収まっていくのを、並んで見送った。
静かな終わりの光景。横では、お姉ちゃんが涙を流しているのがわかった。

そして、炉の扉は閉まった。

遺体が骨になるまで、1時間ほどかかる。それまでは待ち合いでゆっくりしたり、迷いこんできた野良猫を皆で眺めたり、中庭へ散歩にいったりした。池にはオタマジャクシがたくさんいて、姪っ子と一緒に楽しく眺めた。垂れ桜が綺麗だから、家族で写真を撮った。

穏やかな時間が流れた後、焼き終えたことを伝えられ、場所へ向かう。

そこには、博物館に飾られているような遺骨があった。これを見たらまた泣いてしまうんだろうなと思っていたけど、不思議となにも思わなかった。体が大きかったから骨も大きいなぁくらいの感想だった。後から聞けば、皆そうだったらしい。

心拍停止のブザーや、花束と共に眠る顔、死体として変わっていく姿。色々なものが死を伝えてきた。3日かけ、それを受け止めてきたのだ。炉の扉が閉まった時点で、僕たちの葬儀は終わっていた。

こうして、我が家の迷惑大王は、灰となって消えた。

令和2年4月6日からの、人生で一番ながい3日間の記録。

忘れない。さよなら、お父さん。大好きだよ。


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