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吉田松陰と噺家の物語『幕末サンライズ』

劇団さるしばい『幕末サンライズ』を観てきた。
吉田松陰と噺家、柳亭燕枝の物語。

【あらすじ】
浦賀沖へ黒船が来航し、及び腰になりつつあった江戸幕府。泰平の世が徐々に揺らぎ始めたそんな時代に、自分の噺家としての矜持を貫き通そうとしていた柳亭燕枝という男がいた。その燕枝の元に、一風変わった弟子入り志願者がやってくる。その名も吉田寅次郎、後の吉田松陰である。雄大で自由奔放、そして楽天的な寅次郎の、まっすぐな生き方が、悲しくも色あざやかに日本の夜明けを変えていく。

幕末を駆け抜けるように生きた、偉大な先生と、その教え子と、友のお話。

「幕末サンライズ」配信チケット購入サイトより

タイトルにもあらすじにもある通り幕末の動乱を描いたお話であるが、それよりもお笑いファンとして共感してしまう場面が多かった。お笑いファンと言うか特定の芸人さんのファン、特に漫才コンビ三拍子ファン。

※※以下ネタバレあり※※

物語の中心人物である燕枝師匠は「日本中をおもしろくしてやる!」と笑いで平和を目指す。
国中の人が笑えば争いもなくなるだろう。自分は侍や役人と違って何のしがらみもないから出来ることがある。
幕末の不安定な時だからこそ、笑いが必要だと寄席に立ち続ける。

吉田松陰は燕枝師匠の落語に魅せられた1人。疲れた時、苦しい時に燕枝師匠の落語を見て笑いの必要性を知る。
江戸から遠く離れた場所にいる時も燕枝からもらった落語の本を読んで笑い、周りの人に笑いの良さを説く。(今で言う芸人オタクの布教活動ですね。)
イキってる弟子に対して「頭を空っぽにして肩の力を抜いて何も考えずに笑うんだ。」と優しく諭す。

動乱期の日本で吉田松陰は最後まで真っ直ぐに自分の信じることを貫き、燕枝の笑いは最後の最後まで彼の支えであり救いとなる。

一方、燕枝は迷う。
客が(世間が)求めることをやるのか、自分がやりたいことをやるのか。
物語の冒頭では燕枝は観客が少なくとも自分のやりたいこと(滑稽話)をやっていたのに、動乱期を通じて世の中を変える為、人々を動かす為の落語をやるようになる。「これが自分の尊皇攘夷だ。」と。

彼のライバルである噺家も、彼の一番弟子も滑稽話はおもしろかったと口々に言う。吉田松陰が惚れたのも滑稽話だった。

世間が求める落語をやることで観客は以前よりも増えるがー。


全てが全て重なったわけではないが、「笑いで国を平和にする」は三拍子も「漫才で世界平和を目指す」を目標として掲げている※ので聞いた瞬間に胸に来て涙目になった。

(※このことが書いてあるインタビュー記事がどこかに無かったかと思い探したが見当たらなかった。各種配信等で何回も言及されている。)

燕枝も言っていたように国中の人たちが笑っていれば争いは無くなるだろうし、吉田松陰のように笑いで勇気づけられ力をもらった人が事を成すかもしれない。笑いは間接的にも世界平和に向けて人や国を動かす力となる、かもしれない。少なくとも物語の中ではそうなっていた。

舞台の最初の方でこの台詞を聞いてしまったので、それ以降も燕枝と三拍子が重なって見えてしまう。



燕枝オタクの吉田松陰は最期に燕枝の落語を聞きながら斬首される。
その落語の題材は吉田松陰の生き様。

想像してみてほしい。

自分の死の間際に推しが駆けつけて自分を題材にしたネタを自分の為だけに即興でやってくれる。

オタク冥利に尽きる。

感動と哀しさで号泣しながら「マジで羨ましいな。」とも思ってしまった。

吉田松陰が落語の台本を読んで爆笑する場面を見て「私も三拍子の漫才台本をバスや電車の中で読んで笑う。わかる。」と思ったり、すぐさま弟子達に布教する姿を見て「わかる。」と思ったり、大変な時に落語を見たり台本を読んで笑ってるのを見て「わかる。」と思ったり、「頭空っぽにして肩の力を抜いて(略」のセリフを聞いて「それが一番お笑いを楽しめる。わかる。」と共感する場面が多々あった。脚本を書いた方は芸人オタクなのだろうか。

幕末の動乱や人々の葛藤よりもこっち(お笑い)方面に共感と感動を強く覚えたのだが、果たして芸人さん側はこれを見て何を思うのか。

気になるところではある。




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