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得たものを失う不安。

もうすぐ2020年が終わろうとしている。
年明けの記憶はあまりなく、ただ今まで作ってきたスタイルをひたすら継続していたらコロナに見舞われた。

まず分かりやすく卸の様子がおかしくなった、ほぼ受注が止まった。
中には長期店を閉めた店舗もあって、あとは軒並みテイクアウト。
だいたいは食事メインな店舗が多いため、コーヒーはなかなか出番がない。

小売りと当店舗はコーヒー豆が出るようになった。
喫茶業は当然イマイチにはなったが、それよりかは遥かに豆が出る。
風前の灯のようなオンラインショップが別の生き物かと思うように動き出した。
これは自家焙煎の店はだいたい共通していることらしい。

ひたすら感謝の手紙を書き続け、豆とともに発送する。
これは昔から続けていることだ。

その後はどんな風に世の中が動き今に至るかは見てのとおりで
ある程度したら人は動き出し、併せて卸も動き出した。

夏には小型の5kg焙煎機が壊れ、繋ぎで今までほとんど稼働していなかった10kgの焙煎機を使うようになった。
5kgは直火式、10kgは半熱風式でちょっと勝手が違う。
焙煎失敗すれば、ロスは当然5kgの倍になるわけで熱中症に耐えながら試行錯誤を繰り返した。

売上はこのコロナ禍で苦労する業種が多い中、ありがたいことに増えていった。

また、委託焙煎は豆の難易度や要望される質が上がり、焙煎精度、多様なプロファイルを試していく必要があり
その作業に没頭した。
豆の質、豆の中身、焙煎機の構造と特性とその逆、火が入る仕組み、そして仕上がり、抽出。
様々な角度から検証を重ねる。

正直、お客様と向き合うよりも焙煎機、豆と向き合う時間が増えた。
その知的好奇心や意欲は「パイオニアコーヒーの味」というこだわりから
「一個人の焙煎技術とバリエーション」というこだわりにいつしか変わっていたため、
根強い「会社の焙煎」の執着がなくなり、他のものに託してもいいだろうと思えるようになった。
これには驚いた。

結局は自分の存在意義を守るため、自分がこの社会で立っているために必死でしがみついていたんだろう。

今だって自分の存在意義というのは欲しいし、こだわる。
でも今のお客様のためだけにあるのでは、いつか自分の成長を止めてしまうかもしれない。
自分の恐怖は成長を止めることなので、それは自分がこの世を去るときでありたい。

そんな感じになっていたら、ある取引先から新たな業務委託の話をいただいた。
自分が当初から一貫して「豆屋」をやりたいと思ってきたことの大きな肉付けとなる。
これはどうにもやりたいことで、有り難すぎる話。
しかし、圧倒的に作業量は増えるが売上的にはどうだろうかという内容だったりする。

こうなると「今の会社のやり方でいいのか」という疑問にぶち当たる。
自分がこうしていきたいと思う内容を今のスタイルに加えると、我々二人だけではいつか作業量が上回り破たんする。
何かを選び、何かを捨てる、または縮小しなければならない。

前述したとおりで、業績が上がってきている状態で「何か」を取捨選択するという恐怖。
やれやれ、これに向き合わなければならないのか。

今は目先のことを考えてしまう。
答えは決まっているのに。
5年、10年、20年、、、先の展望が今の不安とどう共存、いや打ち勝つか。

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