2,300円のサラダランチが輝きを失った瞬間 #7

私は数年前から健康志向を強め、運動・睡眠・食事に気を配るようになった。
実際に健康に良いとされる習慣が身に付いてくると心身ともに楽になり、さらに活気が生まれた。
健康習慣についてはいずれまた詳しく記すとして、今回はその中でも最近起こった食習慣の変化について書こうと思う。

健康を意識し始めた私は、外食といえば和食かサラダを選ぶようになった。
当時はおしゃれなサラダ屋が至る所に展開していて、意識の高い人々に混じって野菜を食べる自分が好きだった。具材やドレッシングをカスタムできるのも楽しかった。もちろんそれだけでなく、サラダの味もちゃんと好きだった。
窓から差し込む陽光、ウォルナットの机、軽快なジャズ……サラダボウルが輝いて見えた。

私をただのちょろい客だとお思いだろうか。
まさにその通りである。

2020年、新型コロナが猛威を振るい、外食をする機会がめっきり減った。
自粛生活でも健康志向は変わらなかった。むしろ強化されたくらいである。
店を真似て自分でサラダを作るようになった。手間ではあるが、店の味に劣らぬ美味しさである。

緊急事態宣言が解除された時期、店を応援する意味も込め私は久々にサラダ屋へ。
友人と胸躍らせて待っていたところに運ばれてきたサラダ。

どうも様子がおかしい。
あの輝きが感じられない。

陽光も、ウォルナットも、ジャズも以前と変わらないはずだった。

しかし、まず、明らかに違ったのは、具材の量と質である。サーモンやアボカドなどが少なく、葉物野菜も張りのないものだった。ボウルもしばらく見ないうちに縮んだようだ。

コロナ禍の煽りを受け、経営が厳しいのだろうか。

そして、ああ、やはり。
量も質も落ちたのに値段は200円程度上がっている。

これは2,300円を払う価値のあるものだろうか。私はひとり衝撃を受けながら黙々とケールを噛み締めた。

辺りを見回すと、店員もどこか接客が雑になっているし、客にもゆとりがないように見えた。

その瞬間、サラダの纏っていた魔力は完全に解け、輝きを失った。

輝きとは、そのもの自体の良さばかりに依るものではなく、演出や文脈により大きく変わってくるものだ。
サラダは、その全てを失っていた。

あれからしばらく経つが、私はサラダ屋には行っていない。
人は興味を失うと、いとも簡単に行動が変わってしまうものだ。
私は今後、自宅で自分の好きなようにサラダを作っていくことだろう。

でもきっと、私はまた別の輝きに目を奪われることになる。
いずれは解ける魔法だとしても、いっときの喜びを無価値と切り捨てることはない。
人生はそういうことの繰り返しと心得ている。

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