【長編小説】異精神の治し方「境界治療」.2
異精神者は沼田記念学校への入学が義務付けられている。
その薄汚れた校舎は、壁に囲まれていた。屋上から見ると、綺麗な円を描いているのが分かる。壁は三メートルの高さで、扉はついていない。この壁の存在理由は、二つある。
教壇に立っているリコが訊く。
「ここ、沼田記念学校が壁に囲まれている理由は、二つあるけど分かる?」
その質問は当然私に向けられたものだ。なんせ、この教室にはリコと私しかいない。
壁に囲まれている二つの理由。もちろん知っている。
一つは患者が逃げ出すのを防ぐこと。とは言っても、この壁の中は、大抵の物は揃う訳で、わざわざ出て行こうとする人なんていないのだが。
もう一つの理由。どうやら、こっちが本当の理由らしい。カオルもそう言っていた。あの壁は、患者が物質化の後に羽化した際、その被害を壁の内側で抑えてくれるらしい。。
だけど、素直には答えてやらない。
「知りません」
「ねえ。知りませんばっかじゃ治療にならないよ」
リコは微笑んでいる。もう随分と長い時間、こんな問答を私達は繰り返している。なのに、リコが怒り出さない。流石セラピストといったところだ。よっぽど私の方の余裕がなくなって来てる。
でも、リコとちゃんと話す気にはなれない。こんな精神状態なのに、物質化が起きないのが不思議なくらいだ。
なんで私はこんな意地悪をしてしまうのか。
「私がセラピストなのは嫌?」
「別に」
リコの治療は全然嫌じゃなかった。むしろ、ここまで私のわがままに付き合ってくれている。そう思えば、むしろ親愛な気持ちが湧いてくる。なのに、口を吐いて出るのはやっぱり身勝手な言葉だけだった。
合わないようにしていた視線がぶつかった。その一瞬をリコは見逃さなかった。
「ねえ、ニーコ。もしかして、カオルのことを考えてるの?」
その一言は、寝床を見つけた猫のように、堂々と私の中に居座った。
それで、段々と分かってきた。きっと、リコが私に治療をすれば、カオルとリコがどんなことをしてきたのか分かってしまう。それが嫌だった。
バン。
最後の抵抗で机を叩いてみる。そして私は無言で部屋を出た。誰も追いかけて来なかった。
オアシスは、その名前からは想像出来ないくらい薄暗い。ジメジメしている。その部屋は地下にある。
搬入用のトラックが停まる入り口の近くに、オアシス行きの扉はあった。ドアを開ければ直ぐに階段がある。
私はその階段をゆっくり降りている。足元が暗くて転びそうになる。
ひんやりとして夏には丁度いい。どこからともなく水が滴る音が聞こえてきた。もしくは気のせいかもしれない。
入り口の方が見えなくなってきた辺りで手すりがなくなった。階段も加工が原始的になっていき、ぐにゃぐにゃと曲がった道になる。
広い空間に到着する頃には剥き出しの石が階段っぽい段差を作っているだけだった。
最後の一段を降りて、私はオアシスに入った。
洞窟だ。そう呼ぶのが方が正しい。学校の階段からこんな生身の洞窟に辿り着くのは不思議だ。異世界に迷い込むファンタジーみたいで。
ここにカオルが居る。
カオル以外にも、クラスⅣになった人達はここに連れて来られる。沼田氏によれば、この場所では物質化のリスクが極端に低くなると言うことだ。
私にも分かる気がする。地下という空間は、ちゃんと孤独になれる気がするからだ。きっとここに入れば誰にも傷をつけられる事もないと思えるし、人を傷つけることだってない。
だから、まだレベルⅣじゃない私がここに来てしまうのは、いけない。
だけど、じっとしていられなかった。
だって、リコがここに来るのを見たから。
心臓がドキドキとした。血の気が引いた。なぜ、カオルの側にリコが居なくちゃいけないのか。
だから、後を追うように階段を降りた。
オアシスに来るのは始めで、カオルがどこに居るのか全く分からない。とにかく、耳を澄ましてみる。
ポツ。
水が滴る音だけが聞こえる。
ポツ。ポツ。ポツ。
一定のテンポを守りながら、心地の良い音は響き続ける。
手がかりは無い。何となくその音のする方に歩いた。
部屋らしい場所は見当たらなかった。剥き出しの岩だけ。他の人にも全く会わない。今、レベルⅣはカオルだけなのかもしれない。
色々と考えながら歩いていると、ひそひそと喋る声が聞こえてきた。
その声は、紛れもなくリコのもので、何を話しているのかまでは分からないけど、カオルに向けられた言葉であることは確かだ。何故かそのことが分かる。
今まで以上に足音に注意した。絶対にリコにバレない様に。
これからリコがカオルにすることは、あくまで本当に起こることじゃないといけないから。私が居ると分かれば、きっと嘘になってしまう。
見たくないけど、事実を知らないのは耐えられない。
だから、バレないようにゆっくりと歩いた。
壁に、人が通れるくらいの隙間があった。光が漏れている。
近づいて中を覗いた。カオルが椅子に座っていて、リコは立ったままカオルと向かい合っている。
二人の横顔が、近い。
リコはその顔をさらに近づけていく。
ただの野次馬が見れば、あまりにも焦ったい速度。
けど、私はそれ以上は見たくない。ここで私が姿を現せば、きっとその先を見なくて済む。
だけど、じっとした。曖昧にしたくなかった。
絶対に二人に見られない様に。そのつもりなのに、二人の唇がくっつきそうになった時、私は思わず声を出した。
本当に小さい声だったはず。だけど、思わず出てしまったのは、カオルが気づいてくれるかもしれないという淡い期待だった。
こっちを見たのはリコだった。そして、そのまま目を閉じて、
リコはカオルとキスをした。
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。