見出し画像

初めてのSem1が終わった

オーストラリア国立大学(ANU)に編入して、初めてのセメスターが終わった。
人生で初めて、海外に住んで、海外の学校に通った。

忙しすぎた。そして、今までいかにぬるま湯で生きていたかを実感した。
でも、自然と優しい人々に囲まれた想像以上のストレスフリー生活で、来てよかったとも思った。


こっちに来ると決めたのは、1月1週目。
その1か月後に渡航して今に至る。

本当は、一学期遅らせて他の大学の合否を待ったうえで検討しようかとも思ったが、早く東京から出たくて、今学期から始めようとねじ込んだ。
まあ逃げてきたともいえる。

1月から半年間、びっくりするほど忙しかった。何で忙しかったのかもわからない。(これ問題)
手続き。家探し。ビザ申請。振込。荷造り。渡航。奨学金申請。家事。学生生活。


でも、こっちに来てから久方ぶりに頭が働くようになったし、
今まで築いてきたものをとっぱらって自分自身を見れるようになった。


キラキラ海外大生を演じたくはないし、かといって苦労話をひけらかしたいわけでもないから、私が感じたことを等身大で書こうと思う。

つまり、私の話をするので、海外の大学やANUについての情報はない。
そんな話を期待してここまで読んでくれた人はごめんなさい。直接連絡してくれたら答えますね。


では、最初に頭に思い浮かんだ3トピックでいってみよう!



病気が治った

オーストラリアに来て一番嬉しかったことはこれ。


私は、渡航前に2つ通院をしていた。

1つ目は、気象病(正式な病名はない)。
低気圧や気圧の変化が激しい時、頭痛や倦怠感に襲われる。

両親とも気圧の変化に弱くて、よく寝込んだり倒れたりしているので(というより、この頃の日本列島の気圧がひどすぎる)、おそらく遺伝。
家族内で、弟だけが気圧に強い。お酒にも強い。うらやましい。


梅雨、台風、急な低気圧が到来した日は起き上がれない。

日本だと、これは5月下旬〜7月上旬、7月下旬〜9月(後半の酷さはその年の台風による)、10月以降は台風の到来とともに。1月(その年の冬の爆弾低気圧の強さによる)が、該当する。
そう、つまりは1年の1/3がアウト(^^)


オーストラリアに早く来たのは、年度初めは低気圧に襲われて生産性が著しく下がる&思考力や判断力が低下するとわかっていたのも一つの理由だ。


2つ目は、咳喘息
これは、2023年の冬に発症した。

元々喉は弱くて咳がよく出る体質だったものの、当時は周囲の人に心配されるほど咳が止まらなかった。吸引と飲み薬を併用していて、オーストラリアでは薬をどうしようかと心配していた。


通院治療のおかげで、少しずつ良くなってきていたものの、2つも慢性疾患?を持っていたので「医療費」は私の中で大きな不安要素だった。


しかし、オーストラリアに来たら
あらびっくり。

ピタッと咳が止んで
低気圧ともおさらばで、頭痛・倦怠感問題も心配する必要なし!


それもこれも、豊かな自然と動物ときれいな空気に囲まれているからでしょう。

同じオーストラリアでも、車で3h離れたシドニーの空気は東京のような感じなので、シドニーの大学に行ってたら、病気がすっと良くならなかったかもしれません。

寮の隣りにある植物園より。
とり。
🇯🇵→🇦🇺のトランジットで立ち寄ったシンガポールでは、$40くらいの入場料を払わないとこの鳥は見れない
The worst invasive species in Australia
ストレスフルな1日だったとしても、帰り道に空を見上げれば忘れられる🌌
帰り道にポッサムに会えるのが日常


とはいっても、たまに低気圧はあるので(このnoteを書いてる今)、1日中だるくなることはあります…。

でも、日本にいる時と比べたら雲泥の差!
頭が回転するわするわ。

今までの私がいかに脳死で生きてきたかを、はたと実感させられました。


おかげで、医療費の心配をするどころか、日本にいた時は定期的に払っていた受診費と薬代が浮きました!

でもやっぱり、元気な日が増えたのが一番嬉しい!!


キリスト教

去年の後半、キリスト教徒になった人と話すことが複数回あり、キリスト教に関心がわいていたので、教会やクリスチャンの団体の集まりに行ってみた。

また、島が好きなので太平洋(ほとんどの国がキリスト教)にも行った。

気付いたら、オーストラリアに来てから新しくできた友達の9割がキリスト教徒だった笑


ちなみに、私は信仰心が抱けていないし、道教の考え方が好きなので、クリスチャンになろうとはまだ思っていない。

でも、神様は信じている。
ただ、「それはイエス?」と聞かれたら、「んー違うかなぁ」って返すと思う。


ここまで読んでほとんどの人は、なんでクリスチャンじゃないのに、クリスチャンのイベントに行ったり、彼らとつるむのさと思うかもしれない。


私は、クリスチャンの「相手を家族みたいに考えてくれる優しさ」が好き

ポリネシア人の友人に、「なんで太平洋の人々は優しいの?」と聞いたら、「クリスチャンが多いからじゃないかな。キリスト教の教えで他人にも優しくしなさいってあるから、困っている人がいたらみんな助けようとする。」と言っていた。

そういえば、日本でクリスチャンの人と関わった時も、家族みたいに迎え入れてくれた。


だから、キリスト教っていいなと思うけど、それと信者になるのはまた違う気がする。

それに、彼らは私がクリスチャンじゃないと言っても、教会や集まりに誘ってくれるし、何よりも彼らと一緒に過ごす時間が好き

一緒にいてもクリスチャンになることは強要されないし、むしろキリスト教に関する私の疑問に積極的に答えてくれる。聖書の内容についても教えてくれる。


クリスチャンの友人とつるむ理由はそれで十分なんじゃないかな。

私は、キリスト教も道教もアニミズムも好き。


自分がいたぬるま湯

イントロでも触れたが、東京での違和感だらけの生活に限界が来ていて、ずっとここにいてもだめだ!という気持ちに駆り立てられて、半分逃げるかのようにオーストラリアにやってきた。


しかし日本にいたころの私は、精神面の違和感以外は、上手くいっていた。

自分の関心分野かつ、人がみんな優しくて面白くて、時給もとっても良い会社で、フルリモートのGISエンジニア(地理情報のアナリスト)のインターンをしていた。
環境系のNGOでの活動や関心分野のイベントでのネットワークを通じて、自分の関心分野の界隈の方とはたいてい顔見知りになり、イベントや仕事に声をかけていただくこともあった。

興味のある人にメールを送るとたいてい返信をしてくれて、
最前線で活躍する方へのリーチも簡単にできて、自分のやりたいことに協力してくれたり、応援してくれたりする人が周囲にたくさんいたので、気になったことにはすぐ挑戦できた。


だから、自分がリーチアウトすればたいていは希望通りに行き
この先のキャリアもこのまま好きなことをやっていれば、声がかかったりして自然と決まっていくんだろうな~と楽観的に考えていた。

というより、すごく上手くいっている自分の人生に驕っていた。


でもオーストラリアに来て、
今まで、何不自由なく恵まれていた自分の生活に酔っていて、本来の自分の能力や現状を理解できていなかったと思い知らされる。


渡航を決めた時の私は、奨学金だって決まっていなかった。
言い訳だけど、ただでさえ少ない編入生が応募できる奨学金は、英語スコアが足りなかったこと、応募時期が春頃が多かったこと、文章を書こうとすると高校生の時の記憶がフラッシュバックする等の理由で一つも応募しなかった/できなかった。

しかし、本当は父の無利子借金をさせてくれるという言葉に甘えて、英語スコアも応募書類作成も自分を奮い立たせられなかったことが原因だと思う。


また、最低賃金は2400円!カジュアル(日本でいうバイト)だと3100円!土日・祝日は、手当てがついてさらに時給アップなんてオーストラリア最高!と思って、バイトを探すも、
バイトを募集していると言われたり、いつ働ける?と聞かれたうえで、履歴書を渡しても返信なんて返ってこなかった。

返信がきても、途中で連絡が途絶えることもざらにあった。


インターンも、連絡しても募集していないと突き返されるか、無給(オーストラリアではtrainingを目的としたインターンは無給が合法。ヨーロッパでも無給インターンはprevalentらしく、ここ最近で一番のカルチャーショック)と言われるだけだった。


日本では、バイトはマイナビから登録すればすぐ決まったし、インターンだってリーチアウトすればたいてい検討してくれたので、お金は比較的簡単に稼げると思っていたけど、エンジニアインターンとNGOでのボランティアや国際会議に行った経験は、バイトを雇う上では無意味だし(サービス業はバイトで1か月しかしたことない)、1年間GISエンジニアをしただけの学生に予算を割いてまでインターンのポジションを作ろうとは思ってくれない。

学費どころか、生活費すら稼ぐことができずに、弱い円で稼いだ自分の貯金が消えていくだけ。
AU$1は、渡航前の10円も円安になった。学費は当初の50万円/年も高くなった(東大通えるじゃん)。


オーストラリアに来る前に日本でやっておくべきだったなと強く思ったことは、少しでも経済的に自立できる練習をすること

私は元々、リモートワークと高給にあこがれてプログラミングを勉強し始めたのだが、勉強してコードが書けるようになっただけで満足して、アウトプットなんて何もできていなかったことに気づいた。
ポートフォリオもいつか作りたいな~なんて思って、ジャンルがバラバラの創作課題と公開できない仕事のソースコードしか持っていなかった。

コードが書けるだけじゃIT人材でも何でもなくて、何を作れるかというのを示したうえで、自分で仕事を取れるようにならないと私が当初憧れていた「リモートワークができる高給取り」なんて実現できない。

アマチュアにすらなれていない。


仕事は声がかけられるものと慢心しており、
自らサービスを作ったり、仕事を取ってくることすらしたことなかったので、すぐに稼げる(経済的に自立できる)力なんぞ今の私には微塵もない。


お金だって、実家が裕福じゃなかったら、今年で自分の貯金は尽きて母国へ強制送還だ。
「海外で暮らしていく!」と意気込んで来たくせして、実体は親のすねをかじっているだけの何もできないプー太郎だ。


オーストラリアで、Honours(学士の後に1年間研究できる学位)や修士に進んで研究をしたいなと思っていたが、来年の7月で親からの優しい資金援助はストップしそうな見込みなので、早急にすねかじりはやめないといけない。


研究したいと思って来たが、応募しようと思っていた大学を越えた学部生向け研究奨学金は、今年で機関が閉鎖するとのことで応募していないとのこと。

気になった教授にメールを出しても、Ph.Dの学生で手一杯と言われて断られるか、こういう経験があると履歴書と共に関心分野を送ったのに2年生に任せられることはないと年齢差別を受けたり(日本にいる時にすごく嫌だった性別差別がないのは嬉しい)、返信なし。
これは、学校によると思う。他の大学の先生何人かにもメールを送ったが、外部の生徒なのに総じてレスポンスがよかったので、早くその学校に行きたい。逆に、リマインドをしても頑なに無視し続ける人もいる(何のためにサイトでメアド公開してるん?)
一応、ANUの先生とも編入前にコンタクトを取っていたのだが、関心分野が変わったのでその先生とはもう話しておらず、幅広くメールをしてみて、全体的なレスを見てもよかったなと思った。


総じて、今の私って誰かに協力してもらえたり、機会をもらえない限りキャリアを築けないじゃん。と気づいた。
日本にいた時は、自らキャリアを築いていっていると思っていたが、優しい人や団体に守られていただけであって、ピンになったら自立なんて一ミリもできてないことを痛感した。

ただの恵まれた環境に甘えているだけのわがままな人間だと気づいた。


インターンと就職は違うし、一緒に働く(job offerをいただく)ことと会議で仲良くなることは違う。
ということにもようやく気づいた。


日本で今後の人生を送っていくなら、私は十二分に恵まれた環境にいると思う。反対された分、たくさんの応援者に恵まれているから。
しかし、globalで活躍したい、東京でない場所で生きていきたいと思っているのであれば、今の私には何もアピールできるものも力もない


今まで自分をあまりにも過信していたので、ここでようやく気付けて本当によかった。


〜〜〜〜〜〜〜


気の向くままに書いていたら、もう5000文字に到達したらしい(笑)

この半年間はめちゃくちゃ忙しかったけど、早くオーストラリアに来て本当に良かった。


頭が働く状態で、今の自分の現状を思い知ることができたし、
自分の創りたい世界、どうやって創ろうかなと考えられるようにもなった。


まずは経済的に自立できる力をつけたいなと思う。それは、雇用主に左右されず、周囲の環境に依存せず、自分のスキルで自立できるという真の意味で。そんな力を磨く練習をしていきたい。


時間がかかるかもしれないけど、
今は私の中にあるふわっとした「創りたい世界」を模索して、実現してみたいなとも思う



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?