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人生観が変わった 3.11東日本大震災

今日と同じ明日が来るとは限らない。明日死んでしまうかもしれない。東日本大震災を経験するまでそんな事を考えたことはなかった。今まで生きてきた中で感じたことのなかった自然の脅威。この日が私に教えてくれたことは今の私に繋がっている。

初めて知る地震と津波の恐怖

今も鮮明に覚えている。私と同じようにあの津波に恐怖を感じ、自然の脅威に震えた人はたくさんいるだろう。今もなお、不自由な生活を余儀なくされている方々を思うと、自然の恐ろしさに怒りにも似た感情がこみ上げてくる。普通に食事をし、学び、働き、普通の毎日を送る、という普通のことが一瞬で奪われ、今までの日常を取り戻せずに、何年経っても心の傷として残り、辛く苦しい思いをしている方々がいる。

他人事ではない

東日本大震災は遠く離れた静岡の地でも影響を及ぼした。被災地の方々からすれば大したことない影響だが、春休み目前の地震の影響で旅館の予約はすべてキャンセル。行楽シーズンのキャンセルは旅館経営にとっては、大きな痛手。鳴る電話はすべてがキャンセルの電話で、電話の度に皆が肩を落とすという日々が続き、疲れがどっと出て体調を崩してしまった。

毎日テレビで流れる地震や津波の映像、避難所生活の様子は想像を絶する光景だった。「日本で暮らしている以上同じような事はどこでも起きる可能性はある。」と皆感じたに違いない。防災グッズの紹介や今できる備蓄の情報も流れ、防災意識も高まっていたように感じる。

この静岡でも同じような地震が起こるかもしれないと自分事として捉えた時に、「このままでいいのか?」と考えるようになった。家業の旅館の仕事を頑張っていても、地震がこの地を襲ったら何もできなくなってしまうのでは? 不安と焦りが入り混じった気持ちが続いた。

温泉は入浴以外に活用はできないのか?

それでもこの静岡で旅館をやっている以上、この地を離れるわけにもいかない。だからと言ってこのままでいいわけもない。私には何ができるのか??と自問自答する毎日。温泉の浴場を掃除をしながら、「キャンセルばかりでせっかくの温泉をお客様に楽しんでもらえないなんて、もったいない・・」「この温泉は入浴以外に活用法はないのか?」「ここに来なくてもお客様に温泉を楽しんでもらう方法はないのか?」と考えるようになっていた。それからというもの、温泉の泉質や文献の検索を繰り返し、資源としての温泉の活用を模索するようになっていった。この時はまさか自分が温泉水を使って農業をやるとは微塵も思っていなかった。



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