オタク、愛について考える

誰になんと言われようと、笠原かなは俺のすべてだ。


だいたい毎週土曜日午後18時、俺はこの繁華街の近くに立っている外観がやたら怪しげなビルの地下に潜っている。

地元を中心に細々と活動をしているいわゆる「地下アイドル」のグループ・ティーンエイジドリームを応援するためだ。


「どうもこんばんはー。ティーンエイジドリームの清楚系担当・笠原かなです!」

かなちゃんの自己紹介に合わせてオタクがおたけびに近い声をあげる。中には「リフト」と呼ばれる周囲の人々に肩車をされながら体をのけぞり、自分の存在をアピールする輩もいる。

そんな奴らを後ろからあざ笑い、かなちゃんから一時も目をそらさない俺は特別な存在だ。


三年前、以前推していた女の子のライブを見に行き、かなちゃんを初めてみた。その時の衝撃は忘れられない。
俺はこの子の人生を応援するために生まれてきた。世界一かわいいこの子の笑顔を見ていたい、そのためならなんでもする。金も、労力も、時間も惜しくない。それから三年間ずっとかなちゃんだけを推し続けいている。 


「特典会にうつりたいと思いまーす」

スタッフの一声で先程まで我を忘れて熱狂していたオタクたちがおとなしく列を作りはじめる。これから、自分の好きなメンバーとお金を出して写真が撮れる時間なのだ。

もちろん俺も列に並びかなちゃんとの時間を待つ。好きな女の子との一瞬を待っている時間はなんて甘くてドキドキして胸が苦しい時間なんだろう。ここがオタクたちの汗のすえた匂いで充満した暗くて汚い箱だと忘れそうになる。

「あ、こうたんだー!今日もありがとう」

俺の順番が巡ってくるとかなちゃんはそう言って嬉しそうにほほ笑む。今日のライブは音響もダンスのキレもイマイチで若干がっかりしたがこの笑顔を見るためならあんな時間にいくらでもお金出してやる。

かなちゃんがはまっているというお菓子を差し入れして、それを持ちながらふたりで写真を数枚撮った。

この写真はもちろん専用のアルバムに保管して、いつでもつらい時に眺められるようにしている。

「こうたんまたねー」

かなちゃんとの夢の時間が終わってしまった。さっそく今日の写真の写り具合をチェックしていると背後からおつかれさまです、と声がする。

振り向くとオタク友達の源さん、つよしくん、サヤちゃんがビールジョッキを飲むような仕草で笑っていた。

源さんは家庭ありお子さんはもう中学2年生のサラリーマン。つよしくんは地元でそこそこ名のしれた大学の3年生。サヤちゃんはアイドルになりたいフリーター。

この3人は古くからティーンエイジドリームを応援し続けているいわば同志であり、この人たちと過ごす時間はなかなかに楽しい。


「いやぁ、今日の音響は最低でしたね」

「本当に・・・メンバーが気にしてないといいんですけど」

「そういえばかなちゃん、今日ダンスのキレ悪くなかったッスか?あおいちゃんとみりちゃんでフォローしてましたたけど」

「つよしくんも気が付いた?今日ちょっと調子悪かったなぁ」

「女の子にはいろいろあるもんですよ」

「サヤちゃんが言うと説得力!」

いつもの店でいつものライブの感想会。

このおかしな空間が生き甲斐だといったら、遠くに住んでいる両親や昔一瞬だけ付き合ったが何もできなかった恋人、地元にいる、一生懸命仕事をしている友人たちはどう思うだろうか。

「そういえばこうたんさんは最近どうなんですか?仕事見つかりました?」

胸がヒヤリとした。

俺は3か月前に飲食店の仕事をクビになっている。サービス業という職業柄、暗黙の了解で休み希望を出せないことなんてわかりきっているのに、無理を通してすべての希望した休みをほぼすべてかなちゃんに費やした結果だ。


「や、探しているんですけどなかなかみつからなくて」

嘘だ。本当は日雇いのバイトで食いつないで探してなんかいない。


「どうせならなんていうか、大きなことに挑戦したいなとも思うんですよねー」

俺にできる大きなことなんてきっと誰もが簡単にこなせることだ。


「まぁ自分らしくがんばりますよ」

俺らしく、なんてどこにもない。社会にでたらただのさえないオタクだと自分が一番わかっている。

「そうですか、がんばってください」

源さんの優しい笑顔でこの話題は終了したが冷や汗が止まらない。こんな時、自分はいったい何をしているんだと思う。


へこんだ日は、かなちゃんのメッセージ入りTシャツを抱きしめながら寝る。宝物のこのTシャツは普段は真空パックの中で保存し、誰にも見えないところにしまってある。俺の部屋に人が来たことなんてもう何年もないけど。一応。

かなちゃんがいればいい、かなちゃんを応援するためだけに俺は今ここにいる、大丈夫と布団のなかで繰り返し、繰り返しつぶやく。

かなちゃんへは出会った習慣から無償の愛を注いでいるのだ。

こんなクズな男を見てくれなくてもいい、手なんて妄想の中でしかだそうと思わないからそこらのオタクと一緒にしないでくれ、俺の批判まみれのTwitterなぞ見なくてもいい、ただかなちゃんがアイドルをやっている限り、俺は君を愛し続ける。

かなちゃんが大事だから俺は生きていける。


大切なお知らせ

このひとこと、ある特定のグループを応援してきたものにとっては恐怖の文言だろう。オフィシャルサイトのページを開くと、そこには笠原かな卒業のお知らせが淡々とした文章で書かれていた。

すぐさまTwitterを開くと同じようなオタクが悲しみの声をつぶやいている。「マジかよ」「かなちゃんいないとか無理」「ティネジ終わったな」「かな男できたか」。わかち合えない、お前らとは違うと思ってきた人たちのひとことひとことに涙がでる。俺もお前らと同じだ。

俺の純愛はいつかは終わるもの。かなちゃんがアイドルでいてくれれば何もいらなかった。ただ笑顔を見続けれればそれでよかった。しかし今、かなちゃんに対する愛が条件ありきだったことに気付く。


俺の愛してきた笠原かなはどこだ?誰だ?本当はそんな人はどこにもいなくて、すべて俺が作り上げた概念でしかないじゃないか。本当のかなちゃんはどこだ。人間の本当はどこで、どこを愛せば本当の愛なんだ?
街にいる、お互いの欲望をぶつけあっている恋人たちと俺ら、何がどう違って何が本物の愛だ?俺にはわからない。かなちゃんがただ好き、ということが俺のすべてだった。しかしかなちゃんがアイドルでなくなってしまう以上もうかなちゃんを見ていられないことも、26歳無職のどうしようもない俺にはわかっていた。

つよしくんからの「大丈夫ですか」というメッセージに「大丈夫たよ」という気のない返事をして匿名掲示板のティーンエイジドリームの欄を探す。かなちゃんに関する噂はいくつもあって留学だの就職だのから、妊娠や実はマネージャーとできていた説まで根も葉もない噂に吐き気がして、しかしそれをひとつずつ丁寧に読みふけった。信じているわけではない。ただ、かなちゃんの存在にリアリティを持たせるだけに一日中パソコンの前で背をかがめていた。


卒業ライブのかなちゃんはひどく泣いていた。

「将来、英語を使える仕事につきたいため留学をし、学業に専念する」といった趣旨のブログを更新したかなちゃんに誰も何も言えなかった。彼女の人生を生き甲斐にするのは勝手だが彼女の人生は誰にも操作できないのだ。

いつもは後ろのほうでみていたライブも、今日だけは最前列を死守した。そこでみるかなちゃんは誰よりもきれいでかわいく神々しかったと同時に、ただの女の子であった。魔法が汗となり溶けていく。

「本当に、今までかなを応援してくれたファンの皆さまには感謝しています。ありがとうございました」

深々と頭を下げるかなちゃんを多くのファンが言葉にならないおたけびで祝福した。ありがとう。かなちゃんありがとう。

その日俺は持っていた全財産をかなちゃんとの写真に費やした。かなちゃんにとっては晴れ晴れしい門出だとしても、俺にとっては愛する女の子のお葬式だ。3年間愛し続けた虚像の。

「こうたん、こうたんは本当に最初からずっと応援してくれてて…かなにとってすごく支えだったんだよ」

悲しげな声を出しながらもいつもの表情なかなちゃん。かなちゃん、今本当は別のこと考えてるでしょ。3年間もお前しかみてこなかったからわかるんだよクソ女。

その顔を見た瞬間、最後ぐらいかなちゃんに悪態をついてやろうと思いしぼりだした言葉は

「やめないでよ」

のひとことだった。

かなちゃん、どこにもいかないで。俺の側にいて。大好きだ。何も返してくれなくていいから、そばにいて。

「こうたん、こうたんはうまく言えないけど大丈夫だから。こうたんのこと忘れない。たくさん優しくしてくれたのも、お菓子とかもらったのも、ツイッターで厳しいけどちゃんとわたしを見てくれてたのも忘れないから」

みっともない。
大の男が泣いてすがって年下の女の子に慰められている。仕方ないんだ。誰に何を言われようとも笠原かながこの世にいることが俺の誇りだったんだ。

「ごめん、こうたん、本当にありがとう」
「…かなちゃん。本当にありがとう。ありがとう。」

アイドルがオタクに絡まれて困っている図にしかみえないだろう。俺はかなちゃんに最期の別れを告げた。またいつか会おうね、ってかなちゃんは言うがそんなことが一生ないこともわかっている。
俺という人間も、笠原かなという人間も薄情なもので数時間、数ヶ月、数年も経てばきっとお互いのことは忘れてしまう。あんなにかなちゃんしか考えられなかった俺は別の推しをみつけるんだろう。かなちゃんは自分が最高にキラキラしたアイドルだったことを忘れてしまうのだろう。

フラフラとかなちゃんから離れて出口の方向へ向かう俺をいつもの三人は心配そうに見ていた。「すみません、今日は…」と会釈を交わしライブハウスを出る。暗くて汚い狭い箱。俺の3年分のエゴがうずまいている場所。


ここですんなり帰れればカッコよかったのだろうが、駅のホームに降り立った俺は電車賃がないことに気がついた。
有り金をはたいた上、こんなときの交通ICカードには数十円しかチャージがない。最悪だ。どうしよう。
それでも誰かにこんな自分を見せたくなくて、結局その10何駅を歩くことにした。かなちゃんの大丈夫を信じて。何が大丈夫なんだよあの女。ちくしょー。

5駅ほど歩いたところでのどが渇き、辛うじての缶ジュース一本代をはたき自販機の前で休憩することにした。
5駅歩くなんて、26歳無職のオタクにはとんでもない運動量だ。

「あれ」
自販機のぼんやり薄く弱々しいライトの下で、今日撮った写真たちを眺めていると一枚だけ笑っていないかなちゃんがいた。
そこには口をまあるく開けたマヌケな顔で、両手でこぶしをつくり顔の近くまで持ってきているかなちゃんが写っていた。

「あ」
その写真はいわゆるファイティングポーズだった。「がんばれ!」って言っているかなちゃんが脳内再生できる。

俺は彼女のことが大好きだった。が、無償の愛をくれていたのは彼女の方だったのかもしれない。
お金を払っているから、ファンだから、それだけのことでそれ以上も以下もないとわかっていても、俺は名も知らぬただ冴えないどうしようもない男に光を与え続けるなんてできない。かなちゃんにはそんなつもりなくても、俺にとっては最大級の愛だ。かなちゃんというアイドルが俺の光でその虚像こそが俺の愛だ。

「きもちわり」
オタクという人種の気持ち悪さに思わず笑ってしまう。これって痛すぎる。俺が今までバカにしてきたどんなオタクよりも痛い発想。
それでも、誰かにわかってたまるか。わからなくていい。わからなくていいから、この瞬間だけは何年経っても、俺がかなちゃんを忘れても消えないでくれ。

気の抜けたコーラを飲みながら、俺は明日からはじめる就職活動のことを考えて歩き出す。
俺の愛なんて永久じゃないしかなちゃんが俺のことを思った時間なんて一瞬だ。それでもその一瞬一時さえあればきっとこのままうまくやっていくことができる気がする。社会にどんなに殺されようと。
好きなんてなくても愛だけはここにある。愛は俺だけのものでつまりは俺のエゴでしかなくて、それでも愛は光だ。

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