ピントン(アルゼンチンタンゴダンサー)

東京恵比寿にてアルゼンチンタンゴ専門スタジオを開いています。岡山県出身だが、10代前半…

ピントン(アルゼンチンタンゴダンサー)

東京恵比寿にてアルゼンチンタンゴ専門スタジオを開いています。岡山県出身だが、10代前半までを関西で過ごしたため怪しい関西弁も時々出る。気がつけばタンゴ歴33年となった。恵比寿の高田純二を目指しているが、軽薄さが足りないため修行中。趣味は路地をあるくこと。

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アルゼンチンタンゴ入門クラス体験

=アルゼンチンタンゴ入門クラス体験参加= アルゼンチンタンゴを全く初めて踊る方のための体験参加プログラムです。 渋谷区恵比寿にて、下記日程で入門クラスに体験参加できます。 内容はほぼ同じですので、どちらの回でもご参加OK。 アルゼンチンタンゴを初めて踊る方を対象としています。 すでにタンゴダンスを始められている方は、コチラからどうぞ! ■日時■ 毎週土曜日14:00-15:00 ご参加希望の日程をサイトからお申し込みいただきます。 ■参加費■ 1,000円(税込) 

    • アルゼンチンタンゴのステップ

      アルゼンチンタンゴダンスには、さまざまなステップの名前があります。 ここでは、実際にアルゼンチンで用いられ、主にサロンで行われるタンゴで使う基本的なステップのいくつかをレベル別にピックアップいたします。タンゴショーやミロンガ(音楽)で使うことが多いものは割愛しています。 タンゴの特質上、ここには音楽的な解釈は含めていません。またトラディショナルなタンゴにおいては、アブラッソは解かずに保持したまま踊られることが通常としてステップの提示を行なっています。 目安としてレベル別

      有料
      500
      • ミロンガのロンダ

        アルゼンチンタンゴを踊っている人なら、必ず知っているルールの一つに"ロンダを守る"ということがあります。 ロンダ(Ronda):踊りの輪。左回りの同心円状の列。 日本でタンゴダンスが学ばれ始めた頃は、ロンダという概念はまだ入ってきていなかった。適当にフロアを左回りに踊っていました。 しかし、多くの方がタンゴダンスの本場のブエノスアイレスに行くようになって、ロンダを守ることがルールであり、タンゴダンスをリスペクトしていることだと知るようになり、日本はもちろん世界中でそれを

        • 御法度カベセオ

          アルゼンチンタンゴのダンスパーティである「ミロンガ」は、踊りたい人同士が誘いあうためのルールがある。「カベセオ(Cabeseo)」だ。 カベセオ:顔の表情や視線、頭から上の仕草でお相手を誘うこと もちろん、カベセオ以外は禁止ではないが、タンゴを知っているスマートな男性(リーダー)であることを態度で示す方法だ。 多くはリーダー(男性)からフォロワー(女性)に行うが、お誘いをうけるかどうかはフォロワーが選択でき、視線を逸らすなどのことで意思表示する。 カベセオはミロンガで

          カミナータ

          アルゼンチンタンゴダンスのムーブメントは、大別して3種類で構成されています ①歩くこと(移動) ②ピボットすること(方向転換) ③基準を中心に回ること(周回) 各々の動きはこれらの組み合わせなのです。 特に、 アブラッソ(Abrazo)してリーダーが前歩き&フォロワーが後ろ歩きすることを、カミナータ(Caminata:walk)といいます。英語圏の表現に慣れている人はカミナンド(Caminando:walking)なんて言ったりもします。 タンゴダンスに入門したてで、

          ¿Queres bailar?

          ¿Queres bailar? = 踊りませんか?と訳しておく。 元来は¿Quieres bailar?だが、アルゼンチン訛りは本来の単語から"i"が落ちて"キエレス"→"ケレス"となることが多い。 ケレス・バイラール? アルゼンチンのミロンガで度々となりで聞いていた、男性が女性に話かけていた言葉だ。 アルゼンチンタンゴを踊るダンスパーティのことをミロンガと言うが、お相手を誘う時にカベセオ(Cabeseo)という動作で、お誘いをする。多くはリーダー男性から。(決して手を

          言語と踊り

          いわゆるタンゴは、リオプラテンセ(ラプラタ川流域の)文化のタンゴとして、ユネスコの無形文化遺産として2009年に登録されている。 (ラブラタ川はアルゼンチンとウルグアイの間を流れている) 私が初めてアルゼンチンを訪問して、現地のタンゴの踊りを目の当たりにしたときには、これは"血"がまったく異なると感じたものでした。 自分が学んだタンゴダンスとはあまりにも根源的に異なっていたので、それこそ輸血でもしなければ身につかないと感じたものです。 当時はまだインターネットも普及して

          タンゴは

          踊りたい人と踊るおどりだ。 それ以上でもそれ以下でもない。 レッスンの話ではなく、ミロンガでの話。 あなたが本当に踊りたいタンゴはなに? それが分かるまでは、踊り続けるしかない。

          不器用な人ほど

          タンゴダンスを習うとき、 器用な人は、持ち前の才覚でそこそこ踊れるようになるのは早い。 しかし、ゆっくり理解する時間をかけることができないので、ゆっくりしか理解できないタンゴの深さには気づかずに、辞めてゆくことが多い。 もともとご自身が不器用であることを理解している人は腰を据えて学ぼうとする。ゆっくりとタンゴを理解することができるので、その深さにいつの間にか気づいてゆく。 不器用な人ほどタンゴダンスの宝を持っている。

          分かち合う

           タンゴダンスというものは、分かち合うものだ。 分かち合うということは、相手に与えてもらうだけのものでなく、自分も与えてゆかねばならない。 あなたは何を相手に与えるのか?

          タンゴコミュニティ

          タンゴダンスのコミュニティには2種類ある ①タンゴダンスを習うときのコミュニティ ②ミロンガで過ごすときのコミュニティ タンゴダンスを始めたころは、①と②は同じ場所であり、同じメンバーであることが多い。多くは仲間であることによるメリットが多かったりするのです。 しかし、学ぶことと、楽しむことは実はかなり異なる。 タンゴダンスにおいて自分らしくあるために必要とあれば①と②は完全に一致しない方がしっくり来ることも多い。 タンゴダンスは自分と向き合う作業の面が大きい。 自

          歌うように

          アルゼンチンタンゴダンスを踊っていると、リーダー男性はついついステップにばかり目がいってしまいがちです。 フォロワーの方からは、難しいステップよりも、ただ歩いているだけでいいという話を伺うこともあるかと思います。 実はそのただ歩くだけが難しいのだけれども、タンゴダンスというものは、身体でその音楽を歌うように踊れれば十分ではないかと思うのです。 もちろん、一本調子ではその音楽を表現しきれいないので、男性はさまざまなステップでそれを踊ろうとするのですよね。 若い人が今時の

          ホーム・ミロンガ

          タンゴダンス愛好家なら(まだタンゴダンス勉強中の人やミロンガが嫌いな人は別として)誰しも自分の居心地の良いホームとなる常連のミロンガを1つや2つ持っていると思う。 私がBsAsでいつも参加していたのは、少し郊外にあり、床が大理石で広々とした、金曜日のミロンガである本家"La Baldosa"でした。あとは、誰でも来るCanningやカベセオ専門El Beso、若者の多いVilla MalcolmやViruta、土曜日の伝統的ミロンガSunderland、遠いSunderla

          エスコート

          先日、若手や経験の浅いのタンゴダンス愛好家を中心に出場募集したタンゴダンスコンペティションの審査員をさせていただきました。 日本初のJack&Jill方式のアルゼンチンタンゴダンス選手権となりました。 香港やソウルではこの方式のコンペは行われているのですが、やっと日本でも開催され喜んでその審査員を引きうけました。 ダンス技術やミュージカリティなどはさることながら、この方式では1曲ごとに相手が変わるので、カップルとしての熟練度を見るというより、相手が変わってもうまくやってい

          もうあまり時間がない

          タンゴを踊り始めて30年ほどになる。 ブエノスアイレスに訪問している回数もゆうに40回は超えている。 タンゴの変遷とともに、その時代のタンゴを学び、踊ってきた。 すでに、身体能力のピークは過ぎ、できることは限られてきている。 しかし、知識と経験はたくさん。 この身体に蓄積したものを、誰かに渡してゆかねばならない時期にきている。 多くのことは、Shunsukeに渡してきた。あとは彼のキャラクターに合うように土台としてアレンジして貰えば良い。 残りの時間、私のもつコレを引き

          Poema

          アルゼンチンタンゴの曲の中に”Poema(ポエマ)”という曲がある。 Francisco Canaro楽団(歌手Roberto Maida)の演奏で有名だ。 日本でも淡谷のり子さんや美輪明宏さんも歌っていました。 この"Poema"、最近ではOrquesta Romantica Milogueraで再ブレイクしましたね。 昔のブエノスアイレスでは、有名ダンサー毎に持ち曲があって、その曲を踊っている時は、他のダンサーはそれを踊ることができませんでした。 このPoemaに