見出し画像

自分が何を我慢して、何が嫌で、何が好きかわからないなら、ひとりになること

もし自分が何を我慢して、何が嫌で、何が好きかわからないなら、一度ひとりになる時間を作ってみてください。

会社を休んででも、家族に心配されても、友人に引かれても、一回ひとりになることが大切です。必要なら何度でも繰り返してみましょう。今すぐにでも実行してください。

感情を溜め込みすぎて、自分の感情がわからなくなり、喜怒哀楽がなくなってしまったと感じることがありますが、感情は消えることはありません。感情を感じるのが辛いので感じなくする手法を選んでいる人もいますが、気づかないだけで溜め込んだ感情はしっかりエネルギーとして残っています。残っていなければ今軽やかで、苦しい気持ちはなく穏やかで豊かな気持ちなのです。穏やかでいることと、喜怒哀楽を感じないことは別です。感情を上手に使うことがコントロールであり、喜怒哀楽を抑えることではありません。その上で穏やかでいられることが満足感につながり、自分自身を責めず、他者もジャッジしない心持ちになります。

感情は感じていいものです。もし感情を感じないなら、喜怒哀楽は初めからないはずです。怒りや悲しみも感じていいのです。それを抑えろという教育を受けてきたかもしれませんが、もうその教育下にはいません。それを変えるのは自分自身しかできません。私が変えるのを手伝うことはできますが、決めるのは自分です。誰も代わりに変わってあげることはできません。

ずっとこのまま、感情に蓋をして苦しいと思いながら生きていくのか、やめるのか決めるのは自分です。


自分が何を我慢してきたのか、何が嫌なのか、何が好きなのかがわからないと、他人のデータを理想と勘違いして目標を立ててしまい、苦しくなることがあります。

自分が何を我慢してきたのか、何が嫌なのか、何が好きなのかを知っている上で目標を持ち進むのは良いですが、知らないまま進むのは疲れるだけです。スマホをひらくと溢れるほどのショート動画や文字情報に溺れるてしまいがちです。そうすると脳がバグります。感受性高いHSPは特に順応性も高く情報吸収力もマッハですので、あっという間に吸収してしまいます。そうすると「自分の好きなことややりたいこと」をデータ通りに安易に決めてしまうので、これは危険です。

他人の「いいな」を自分の「いいな」と勘違いしていることも多いです。

特に幼少期に自己犠牲をしてきた人は、自分が自己犠牲していることに気づけないことがあります。自己犠牲が当たり前になっていることに気づかない人も多いです。支配したい人がかけた洗脳にかかったまま、自分の理想を無意識に掲げて彷徨っていることがあります。一度、「支配したい人がかけた洗脳って何?」と問いかけてみてください。

そして今いる場所で堂々巡りしていると感じるなら、場所を変えることで思い込みや喜怒哀楽に対する誤解が見えてきます。なぜ自分は喜びや楽しいことを遠ざけていたのか、なぜ怒りや悲しみを抑えてきたのか、という問いかけをすることで新たな気づきが得られます。

普段いるその場所にいる時はその場所の設定で動くので、動きも考えも制限されているわけです。一度自己犠牲ぽい環境から離れてみる。行ってみたい場所とか、行ったことないところで、先述の「我慢してない?」とか、「やりたくないことは何?」とか「支配したい人がかけた洗脳って何?」など問いかけをしたり、ノートとペンを持って問いかけをすることです。

書き出して思うままに書いてみると、溢れてくるんです。会社をサボるとかすごく勇気がいることですが、だからこそどれほど自分が小さく小さく生きてきたのかわかるし、ささやかな我慢をしてきたのかも気づけるし、優しさを与えてきたのかも気づけるんですよ。自分の功績に気づけることも大切だと思います。

日本人は特に、ささやかな我慢が多いです。一つ一つが小さいので、我慢の部類に入れていないこともあります。謙遜や謙虚が美徳という呪文に縛られているからです。自己主張や自分に正直でいることが社会と反りが合わなくなるようなことをしてはいけないという呪文があるからです。

本当に、ささやかな我慢がすごく多いんですよね、日本人は特に。
一個一個がささやかだから、我慢の部類にしてないのですね。

親孝行や親の言いなり、家族や友人とは考えが違うから自分ばかり幸せになるのはどうかと考えることは不幸設定です。親孝行の定義は人それぞれですが、自分が幸せであればそれだけで親孝行です。親の考えと異なる場合、思い切って環境を別にするとか離れてみるのは見捨てることに見えますが、そうではありません。親は親の人生があり、自分は自分の人生があります。血が繋がっているから大切にしたいこととして繋げたくなるけど、何よりも自分の幸せが最優先です。自分が幸せになれば親も周りも安心するのです。

見捨てるという言葉は乱暴に聞こえるかもしれませんが、切り離すことは必要です。それで満足したり幸せを感じたり穏やかになれるならそちらの方が良いです。普段いる場所にいるとその場所の設定で動くので、動きも考えも制限されていることがあります。一度自己犠牲っぽい環境から離れてみることで、問いかけをしてみるといいでしょう。

もう一度言いますが、喜怒哀楽は無くなりません。喜びや楽しいことも、怒りや悲しみも同じ価値があり、どちらも使っていいのです。我慢をミルフィーユのように重ねることはやめましょう。

自分のために最良を考えましょう。
考えるというのは行動する前提で思考することです。
行動しない前提でぐるぐるしていることを悩んでいると言います。

今日も読んでいただきありがとうございました。

ご支援いただいたサポートは、より質の高いコンテンツを作成し、スピリチュアルに関心を持つ方々や自己理解を深めたい方々に向けて、さらなる価値を提供するために活用させていただきます。