先生と鏡

自分が可愛いと気づいたのは小学4年生だった。
その頃ママから言われたことがあった。

「トモ、誰かに何かしてもらったら、笑顔でありがとうってちゃんと言うの。そうしたらね、すごくみんなが優しくなるからね。トモは、そんな魅力があるのよ。周りにいる人はね、自分の鏡なのよ。優しくしたら優しくされるの。」
その言葉はとても印象的で、自分も友達にそうされたら嬉しいな、とただそう思った。あの頃の私は一番素直で優しかった気がする。
私の家は普通よりも裕福で、ママはいつも綺麗で優しい。
ママの言うことは、いつも間違っていない。

その日、クラスの男子が、私の落とした消しゴムを拾ってくれた。私はママに教わった通り、すぐにその男子ににっこりと笑いかけ、目を合わせて「ありがとう。」と言った。
あの時の、男子のぽかんとした顔、そして、見る見る耳まで真っ赤になったあの姿を、私は忘れない。あの時から気づいた。

「私って、すごく可愛い・・・?」

その日から、私は自分の顔を鏡で見るのが大好きになった。

それから何年かが過ぎ、高校生になった私は毎日が最高すぎて、何も怖いものなどなかった。どこにいてもちやほやされる。グループで遊びにいけば、必ず男の子の誰かから言い寄られるし、女の子たちも、私を中心にスケジュールを作る。

次々に告られるから、その中から一番の男の子を選んで、彼氏だっていつもいる状態。
最近は社会人や大学生みたいな年上の人が好き。同じ高校生だと車もお金も持っていないから少し面倒くさい。今は3個上の大学生のケンちゃんと付き合ってる。ケンちゃんが学校の下に車で迎えに来たら、みんなが私たちを羨ましそうに見る。外車でイケメンが迎えに来るわけだし。車の名前は何て言うやつなのか知らないけど。

ケンちゃんはわかりやすくイケメンでお金持ちの家の息子だし、いろんなところに遊びに連れて行ってくれて、プレゼントもくれる。とにかく優しい。年上だからって、弄ばれてなんかいない。エッチだって、自分がしてもいいなって時しかしないもん。男の子としたのはケンちゃんで3人目だけれど、エッチしてもしなくても、ケンちゃんは優しいから、私のことが本当に大好きなんだと思う。
だけれど、周りの友人に「あいつ調子に乗ってる」とか思われたら毎日が過ごしにくい。だから、ママから教わったように、人に笑顔で優しくすることは気がけていた。そのおかげでみんなから、「トモって可愛いのに性格まで良すぎてずるい!」なんて言われていた。僻んでる子もどこかにいるのかもしれないけれど、全然私は感じない。本人が気づかないのだったら、そんなのはいないものと同じだ。
もちろん、特に仲の良い友達だっている。
彼女の名前はミユ。ミユは、私と同じくらい可愛い。私が百合なら、ミユは薔薇かな。私よりちょっとクールな顔の美人。私には白が、ミユには赤がよく似合うから。
ミユと歩いているだけでみんなが振り返るし、同級生の男の子も、年上のお兄さんも、たくさん奢ってくれたり、プレゼントもよくもらう。
私の親友だから、ミユくらい可愛くないと、ぶっちゃけつり合いがとれないと思う。よく自分を可愛く見せたいからって、自分よりかなり落ちる友達とつるむ子もいるけれど、あれは逆効果だ。ブスの方がパワーが強くて自分までブスに見える。私とミユみたいにお互いレベル高い子同士でいた方がお互いが引き立つ。何よりストレスがない。
ただ男って、派手な綺麗さより清楚さを好む事は知っているけどね。
パパもママも、私を大事にしてくれるし、欲しいものはだいたい買ってくれるし、お小遣いも言えばすぐにくれる。
意識してなくても男の子達にモテて、かっこいい彼氏や可愛い友達もいて、家族にだって愛されていて、これ以上何を望むことがあるだろうか。しかも、私はそのための努力なんてさほどしていないのだから。
きっと、このまま私の人生は楽しいことしかない。成績だって学校では上位だし、希望の大学にも簡単に受かるし、社会に出てからも一番優秀ないい男が、私を好きになるような気がする。映画やドラマでは辛い思いをして生きている人の話をよく見るけど、実際は容姿や環境に恵まれて生まれていたら、人生って意外とちょろいのかもしれない。
「人は皆平等に生まれている」という人もいるけれど、私はそうは思わない。
例えば、同じクラスに太田って女子がいる。
気の毒なほど野暮ったい顔だ。おまけに全体的にでっぷりしていてハッキリ言うとわかりやすくブス。
目、あれ開いてるのかな?見えてんの?制服だって基準のままのダッサイ丈のスカートとブレザー、生まれ持ってセンスもないんだ。なんだかくたびれてよれているし。きっと自分で洗濯機で洗ってるんじゃないかな。クリーニング代がないのかも。見るからに貧乏くさいし。
あの子、自分のこと鏡でみたことあんのかな。
クラスの子たちも、あの子はまるで存在していないかのように扱う。
この前たまたまくじ引きで同じ図書係になってしまったけれど、学校での係とはいえ、あんな子と一緒にいるのは耐えられない。
悪いけど、貧乏くささとか野暮ったいのとか感染しそう。
人はみな平等?あの貧乏な家の不細工な女子と私が、平等だろうか?そんなはずはない。特に女の人生は、外見とコミュニケーション力で決まる。それは男よりもきっと簡単で、ほとんどが生まれた時から決まっているんだ。

私はきっと、このままの立ち位置で生きていくんだと思う。
大人が言う「勝ち組」ってやつかな。

「藤崎。お前、世の中なめてるだろう。」
職員室で古賀にそう言われた時は本当にびっくりした。
なめてる?そんなわけない。私は当たり前に生きているだけだ。ちやほやしているのは周りが勝手にやっているんだから。
だいたいこいつなんなの?副担任が入院したから二か月前にいきなり臨時とかで来た男。メガネでオタクっぽいし、いつも仏頂面。歳はまだ若そうだけど洒落っ気もないし、ちっとも笑わないし、苦手な教師だ。
それに何あのネクタイの柄。
あんたと私は、住む世界が違うんだよ。えらそうに指図するなよキモい。お前みたいなのはどうせろくにモテなくて、うちら女子高生の太ももオカズにしてるくせに。

「藤崎。お前、今期図書当番になってるのに、仕事を全部太田に押し付けてるだろう。太田はいつも一人でお前の分まで図書整理やってるんだぞ。そうやってヘラヘラ笑ってごまかせばなんとでもなると思ってるのか?」
あぁあ、こういう真面目過ぎるやつってめんどくさいなぁ。
でも何のかんのでこいつも若い男なわけだし、ここはちょっと泣いておけばいいかな。

「え、先生、なんでそんなひどいことを言うんですかぁ・・・私、そんなつもりなくて・・・太田さんがいつも私には忙しいだろうから来なくていいよって言うから・・・そんなこと知らなくて、すみません、これからはちゃんとします。本当にごめんなさい・・・」

そう言ってトモは目を潤ませる。それを見ていた他の教師が止めに入った。
「ま、まあまあ、古賀先生、そんなきつく言わなくても。反省してるようですし。それに、古賀先生は赴任して間もないですが・・・トモはいつもクラスのまとめ役でもあるんですよ。結構助かってるんです。」

日本史の佐々木、いいぞ。もっと言え、言ってやれ。このオタク野郎に。私の学校での輝かしい歴史教えたれ。

「どこがきついんでしょうか?僕は当たり前で本当のことを言ってるだけです。それに、藤崎がクラスのまとめ役であることと、図書係の話は全く別のことですから。自分の仕事に無責任な人間は社会でも通用しませんし、誰かに仕事を押し付けるようなやつは、僕は大嫌いなんです。」

は?何言ってんのこいつ。古賀のくせに。まじうぜえ。お前に嫌われようが私の人生には何の関係もないんだよ。

「藤崎、今週は図書整理自分だけでやれよ。太田にはしばらく残らないように言ったから。」
はぁああああ?私今日はケンちゃんと約束してるんですけどぉおお!「・・・はい、わかりました。今まで太田さんがやってきたぶん、当然ですよね。私、今日から頑張ります!」
トモのその言葉で周りの教師は笑顔で頷いた。
だが古賀だけは、無表情のままで、
「じゃ、今日から放課後はすぐ図書室に行ってくれ。もう戻っていいぞ。」
と言って、さっさと席を立った。

まあいいや。他の教師へのいい子アピールのためにも仕方ない。
ちゃっちゃと終わらせて遊び行っちゃおう。たかが本の整理だけでしょ。それに、私がやる気になったら、太田みたいな鈍くさい女の何倍も仕事早いんだから。

放課後、トモは図書室で途方に暮れていた。

信じられない・・・・毎日こんなに本の貸し出しや返却があるなんて。おかげであっちこっちバラバラになってるし。並べ直しがたくさん。何、太田って。全然仕事できてないじゃん。
だいたい、みんな何で学校の図書室で本を借りるのか、意味がわからない。何か調べるから?はぁ?グーグル先生が一番早いっしょ。
無駄に本を貸し借りするやつらのせいで、私の帰りは遅くなる。ケンちゃんと新しくできたパスタとスイーツのお店に行く予定だったのに・・・

ろくに整理が終わらないまま、2時間近くがあっという間に過ぎた。
図書の整理デスクは、図書室の一番奥の部屋で薄暗い。トモは人気がいなくなった図書室が急に不気味に感じた。

外も暗くなっちゃうし、そろそろ帰ろうかな。
もう誰もいないし・・・

「トモ、一人で大変だな、大丈夫か?」

見ると、佐々木が立っていた。一番奥の部屋まで入ってきてるのに、気づかなかった。
「あ、はい先生。ありがとうございます。でも、何とか大丈夫です。」
「そうかそうか、古賀先生も無茶言うよな。不慣れなのに一人で図書整理なんてなぁ。・・・先生もちょっと手伝ってあげようと思ってさ。」
そう言うと佐々木はなぜか、整理室の入り口の外を見てから、扉を閉めた。その仕草になんとなく鳥肌がたった。
「えーと、どれどれ、記載ノート見せてごらん。」
そう言って佐々木は座っているトモの後ろ側から覆うようにして、ノートを覗き込んだ。
トモは感覚的に佐々木を遠ざけたかった。
覗き込んでるのはノートじゃなく、自分の身体を見ている、と思った。なんだか、呼吸が少し荒い気がする。

「あ、じゃあ先生、ノートどうぞ。」
そう言ってトモはノートを机の反対側に置く。

早く離れろよ、気持ち悪いな。

「お、おお、ありがとうな。」佐々木はあきらかに残念そうな声のトーンになった。

やだ・・・本当に暗くなる前に帰ろう。

「先生、私、そろそろ帰ろうかと思ってたんですよ。もう、続きは明日やりますから。暗くなっちゃうし。」
トモは帰るためにバッグを持つ。早くここを出たい。
「ん?おお、そうか・・・なら、明日からはもっと早い時間に手伝いにくるよ。」
「ああ・・・いえ、これは私がちゃんとやってなかったからなんで、いいんです。1人でやりますから。」
「そうか。じゃあ、今日は先生が車で送ってやるよ。」
佐々木はトモの行く手をふさぐように目の前に立った。

なんだろう、こいつ、なんだかニヤついてる気がする。

「え・・・いや、あの、大丈夫です!」
佐々木はトモをじっと見つめている。その視線は教師ではなく、若く美しい女を見る中年男の視線だった。
「・・・トモ、お前大学生と付き合ってんだってな。」
「・・・え?」
「まだ高校生なのに。遊びまくりの大学生と、いつもどんなデートしてるんだ?」
「・・・なんでそんなこと言わなきゃいけないんですか。」
怖い。今私、すごく怖い。全身に鳥肌が立つ。震える。動けない。

佐々木はトモを露骨に上から下までなめるように見ている。
「色々噂を聞いてんだぞ、先生も。だけどさぁ、まだ高校生だ。それってお前の彼氏は淫行だぞ。いつも、学校帰りに車で迎えに来てるんだろ?制服のままホテルに行ってるのか?エッチしまくってんだろ?」
「そんなこと、してません・・・。」
声も震える。
「お前の親御さんも、そんなこと聞いたら落ち込むぞ。なあ。あっちこっちで淫行とか噂されたら、なあ。」
佐々木はトモの頭を撫で、そのまま髪の毛を指に絡ませた。トモは、動けなかった。
「やっぱり若いな、髪がすべすべだ。髪だけじゃないか。肌も綺麗だな。」佐々木は髪の毛から指を頬にすべらせた。反対側の手で、肩を撫でている。息が荒い。嫌だ。気持ち悪い。トモは恐怖で涙があふれた。

触られている・・・嫌だ。怖い。怖い。
このままじゃヤバい。こいつ教師のくせに私のこと・・・誰か。

「トモ、何で泣いてるんだ。先生がお前の親御さんに言うとでも思ってるのか?そんな事しないよ。先生はトモの味方なんだ。」
佐々木の息がさらに荒くなる。肩にかけていた手は、腰や太ももに伸びていく。

嫌だ。嫌だ。誰か・・・ママ、助けて。

「佐々木先生。図書整理に来たんですか?」
入口に、いつもの仏頂面の古賀が立っていた。
佐々木は慌ててトモから手を離す。
「あ、ああ!古賀先生。いや、あの、トモが一人で大変かと思って。もう、ちょうど帰るところだったんですよ、なあ、トモ。」
トモは古賀と目が合った。トモは小さく、首を横に振る。目にはさっき職員室で潤ませたものと違って、本物の涙があふれていた。
「・・・そうですか。ではどうぞお帰り下さい。藤崎は私が送っていきますんで。」
「え・・・あ、いや、私がちょうど車で送ろうかと言ってたん・・・」
「お帰り下さい。」
古賀は佐々木を睨みつけた。
「あ、あああ、そうですか、では、はい、よろしくお願いします。」
佐々木が古賀の横を通り過ぎようとした瞬間、古賀は佐々木の足を払った。
「うああ!」佐々木が派手に転ぶ。
その瞬間、古賀はそのまま佐々木の顔を思い切り蹴飛ばした。
佐々木は鼻血を出して、「うがぁあああ!」とその場でうめいていた。
トモはいきなりの展開で呆然とそれを見ていた。もう、涙は止まっていた。
「ああ、佐々木先生、だめですよ~帰るなら早く帰らないと。僕は目が悪いんです。そんなとこにいらっしゃるから、見えなくて足がひっかかっちゃったじゃないですか。」
「お、お、お前!こんなことしてただですむと思ってん」
古賀はポケットからスマホを出した。そこには、泣いているトモににじみよる佐々木の動画が映っていた。
「ああ、偶然こんなものが映ってました。何でしょうね、この動画。僕は目が悪いんで、よくわからないんですよね。明日の職員会議でみんなで検証しましょうか?」
佐々木は青ざめてよろめきながら、「うひぃいいい!」と漫画のような悲鳴を上げながら走り去っていった。

送ると言われたので車なのかとトモは思っていたが、古賀は電車通勤だったようだ。一緒に暗くなった道を淡々と歩く。
古賀はしばらく何も言葉を発さなかったが、突如話しかけてきた。
「藤崎、今日はすまなかった。」
「え、どうしてですか?」
「いや・・・僕が仕事を一人でやらせたし、実は責任感じてるんだ。すまなかった。」
仏頂面の古賀の言葉にトモは少し驚いた。
「そんなことないです。古賀先生が助けてくれなかったら・・・本当にありがとうございました。私、怖くて、動けなくて。
でも、その場であんな動画も撮ってるなんて・・・先生って冷静なんだね。いつからいたの?」
「うん、結構はじめのほう。ていうか、佐々木先生がキョロキョロしながら図書室の方に行ってたから後をつけたんだ。」
「えええ!!」
「まさか、あんなことやりだすとは思わなかったけどな。たぶん、僕の悪口でも言ってるんだろうなぁ、聞いてやろうかなぁってくらいでついて行ったら、いきなりセクハラが始まったからな。想定外で、面白いから撮った。あはは。」
「面白いって・・・ひどい!だったらもっと早くから助けてくれたらよかったのに!!」
「教師のセクハラ現場を見たのは初めてだったからな、つい興味でしばらく様子を見てしまった。それに、僕のカポエイラの技術を試してみたくなったから、あんまり早く行くとセクハラが成立しないし、堂々と披露できないだろう?」
「か、かぽえいら?」
「知らないか?足技の格闘技みたいなやつだよ。」
「え、先生、そんなのやってるの?すごい!」
「いや、ネット動画で見ただけ。」
そう言うと、古賀がトモの顔を見てニヤリと笑った。
古賀が笑ったところを初めて見た。
その瞬間、トモは自分の心臓の音が聞こえた気がした。
「藤崎、どうする?訴えるか?証拠もあるけど。」
トモの心臓の高鳴りは、古賀のこの冷静な一言で別の意味で増してしまった。
「先生、今はまだ何も考えられないよ。怖かったけど・・・」
「そっか、そうだよな。すまない。動画は保存しとくか?」
「だから、今はそんなの何も考えられないってば!」
「そっかそっか。すまんな。」
「私が消してって言ったら消して。絶対1人で見ないでよ。」
「何で僕が佐々木先生のセクハラわざわざ見るんだよ。」
「あいつじゃなくて、私の事でしょ普通!とにかく見ないで。」
「そっかそっかそっか。考えたらそうだな。」

やっぱり、この男は変わっている。それでも、トモは古賀と歩きながらこれまで付き合ってきた男たちとは全く違う心地よさを感じていた。ついさっき恐ろしい目にあったのに不思議だ。

先生は、きっと私の事守ってくれる。
と言うよりも、私が先生に守られたいんだ。


翌日から、佐々木は体調不良とやらで休んでいた。そしてそのまま1か月もしないうちに、体調悪化のため、という理由で退職した。

「きっとあのかぽえいらキックが効いたんだろうな。」
あの日からトモは古賀を見かけるたびに近寄って話かけるようになった。今日も放課後に廊下を歩く古賀を発見して、ついて行く。
「古賀先生!図書室行くんですか?私も行く!」
「こなくていい。お前の当番はとっくに終わってる。」
「じゃあ、何か仕事手伝う!」
「いらない。それより自分のことやれよ、もうすぐテストだろ。」
「大丈夫。私、成績いいもん。ねぇ、先生メールしようよ。交換しよう!」
「生徒とメールする必要性がわからないから、しないな。」
「・・・先生って、冷たいよね。」
「いや、今朝の体温は36・4度だったぞ。まあまあ健康体温だ。」
「え、毎日計るの?」
「冗談だよ。」
古賀はちょっとニヤリと笑う。トモは、その顔にキュンとなる。
図書室に入ると、同じクラスの太田がいた。
「おう、太田。今日もいたのか。」
「ここが一番宿題はかどるので。先生も図書室好きですね。」
古賀はやたらと笑顔だった。

何こいつ。先生に馴れ馴れしい。トモは苛立ちもありそのまま図書室を出ようとした。
「藤崎さんも、何か調べるの?」
太田が話しかけてきた。
「私は別に。調べなくても教科書読めばわかるし。学校の宿題くらいいちいち調べないよ。それにこっちの方が早いしなんでもあるじゃん。」
トモはポケットからスマホを出す。
「そうだよね。やっぱり藤崎さんは今どきの子って感じだなぁ。」
その言葉がやけに鼻についた。なんだか見下されたように感じたのだ。
「太田さんだって同じ歳じゃん。そっちがやけにおばさんみたいなだけじゃない?見た目もさ。」
「藤崎。」
古賀が目の前に立った。

ヤバい。私としたことが、先生の前で最大限意地悪な態度をとってしまった。先生に嫌われちゃう。

古賀はトモの頭を一度だけポンと軽く叩いて、去っていった。
トモは思わず言い訳をしながら追いかける。
「先生、今のは違うんだよ。太田さんが私の事馬鹿にしたから。」
「僕には関係ないけど、もっとみんなに優しくしろよ。」
「ごめんなさい。でもさ。」
「それとも。」
古賀がトモの目を見る。
「関係あるのか?」
息が止まりそうになった。
トモは耳まで熱くなる。
古賀は口の端だけでちょっと微笑み、図書整理室へ入った。


ねえ先生。私はあの日から先生のことがずっと頭から離れないんだよ。それなのに先生だけ大人なんて、ひどいよ。

「トモ、最近何で古賀にくっついてまわってんの?あんなダサいやつに。」
ミユがシェイクのストローを咥え、顔をしかめながら言う。
「うん、色々あってね。それに、意外と古賀って面白いんだよ。」
「へぇええ、あたしには理解できないけど。それに、最近ケンちゃんが言ってたよ。トモがあんまり会ってくれないって。ケンちゃんと何かあったの?」
「ううん、ケンちゃんとは何もないけど・・・ただ、学校帰りに車で来てもらうのはやっぱあんまりよくないなって思ってさ。いろんなこと言うやつもいるみたいだしさ。」
「は?別に人がなんて言っても関係なくね。」
「うん、そうなんだけど・・・」

ケンちゃんってミユに私のこと話したりしてるんだ、なんてちょっとだけモヤっとしたけれど、それよりも、私は古賀先生で頭がいっぱいだったから、すぐにそれも忘れた。本当は、一番の理由は、ケンちゃんといるのを先生に見られたくないから。

あの日のことを、トモは母親にも言えないままだった。
先生が味方してやると言ってくれたけれど、レイプされたわけじゃないし、娘が怖い目にあったと知ったらママも悲しむだろうし。それに、もしかしたら私に図書整理させた古賀先生が責任取らされたりしたらそれが一番嫌だもん。もし、先生が学校からいなくなったらどうしよう。私はもう先生に会えなくなる。その時はどうしたらいいんだろう。

そんな事を考えていたら、突然その日は来てしまった。
古賀がホームルームの最後に唐突にこう言った。
「えー、来週、副担任の中嶋先生が戻られます。僕は別の学校に移動ですので、まあ、君たちにはどうでもいいでしょうけれど、一応お伝えしておきます。」
一部の子はどっと笑ったがトモは青ざめた。

ホームルームが終わると、すぐにトモは古賀に駆け寄る。
「先生、どこの学校に行くの?近く?まさか遠い?」
「近いと言えば近いし、遠いと言えば遠いな。距離なんて、その人によって感覚が全く違うものだからな。」
「もう!ちゃんと答えてよ!」
「僕はちゃんと答えてるよ。人によって時間や距離は差があるんだ。アメリカが近い人もいれば、隣町が遠い人もいる。」
「わかった。じゃあ、なんて街のなんて学校?」
「○○市のM高校だよ。」
「それって、ここからどれくらいかかるの?」
「まあ、車ならぶっ通しで高速も乗って3時間ちょいってところかな、電車なら新幹線も乗り継いで5時間か。まあまあ田舎だ。左遷かな、僕はセクハラしてないけど。」
「茶化さないでよ!それ、高校生にはめっちゃ遠いやつじゃん。」
「そうかもな。」
そう言われたトモは悲しくて露骨に落ち込むが、古賀はトモの方すら見ていない。
トモはそんな古賀の様子にさらに悲しさが増す。
所詮、高校生の自分のことなど古賀は何とも思っていないのだろう。これまで若い男たちはトモにチヤホヤしてきたが、こんな風に自分に興味を示さない男もいることを痛いほど思い知らされる。
トモは、なんとか古賀の心を少しでも自分に向けてほしかった。
せめて、離れる前にお互いが両想いになれば、遠距離でも、歳の差があっても、付き合えるはずだと。
とても幼稚で単純で感情的な妄想が一瞬で膨らむ。
「先生・・・じゃあ引っ越すの?」
「ああ、今慌てて荷造りしてるよ。」
「そっか・・・ねえ!日曜日に手伝いに行く!」
「・・・断る。」
「何でよ!いいじゃん。もううちの先生じゃなくなるんだしさ。それに、先生何か勘違いしてない?私一人じゃないよ。ミユと、アカネと、ナツと、みんなで行くから。ねえ、いいでしょ?あの時の御礼がしたいだけなんだから。荷造りの手伝いくらいいいじゃない、最後に!」
「・・・・そうか。うーん・・・わかった。ただし、真面目にやれよ。キャーキャー遊んでたら即追い返すからな。」
「うん!真面目にやります!」
トモは、古賀から住所を書いたメモをもらった。メールで送ってよ、と言ったけれど、やはり古賀は教えてくれなかった。
それでも、古賀と学校以外で会う約束をできたことだけでもトモは浮かれていた。

その日はミユと帰りにいつものファーストフード店に寄った。
「ねえトモ、今からケンちゃんこっち来るって。」
「え!何でよ!?」
「だってさ、ケンちゃんからずっと相談されてたからさ。トモに別に好きな奴ができたんじゃないかって。だから私、そんなのいないはずだって言ったんだけど。で、会いたいから一緒の時場所教えてって。」
「そんなの、普通私に先に聞かない?勝手にやめてよ!」
「仕方ないじゃん。ケンちゃんずっと私に連絡してくるから。トモが避けてるからでしょ。」
「今はなんか気が乗らないだけだよ。」
「トモ、まさかだけどさ、あんたあのダサ古賀の事マジで・・・」
ミユが途中で言葉を止めた。いつの間にか大学生のケンジがトモの後ろに立っていた。
「ケンちゃん。」
「誰よ?古賀って。」
「何それ知らないよ。」
「知らないってことないだろう。トモ、お前誰か違う男と会ってんじゃないの?」
「会ってないよ。」
「じゃあなんで俺のこと避けるんだよ。」
「テストとかあるし、ちょっと最近遊びすぎだなって思ってただけだよ。」
2人の会話にミユは気まずそうに話しかける。
「じゃ、あたし帰るからさ。ケンちゃんここ座りなよ。トモ、また明日ね。」
「ミユ、ごめん。」
「いいよん。」

ケンジはミユが去った後の席に座って、頭を抱えていた。
「トモ・・・俺本当に辛かったんだよ。メールもほとんど既読無視だし。俺、お前に会えないと本当に死にそう。わかってる?」
「ごめん・・・」
「ねえトモ、俺の事嫌いになった?」
「そんな事ないよ。」
「じゃあ、好き?」
「・・・うん。」
「・・・じゃあ、今から俺の家来てよ。」
「・・・わかった。」

ケンジの家に行って、する事はわかりきっている。男の言う好きって、エッチしたいって事なのかな。私とはちょっと違うな。
先生、ごめんね。
ケンちゃんの事断れなくて。

ケンジの車に乗って窓から見えるのは、あの日古賀と歩いた道だった。


約束していた日曜日になった。古賀のアパートのチャイムが鳴る。
ドアを開けると、「先生!来たよ!」とトモが元気に現れた。両手に大きな買い物袋をさげている。
「おじゃましまーす!」ずかずかと上がり込むトモを見ながら、古賀はため息をついた。
「藤崎、僕は今お前に訊きたいことが3つある。まず、なぜお前ひとりなんだ?次に、なんだその買い物袋は。それから、その恰好は、本当に荷造りするつもりで来たのか?」
「えっと・・・ミユたちは、後でくるんだよ!それで、これは、先生とお昼ごはん食べようと思って。あとケーキも。それと・・・この格好おかしいかな?スカートじゃなければいいかなって思って・・・」
ミユはショートパンツに袖がひらひらして胸元の開いたシャツを着ていた。
「そんな恰好でウロウロされたら気が散る。足を隠せ。ほら、これを上から着ろ。」
「えー!!何これ?ジャージ?ダサい!」
「嫌ならもう帰れ。」
「わかりましたよ!履きます!」
「ちゃんと上下着ろよ。」

せっかく可愛い格好で来たのに、まさか上下ジャージを着せられるなんて。あ、でもこれ、先生の匂いだ。

トモは思わずジャージの匂いをクンクンと嗅いだ。
「バ、バカ!お前何やってるんだ!」
古賀の顔が赤くなった。
トモは小学校の時の、あの消しゴムを拾ってくれた男子を思い出した。

あ。先生今、私のこと可愛いって意識したんだ。これってかなり脈ありなのかも。

それからひたすら荷造り作業を続けた。と言っても、ほとんどが本の整理だ。古賀の部屋には大量の本があって、やたら几帳面らしく日本語も英語もアルファベット順にしまわないと叱られた。A~Eの本を探しながら、箱に詰めていく。何よこれ、学校の図書整理よりめんどくさいじゃん。
「ねえ先生、お腹すかない?私、何か作る!」
「あのなぁ、今片づけている最中なのにまた散らかしてどうするんだよ。カップ麺で十分だよ。」
「えー!でも私、チキンのトマト煮、得意なんだよ。先生に食べてほしいから材料買ってきたのに。」
「・・・それ、いったいいつできるんだ。いいよ、カップ麺で。僕はいつもそんなもんだから。」
「あ、じゃあ夕飯に作る!」
「お前いつまでいるつもりだ。それに、もう2時間くらいたつぞ。」
「それがどうかした?」
「お前、みんな後で来るって言ったよな?」
「・・・ごめんなさい。嘘。」
「・・・まあ、そんな気はしてた。」
「え。てことは、てことはさ、先生も、私と二人きりでもいいって思ったってことだよね?」
トモはめいっぱい可愛い顔を作り古賀を見つめる。
そんなトモを見て、古賀はため息をついた。
「あのなぁ。前から言おうと思っていたけど、お前は色々勘違いしてるぞ。」
「何が?」
「僕があの時、お前を助けたと思ってるだろうけど、そうじゃない。言ったように、責任を感じていたり、目の前の教師のセクハラが珍しかっただけだ。正直、あの先生のことは前から好きじゃなったからな、殴る理由ができて結構嬉しかったんだよ。しめた!今だ!と思ったんだ。」
「うわ、なんか教育者として言ってはいけないこといくつも言ってる。それに、殴ってないし。かぽえいらキックだし。殴るよりひどいじゃん。」「あ、そうかカポエイラだったな、うん。いや、だから。」
「だから?」
「お前は、まだ子供なんだよ。外側だけ大きくなっても子供だ。今、僕に関心を持っているのもほんのひと時のことだ。みんな若い時はそんなものなんだよ。」
「そんなことないもん。私、本当にあの日から先生のことが・・・」
「そんなことあるんだよ。僕はお前よりそれを知っている。だから、もうこだわるな。僕は本が好きなだけの、つまらない普通の男だ。お前は、勘違いしてるんだよ。僕を知らない。」
「・・・私、子供じゃないよ。色んなこと知ってるもん。大人がそう言って、ごまかすことだって。」

ごまかされないんだから。この気持ちは。今まで感じたことのないこの気持ちは。
私のこと、先生だってきっと。だって、あの時にあんなに怒ったのは。私を守ろうとしてくれたからでしょう?

トモは立ち上がって、古賀に着せられたジャージと、中に着ていた服を脱ぎだした。
「ちょ、お前、何やってるんだ!服を着ろ!」
「やだ。先生が、私のこと子供扱いするから。そんな言葉に、ごまかされないんだから。私、そんなに子供じゃないもん。先生だって本当は知ってるくせに!」
トモは服を脱ぎ捨て、下着姿になった。
「・・・なるほどな。確かに子供じゃないな。」
「・・・先生。」
「お前、自分のやっていることに責任とれるのか?男の前で服を脱ぐって、どんなことかわかるよな?」
「・・・うん。先生とだったら、私いいよ。」
「・・・無理だな。」
「え?」
「お前とそんなことはできない。」
「私が生徒だから?」
「生徒じゃなくてもできない。」
「何で?」
「お前には欲情しない。そんな枝みたいな身体見せられてもなんとも思わない。もっとはっきり言おうか?お前じゃ勃たないんだよ。」
トモは古賀の容赦ない言葉に一瞬血の気が引いたが、すぐに脳天まで血が昇る感覚がした。頭の先まで熱い。

恥ずかしさで首から上全部が真っ赤になっているのがわかった。と同時にたちまち涙が溢れ出る。トモは泣きながら、自分の服を着た。
「わかったらもう帰れよ。僕はあいつと違ってロリコンじゃないんだ。」
「・・・帰ります。」
トモは泣きながら古賀のアパートを出た。

ひどい。ひどい。あんな事言わなくったって。古賀の馬鹿!あんたなんか好きになったのが間違いだった。全部勘違いだったんだ。私の馬鹿!




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