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ちいさな沼/カナメが斬る!

さてはて、連休。
なんにもない丸々1日がオフであれば好きなだけ寝て、時々漫画読んだり音楽聞いて、ご飯食べたら歯を磨いて寝直す。そんな自堕落極まる充実度云々はどっかに忘れてきた生活をするのですが、そうは問屋が卸さない。やんわりと設定した公演にまつわる事務や連絡がある。
取りまとめてもらったスケジュールを、各人のこれまでの急な不都合とか鑑みつつ……果たしてどう組んどいたら重過ぎずになんかあったときの取り返しが聞いて、ダレることが少なくなるか。9人による9パターンの波をいかに組み合わせるか。
キーボードやマウスを触らなければ、静止するパソコンの画面と睨めっこして、気付いたら稽古の時間だった。

人数が少なかろうと暇を持て余してはいられないのでゴリゴリ稽古する。稽古の様子はあれだ。毎日日記を綴る出演者の要小飴さんがnoteで書いてくれていた(彼女の今日の記事
本が上がってんのになんで自分の役が出来ないんだ!!なんてことをおくびにも見せない。演出として見てると、開けてきた引き出しから「どうやろ?面白いかな、見て見て」という感じで試してくれる。マジ頭が下がる。

自分の書き癖としては、文学めいた演劇然とした台詞回しを要所で起きつつ、それらを繋ぐ会話はどっか映像的というのか。好きだったり、幼少期からこれまで観ていた耳触りの良いやり取りドラマ脚本やアニメ脚本の文体を用いてる。
結果、主に担当する役にはそれぞれに名前があって、いかにもドラマ然とした作風になってる。人物造形もそれぞれに、アクのあるものばかりでそれぞれが全然違う設定になってる。
その中で俳優さんを決めて、その人に寄せて改稿するものだから自分の役は比較的演じる取っ掛かりがある。
しかし、担当でない役となれば笑って眺めてたのが、「代役するけど、ワタシこの引き出し持ってない。知らない意味がわからない」と思い、萎縮して掛け合いの為の仮説音響装置になる様子をよく見る現場が多い。

しかし、要さんは「やるよ?任せとけ。本役とか理想の絵面になりきれんけど、私のできる全力だ」と、率直に読んだ印象から素直に動いて演じてくれる。家出記念日のぶっ込み女番長です、シビれる!

写真はニュルンと演じる要さん。それを見つめつつ演じるヤマナカサヨコさん。あと坂口弘樹氏の後頭部

その腹の座った作品の向き合い方や演技を観ていると代役とかでなく、要さんによるこの人物の解釈であり、これはこれで一つの真実であり見せ物として観てしまう。なるほど、そういう捉え方なのね!そういう一面もあるのね、ふむふむとなる。
ハンチング帽を頭に、手のひらサイズの手帳にメモをする感じです。分かるでしょう?ウマ娘のマチカネタンホイザはかわいいんです。マチタンはかわいい、絵も良い、声も可愛い、演技は胸を掴まれっぱなしです。でも、僕は猫背で椅子に浅く掛けて姿勢の悪さ全開です。


自分で戯曲やら上演台本を手掛けてはいるが、大まかな筋道を記してるだけなので、感情の機微や段取りなんかはロクに詰めてない。それが余白になるようには勿論心掛けるが、どうしようもなくただの穴だったりもする。それはさて置いて、相手が変われば対応が変わるのが人間。演出中はどうしようもなく代役となることがあるが、それはそれで受け入れて演じるようにお願いしてるので、演技が変化していく。
そうすると同じ台本の同じ人物たちの関係も、複数のパターンが生まれて、結果として本役を演じてもらう上での軸が見えてくる。俳優側も頭で考えつかなかったことが、身体や感覚でもって認識されていく。それを擦り合わせていく。
何を見せようとしてるのか。
何を見せるべきなのか。
面白いけど、やって良いのかも見える。そこは稽古にいる皆で協議しております。
嬉々として代役を担って助けてくれる優しさの象徴で要小飴さんをピックアップしましたが、徳丸さんも負けていない。身体がデカ過ぎて熱く演じてくれるので、普段の好みのトーンとかアウトラインがバッキバキに壊れていく。すぐ直すが、こんな形だったか?とかなりの頻度でなっている。まぁこんなもんか……次へ行こう。

明確ななにかメッセージのあるものではなく、ただただ使おうとしてる会場地で、なんとなく見たいと思って書いて、そこにただある事実として粛々と演じてもらってます。
演じて見つめる先だけでなく、演じる背中で受け止めて担いでいるものを見てもらう。
そんな会話劇です。

家出記念日、ちまちま準備しています。
ちょっと情報を下げさせてもらってますが、元気にやっております。
よろしければご興味もっていただいて、ご期待いただけますと幸いです。

生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ