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いろんなことば。


その国にはその国の言葉がある。

その職業にはその職業の言葉がある。

その地域にはその地域の言葉がある。


もっと詰めれば、
その会社の言葉、その家族の言葉、
そのカップルの言葉、その仲間の言葉がある。

自分はいつも同じ日本語を話しているつもりでも、
それぞれの場面で使う言葉を取捨選択している。

相手の言葉を理解できて
自分の言葉も理解してもらえて、
共有の言葉がたくさんあり、
それを気ままにやりとりできることは、
よく考えてみたら、とても幸せなことだ。


違う側面からいうと、
長い時間同じ言葉ばかり使っている場合、
(同じ場面に居続けた場面)
ふと初めての場面で言葉がおぼつかなくなる。

それはなぜか。


たとえば音楽好きのひとが、
初対面の人に自分の好きなバンドの話そうとすると、
『どうせ〇〇なんて知らないだろうから、
もっとメジャーな△△の話題を出そう』
と考えたりする。
そうやって気を使うと、
『やはり〇〇も△△も分かり合える人間と話す方が楽しい』となる。

分かり合えるひととは
使い慣れた言葉だけ使っていればいいし、
分かり合える臨場感に溺れていれば穏やかで楽しいのだ。

だけど、
その場面ばかりに溺れていると、
初対面の人やジャンル違いの音楽ファンとの言葉を、
次第と忘れてゆく。
なので、おぼつかなくなるのだ。
また言葉を忘れるだけではない。
目の前の相手に伝わる言葉を選ぶのも、
相手の言葉を分かろうと努めるのも、脳。
そして心。
使われない脳と心はどんどん衰えてゆく。

脳と心が衰えると
相手との交流の仕方を分からなくなる。
それだけなら、まだましだ。
それを放っておくと
この言葉でいいや、
私は伝えたから、
相手がそう言ったから、
と言葉の怠惰が生まれてくる。
これは本当に怖いことだ。
SNSを開いてワンスクロールすれば、
そんな怠惰から生まれた言葉達が溢れている。


空気を読めてるのならいいだろう。
ではない。私たちは言葉の奴隷なのだから。

ビジネス英語がペラペラでも、
アメリカの子供とは会話はできない。

いじめっ子に、
文科省の言葉で叱っても何も変わらない。

鬱の人に、
医療用語で相談に乗っても、
その人は安らげない。


シンプルに例えると
こんなに馬鹿げたようなことが、
さまざまな問題が解決しない原因に思える。
長年の問題でも、紐解いてみたら言葉の問題でもあることがよくわかる。
分かり合える言葉を使えないと、
問題解決のスタートラインにも立てないのだ。


言葉は大事。
言葉は大事。
何度でも思う。
言葉が大事だと。
言葉とは心を乗せた音声や文字。
心を乗せねばただの雑音や線でしかない。
乗せたからと言ってOKではない。
言葉の使命をもった私たちは、
自分の心が正しく相手に伝わるように、
相手の心が正しく受け取れるように、
日々努力しなくてはならない動物なのだと思う。





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