産声

 卯年乙女座成年芳紀わたしはその日確かに嘘をついた。生涯清廉善因善果で決して嘘をついてはいけないと母は繰り返し言ったのを、わたしは忘れないで大人になった。橙が黒に染まる頃、生命を捧げようとした男とわたしは性交渉に近い誓いを交わしたがその際わたしが吐いたものは紛れもない嘘であり、黒々の空を吸い込むようにして肺に黒煙が充満し、雷が弾けるように受胎した。
 秋の星空が綺麗だった夜、わたしは確かに出産した。嘘を吐いた口から入り込んだ何かが奥歯食道胃腸を通過して、わたしの身体を突き破って外の世界を求めた。美由紀ちゃんが激痛を伴うと言っていたから酷く怯えたけれど実際は大して痛くなくて、お医者様が優しく「荒唐無稽口中雌黄」にこにこしているのが嬉しくてわたしは確かに笑っていた。
 燦爛赫赫煌煌とした真白い光に包まれて笑い声の中で産声もあげず生まれた赤ん坊はまだ成長しきっていなくて、外に出すのは早すぎて、人だと判断するのも難しいくらいだった。真っ黒で、親指程度に小さく、過度に乾燥してミイラのように見えた。川辺に打ち捨てられた小石にも思えたが人間である証明のようにカサカサとした臍の緒が伸びていた。確かに顔があり、小さな目と口が炭のような皮膚に埋もれていた。
 美由紀ちゃんが出産は幸せだって言ってたけれど、わたしはどうしてもこの黒々を愛せる気がしなくて悲しくて切なくて美由紀ちゃん、美由紀ちゃん…。美由紀ちゃんを孕ませた白濁の毒素。美由紀ちゃんを変質させた肥溜めみたいな男。「お母さん、子どもが出来たの」途切れ途切れの電波に乗って母の怒り声が踊り、喉が締め付けられるように縮んで呼吸を止めた。躊躇逡巡凄凄切切のわたしに吐き出された煙臭い赤子!母になった美由紀ちゃんがわたしを呪うように笑い、祖母になった母がわたしを祝うように泣いた。回る秋空。

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