2020筑波大学/倫理/第四問
【2020筑波大学/倫理/第四問】
問四 以下の文章に出てくる「幼児」について、なぜ「幼児のごとくならずばこれに入ること能わず」なのか論じなさい。(400字内)
「諸学に基礎を置く人間の王国への道は、他でもない「幼児のごとくならずばこれに入ること能わず」の、天国への道なのである。」(ベーコン『ノヴム・オルガヌム』)
〈GV解答例〉
イギリス経験論の祖ベーコンは、人間は観察と実験により得られた個々の事実を帰納的に発展させることで一般的法則を発見でき、その法則を得ることで自然を支配して自らの生活を飛躍的に向上させうるが、その「王国」への道を妨げるものとして種族・洞窟・市場・劇場の四つのイドラが存在する、とした。その点で幼児は、種族のイドラからは逃れられないにしろ、まず性格も生育環境による個別化も未発達なので、洞窟のイドラには捕らわれない。つぎに言葉も未習得なので、市場のイドラからも自由である。さらに伝統や権威など理解されないので、劇場のイドラも無に等しい。人は成長するにつれ、ものの見方を知り、言葉による思考やコミュニケーションを身につけ、価値の判断ができるようになるが、その能力は一方で真理への接近を妨げる。それゆえベーコンは「幼児のごとくならずばこれに入ること能わず」として、イドラを自覚的に取り除く必要を説いたのである。(400)
〈ChatGPTくんの解答〉
ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』における「幼児のごとくならずばこれに入ること能わず」という表現は、幼児の持つ純粋さや無垢さが、新しい知識を受け入れるための心の状態を象徴している。幼児はまだ既存の偏見や先入観に縛られておらず、素直に世界を観察し、学び取る姿勢を持っている。ベーコンは、これを学問や知識の探求における理想的な態度と見なしている。すなわち、学者や知識人は自らの固定観念や過去の権威にとらわれることなく、新しい事実や観察結果をありのままに受け入れ、真理に到達するべきだと主張している。
「人間の王国への道」が幼児の心のような姿勢を必要とする理由は、科学的探究においても偏見や思い込みを捨てることで、真理を発見するための真の出発点に立てるからである。この無垢な心の状態こそ、天国や真理への道を開く重要な要素であり、学問や探究の本質とも重なるのである。
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