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特別編 ばあちゃんに久々に会ったよ。

割引あり

私は2年前、この記事を書いていた。

今でも一年に一、二度は
生と死について考えさせられている。

そっかぁ。
この時はばぁちゃんが倒れる前だったなぁと
文を見て思い出していた。

倒れる前はニか月に一回は必ず、
ばぁちゃんに会いに
ばぁちゃん家に訪れていた。
今でも生きている間に
何度でも、、と思う気持ちはあるが
コロナの時期と重なったり
病院での見舞いは
様々な病気が移らないようにと徹底され、
会う事自体
未だに厳しいものとなっている。

今日、一年ぶりくらいに
ばぁちゃんの見舞いに行けた。
15分という短い時間だったが、

ばあちゃんに会えたのが
私はとても嬉しかった。

衰弱しきっているばあちゃんを想像して
なるべく明るい声かけをしよう
と覚悟していたが
一年前に会ったばあちゃんと
そこまで変わる事はない姿だった。

もちろん、ご飯を食べず、
点滴で生き繋いでるわけだから
ガリガリではあるんだけど。
ばあちゃんは穏やかそうな表情だった。

今、ばあちゃん家に住ませてもらっているよ。
ばあちゃんの家、
少しずつ綺麗にしているからね。
など、お話をした。

もちろん、ばあちゃんからは話すことも
頷くこともない。

どこまで伝わっていて、
伝わっていないのかもわからない。

それでも時々、
話している人の瞳を見つめたりするのだ。

時間になって
ばあちゃんまた来るからね!
またね!
と言うと、しっかり私の方に目線を動かした。

わかるのかなぁと母と話しながら去って行き
母は、菜緒の声はわかるんじゃない?
菜緒の声に反応しているようだった
と言っていた。

そうだったらいいなぁと思った。

15分という面会時間は
こちらが一方的に話しかけるだけなので
短いようで長くもあった。

あと、ばあちゃんを見ていると
話す言葉に迷いが出てくる。
生前、皆に迷惑をかけず
死ぬ時はぽっくりと逝きたい
と言うのがばあちゃんの願いでもあった。

だからこそ、頑張って生きてねなんて
口が裂けても言えないし
なんなら、今の状況も良くは
思っていないのかもしれない。

そんな事を考えたら、
なんて声をかけるべきかわからず
今ある現状だけ伝え、
何度も同じことを話しかけていたと思う。

だけどね、やっぱり私は
ばあちゃんが大好きで
ばあちゃんに久々会えて嬉しかったんだ。

欲は出るよ。
あのばあちゃん家でくだらない話して、
ミスド食べて、寿司一緒食べて、
時々言い合いして、喧嘩して。
菜緒ちゃんまた懲りず会いにきてね。
と言ってくれた日々を
もう一度体験したいなとか。

きっともう、出来ないんだけど。

ばあちゃんはいつでも、立派なんだ。
心臓を最後まで動かして。
たぶんね、私ぽっくりと逝ってたら
現実受け止めきれないまま
生きていたかもしれない。
むしろ、この世界で生きたくない
と思ったりもしたかな。

だから何となく今は、別れの準備を
少しずつしてくれてるような気がしてるんだ。

今は同じ世界にいてくれるだけで
私は本当に幸せ。

正直、ばあちゃんいない世界を
今はまだ想像出来ない。

縁あって、
私が大好きなばあちゃんの代わりに
ばあちゃん家住むようになった今も
正直、夢を見ているような毎日。

だけど、私は毎日
神棚に手を合わせて
死んだじいちゃんに話しかけている。
ばあちゃんの代わりに。
同時に、ばあちゃんことを想っているから。

無理はして欲しくない。
生きていて欲しいはこっちのエゴだから。

けど、私は必ずまた、
ばあちゃんに会いに行くからね!

すっごく重めな文だったかと思いますし、
ここまで自分の想いを聞いてくださった方
ありがとうございます。

有料記事は

先日のひとり旅
🐷長野の思い出写真館👸

となっています。


私はひとりでも逞しく、
なるべく笑顔で生きる姿を見せられたら
ばあちゃんも安心して
旅立てるのかなぁと思っています。

ひとり旅は、今の私にとって
自分を見つめ直す。
生きている!と感じられる、
とても大切な時間となっています。

こちらでは見てる方も
クスって笑ってもらえたらいいなぁ
と思いながら
お楽しみください。

枚数多いので、お気をつけて。笑


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