私にとっての「平和」の定義について考えてみた
Life on Fire, Share your peace
昨夜、とあるYoutube生配信を見てから今日はずっと「平和ってなんだろう。」と考えていた。
一般社団法人CARBONE BANKによる笑いを交えて楽しく「平和」について向き合おうと言う趣旨のもと行われた生配信。
何をやってる団体なのかも分からなかったが、初回配信ゲストに三拍子の高倉さんが出演するということだったので見ることに。
また、CARBONE BANKの代表は私が毎週見てる三拍子のYoutube生配信番組『生漫DAY』のスタッフでもある。
この概要欄にある通り、日本を含む世界各地で平和を探求する人々が登場し、自身の活動や平和について話をする。ウガンダとZOOMをつないで現地のバンドが伝統的な歌を披露する時間もあり、取り扱う話題は真面目だが楽しくおもしろい配信だった。
最後には世界各地の人々が「平和とは何か」を一人ひとりの言葉で語る。
それらを見ているうちに、平和について考える機会が今までなかったことに気が付いた。どうして戦争は起こるんだろうとか、どうしたら戦争が無くなるんだろうとかは考えたことがある。だが平和そのものについて考えたことは無かった。
配信の中で語られた平和の定義はどれもその通りだと思う。
だが、私にとっての平和とはなんだろう。
…というのを今日ずっと仕事をしながら考えていた。
一応結論が出たので書き残しておこうと思う。
平和とは「お腹の底から笑えること」
配信中に真っ先に思い浮かんだのが「お腹の底から笑えること」
今日一日考えて出した結論もこれ。
だがそこに至るまでにぐるっと遠回りして考えた。
平和とは何かについて考えた時に、上のようなものが思い浮かんだ。
なぜ私はこれらを平和だと思ったのだろうと考えたら、平和ではない状況(戦争)において出来なさそうな物事だと言うことに気が付いた。
どれも命を守ることを最優先にしなければならない状況では困難なものだろう。
平和についての考え方として戦争を想定するのは正しいのだろうか。
そもそも「平和」の言葉の意味って何…?
調べたら先に「戦争」があって、その後に「平和」という言葉が生まれたらしい。
「戦争のない状態」が平和ならば、まさに今私がいる周辺は平和そのものだ。手の届く範囲にも肉眼で見える範囲にも戦争はない。私は平和の中に生まれて育ち、今ここにいる。
だからこそ「平和とは何か」などと考えて来なかったのだろう。
でも私なりの平和の定義を考えたいと思い、思いつく平和を象徴するものの中で最も重要なものは何だろうと考えてみた。
そうしたらやはり、一番最初に思いついた「お腹の底から笑えること」が私にとっての平和だった。
思いっきり笑うには必要なものがある。
笑わせてくれる人、モノ。
それらに触れる場所、環境、時間。
健康な体と体力。
笑う余裕のある心。
笑うことが許される環境。
どんなに笑いたくても1人で笑うことは出来ない。(思い出し笑いや空想でお腹の底から笑うことは難しいだろう…中にはいるかもしれないが。)
お笑い芸人さんなど笑いを生み出す人達の存在は不可欠。
彼らがパフォーマンスを見せるための場所も必要だ。ライブ会場、テレビ番組、ネット配信、どんな形であれ場所と観客がそこにアクセスする手段が無ければ見に行くことは出来ない。
疲れ切っていたり、心に余裕が無ければ笑うことも難しいだろう。
安心して笑うことが出来る環境であることも重要だ。
「笑う」と言う行為に必要な物事は戦時中には得難いものばかりだ。
自分自身だけでなく、笑わせてくれる人達、場を提供してくれる人達にも健康で安全でいてもらわないといけない。
「お腹の底から笑えること」に辿り着くには平和は必要不可欠だ。
三拍子の高倉さんは2026年に武道館で単独ライブを行うことを目標としているが、その先に世界平和を目指していると言う。
決して夢物語ではなく、人を笑わせることは世界平和へ続く道なのではないかと思った。
お金をください。