哲学ってなに?~あなたもチコちゃん?~
私が哲学にひかれる理由
哲学と聞くと難しそうと拒否反応を示す人も多い。私もその一人であった。私が哲学に興味を持ったのは、ヨガを学んでからだ。
ヨガとは、美容のためにするエクササイズの一つというイメージを持つ方もいるのではないだろうか。
しかし、エクササイズに見えるヨガのポーズは、仏教的に例えると「悟り」を開くための修行段階の1つなのである。本来はヨガ哲学に基づいたもっと奥の深いものだった。
私はヨガ哲学を学んでから考え方が変わり、生きるのが格段に楽になった。
例えば「修習と離欲」という言葉がある。「修習」は、精一杯今持てる力を出すということだ。「離欲」は、今もっているものを手離すいう意味である。
例えば、受験勉強で一生懸命勉強する。試験当日は緊張しすぎてパニックになることもあるだろう。しかし、試験当日は「もう勉強するための努力はやり切ったのだから、自分の努力を信じて受験するだけだ。」と肩の力を抜く。いい意味であきらめる感じだ。これをすることにより、リラックスして実力を発揮できる。
「一生懸命勉強してきた。」ことが、「修習」にあたり、「肩の力を抜く」ことが「離欲」になる。
ヨガのポーズに生かすのであれば、ポーズの注意点などに配慮し、ポーズをとる。さらに自分が今できる最大限のところまでポーズを深める。そして「ここでいい。」と思ったなら、注意事項などすべてを忘れて心を無にしてポーズを取る。といった流れだ。
そうはいっても、日常生活ではうまくいかないことや感情に流されて後悔することも多い。だが、間違えても戻る場所が分かっているのは心強い。反省してまたやり直せばよいだけだ。ヨガ哲学の教えにより、私自身の日常生活は、知る前よりも明らかに前向きになった。
すべての基盤は哲学にある
難しそうに感じる「哲学」という言葉だが、すべての根本には哲学があるといっても過言ではない。
例えば、会社があれば必ず経営方針がある。その底には必ず創業者の哲学、ものごとへの考え方があるだろう。例えば「人と人は仲良くし大切にしあうものだ。」という哲学がある。その先に、「お客も社員も大切にする。」という経営哲学が生まれる。そのような会社は、社員の待遇を優遇し、働きやすい職場になるような会社になるだろう。下請け会社を苦しめるような要求はせず、win-winの関係を構築するだろう。
これは、もっと身近に考えると家庭も同じだ。「家庭の幸せは一緒に過ごす時間だ。」という考え方か、「家庭の幸せは、いかに贅沢な暮らしを出来るかだ。」と考えるかで家族の行動が変わってくる。この哲学が夫婦で違っているとすれ違っていく。だからこそ哲学的に本質を考え直すということは、様々な場面において有効なのである。
哲学の面白さ
哲学は、先人の知恵が詰まった学問体系である。だからこそ、人生のヒントになる言葉がちりばめられている。一般にイメージする哲学は、有名な哲学者が展開する難しい理論の方ではないだろうか。
哲学には、2種類ある。哲学者が思考した結果まとめた「理論」と、誰にでも出来る哲学的思考の「実践」だ。
実践とは、まさに哲学者が行ってきたような思考を行うこと。「問い」を立て、それに対して考えていくという作業だ。実践も難しそうに感じる。確かに哲学的思考を実践するのは難しいかもしれない。でも、「問い」を立てられるようになれば身近に感じられるはずだ。
NHK「チコちゃんに叱られる」という番組(註1)では、「ねぇねぇ岡村ぁ・・・」という可愛らしい呼びかけに続き、かならず「問い」がある。「なんで?なんで?」と質問していくうちに解答者の岡村は、分からなくなる。知っていて当然だと思っていたことが、実はよく考えると「分からない」と知る。ここが面白いところではないだろうか。これが有名な哲学者ソクラテスによる「無知の知」(自分が無知であったことを知る)と同じ原理だ。
チコちゃんと哲学の違いは、答えの出し方だ。テレビ番組という性質上、疑問には必ず明確な答えがあり視聴者をスッキリさせてくれる。しかし哲学の場合は、色々な考えを持ち寄り検討し、よりよい答えになるものを作り上げていく。それは、たった1つの正解というよりも現状作り出せる最もよい正解の一つである。
「問い」を明らかにしていくことで新しい発見があったり、面白さがあったりする点では共通している。
哲学はどうして難しいの?
私自身も哲学は、難解で理屈っぽいというイメージだ。使っている言葉は、難解な言葉が多いのは事実だ。しかし、その意味をじっくり理解するとほかの言葉に置き換えるのはもどかしいくらいぴったりの言葉だから使うのだ。
例えば、「運転免許証」という言葉を知らない人に説明するとする。「運転免許証というは、運転するための許可を得ていると証明されている・・・」などと多くの言葉で説明しなくてはならない。しかし、難解な言葉を使うと「そのことか!」とすぐに同じ意味を認識できる便利ツールなのだ。
では、難解な語句がならび、理屈っぽいもの読む必要があるのだろうか?前述したように「理論」としての哲学であれば本を読む必要はないかもしれない。私自身も哲学書を何冊も投げ出している。哲学書は、本質を考えるときに大ヒントを与えてくれるもの。私自身は一生かけてマイペースに学べばいいと思っている。
でも「実践」は、今すぐにでもできるのでおすすめだ。
「家族って?」「大人の友情とは?」など本質を考え直すことで人間関係が円滑になったりすることもあるだろう。しかもそこに正解はない。
気軽に自分の価値観を確認するくらいの気軽さで、実践してみてはどうだろうか。
現代に哲学が必要な理由
従来の日本の教育は、教師が生徒へ講義する一方通行であった。試験は暗記したものを解答し、正解に向かって勉強する。これが「正解主義」だ。
しかし、ITの発達、グローバル化、気候変動など予想不可能な時代に入り求められているのが「課題解決型」の能力だ。問題を与えられるのでなく、自ら発見する。さらにそれを調べたり調査し、仲間と検討する。その先により良い解決策を求めていく能力だ。机上で勉強しているだけは身につかない能力ばかりだ。
哲学は、自ら「問い」を立て思考するという点で良いトレーニングになる。
産業革命以降、消費が重視されてきた。より良いものが作り出され、それを買い、使いこなす。高度成長期の希望にあふれた電化製品たちは、戦後の日本人を豊かにしてきた。しかし、現代の日本は物があふれすぎて「断捨離」や「ミニマリスト」がブームとなっている。
ある程度の生活レベルが確保されたことで、物質があふれているだけの生活が幸せをもたらさないということに気が付いたからだ。その時に必要なのは、自分自身は何を大切にしているのかという「哲学」になってくる。物1つ捨てるにもそれがあるかないかで、決断が変わってくる。
つまり、社会や企業から与えられた価値観ではなく、自分自身の価値観で生きていかなければならない。その大前提にある自分自身の哲学(考え方)をしっかり持つ必要がある時代になっているということだ。
哲学を身近に
今回、私自身がヨガ哲学に助けられたことから、哲学の良さを考え直してみた。実は身近に哲学があるということに気づいた。
哲学は、何か困ったときに「本質」に立ち返ることで生きるのが楽になるようなもの。気軽で身近なものであったらいいなと思う。
【参考文献(イラスト)】
みふねたかし『かわいいフリー素材集いらすとや』いらすとや 2023年3月19 日確認
https://www.irasutoya.com/
註1:NHK番組「チコちゃんに叱られる!について