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ものづくりは人生そのものだ!

ゴッホという画家に、僕はシンパシーを感じる。人類が生み出した最高の画家の一人であるにもかかわらず、一説によると生涯1枚しか絵が売れなかったという。もし、彼が生前から高く評価され、描く絵がすべて高額で取引きされていたとしたらどうだっただろう?と、カバーを作りながらふと思うことがある。

ネットで世界中の情報を容易に調べることができるようになった昨今、興味本位で、ホイールカバーを生業にしている職人がどの程度世界中にいるのか調べたことがある。見つかったのはヨーロッパと中南米に1名ずつ2名のみ。でも彼らの作品は、どうやらホイールカバーであり、カバーホイールではない。もちろんこの瞬間にも、僕の作品をはるかに凌駕するカバーホイールを作る職人が現れるかもしれないけれど、さまざまなものを犠牲にして、人生の大半をカバーホイールに捧げているのは僕ぐらいだろう。日本の小さな工房で黙々と僕が作るカバーホイールと同じものは、世界中どこを探しても見つからない。でも、カバーホイールに関心のあるお客さんを除けば、僕はただの変なおじさんである。今でもしばしば「そんなカバーだけを作っていて、どうやって生活してるんですか?」と心配そうに訊かれることがよくある。おそらく、僕のカバーホイールが広く認知されることは、生きているうちはまずないだろう。じゃあ、死んだあとはどうか?残念ながら、カバーホイールが芸術として認知されないかぎり、忘れ去られるにちがいない。工房に残るカバーの多くは、いずれプラスチックゴミとして処分されるだろう。

一度カバーホイールを作ることに疲れ果て、深夜の工房でへたり込んだことがある。ちょうど長男が傍にいて、心配そうに僕を見ていた。「もうあかん。カバーを作るのやめるわ。結局家族に迷惑をかけるだけやった。俺は疫病神や。ごめんなぁ」
沈黙が流れる中、グスグスと変な音がするのでふと顔を上げると、息子が目を真っ赤にして泣いていた。その涙を見て、カバーホイール一筋の人生も悪くないな、と心から思うとともに、(もう少し頑張ってみよう)という気持ちが湧いてきた。

人は何かをエネルギーにして、前進する生き物だ。それが金なのか、名声なのか、はたまた誰かを恋する気持ちなのか?僕の場合は、世間一般には得体のしれない造形物を作り続ける父親を非難することなく(ギブアップするな)と流してくれた、息子の涙がエネルギーとなった。ゴッホが何をエネルギーとして絵を描き続けたのか?それはわからない。ただ、彼も私もエネルギーを「何かを作る」ことに大量消費しながら、人生のゴールに向けて突っ走る生き物であることは間違いない。自分の作品が後世に残らなくてもいいじゃないか!何かを作ることにエネルギーをつぎ込み、最後は「完全燃焼したで!」とニンマリ笑って死ねたら、僕は本望だ。

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