ユカちゃんへ

 わたしの大好きな男には心臓がない。そんなことにわたしは全然気づかなくて、ある日初めてのキスをして、抱きしめたときに「あれ?どきどきしてないな」なんて馬鹿みたいなことを考えてしまってそこで発覚したことなのだった。彼はどうやら生まれつき心臓を持たない男のようだった。「心臓があって良いことってなんだい?」と聞かれたので、わたしは「うーん、なんだろう。時間を測るのに便利かな?」なんて返してしまった。わたしは大好きな男の前で、馬鹿なふりをするのが好きだった。
 わたしの大好きな男はわたしのクルクルの金髪と、ふりふりのスカートが好きだった。わたしの性格の明るいところと、声が高いところと、目の大きなところが好きだと言っていた。わたしは彼がわたしをそういう風に見ていることが好きだった。
 ある日どしゃ降りの雨に見舞われた。毎朝1時間かけて巻いている、わたしのクルクルの髪の毛は湿気でめちゃくちゃになってしまった。ふりふりのスカートはぐっしょりと濡れて、肌に張り付いて気持ち悪かった。わたしは大好きな男がこんなわたしを見たらなんて言うだろうと考えた。
 まずはこう言うだろう。「きみは別人に見えるよ」と。それから優しくハグをしてくれて、「それでも好きだよ。きみの綺麗な声が好きだよ」と言うのだ。わたしはそこでふと考えた。わたしの声が潰れてしまったらどうだろう?
「きみの綺麗な瞳は変わらないから、声が出なくなっても好きだよ」想像の中の彼は変わらない笑顔で言うのだ。わたしは自分の目を潰して、ぐしゃぐしゃになった顔を想像した。
「きみの明るい性格は変わらないから、目がなくなっても好きだよ」彼はぐしゃぐしゃのわたしの顔に目もくれず、そう言って笑った。じゃあ、わたしの本当の性格を知ったらどうだろう。わたしは本当は全然明るくないし、ツイッターの裏アカウントが2個あるし、そこでは愚痴と政治の話をしている。
「きみの中身がどうであれ、ぼくはきみが好きだよ」彼が優しくそう言って微笑み、わたしの頭を撫でる姿を想像したが、彼の手はわたしに届くことなく空中でぴたりと停止した。
 たぶん言わないなぁ、とわたしはぐしゃぐしゃの髪の毛を手で梳かして考えた。きみは絶対にそんな風には言わない。きみのハグはいつだって心臓の音がしないし、きみは馬鹿な女の子が好きだし、わたしはきみの前で馬鹿なふりをするのが好き。あーあ、どうしようもない話で、つまんないこと聞かせてしまってごめんね。ユカちゃんには何でも相談しちゃうけど、わたしたちもう別れた方がいいかなぁ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?