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ワンピースのモデルになった海賊:フランソワ・ロロノアの真実

はじめに

フランソワ・ロロノア(François l'Olonnais, 1630年 - 1667年)は、17世紀にカリブ海で活躍したフランス人の海賊(バッカニア)である。本名はジャン=ダヴィド・ノー(Jean-David Nau)。出身地であるフランス西部のレ・サーブル=ドロンヌ(les Sables-d'Olonne)に由来する通り名であるロロノアの方がよく知られている。彼はスペイン人を憎悪し、捕虜にした敵は一人も生かさず、住民には虐殺、拷問、強姦など残虐行為の限りを尽くした。しかし、トルトゥーガ島では気前よく金をばらまく人気者でもあった。彼の生涯は以下のように語られる。

貧民から海賊へ

ロロノアは最下層の貧民の家に生まれた。1650年代に年季奉公人としてカリブ海の西インド諸島に送られた。やがて年季から解放された彼は、様々な島を渡り歩き、海賊団に加わった。メキシコのカンペチェの近くで彼の乗っていた海賊船が難破した際、追い討ちをかけるようにスペイン軍の攻撃に遭った。ほとんどの乗組員は殺されたが、ロロノアは他人の血を自分に塗り、死体の間に隠れて生き残ったという。スペイン人が出発した後、彼は一部の奴隷の助けを借りてトルトゥーガ島へと逃れた。カットラス(片手刀)を使うのを好んだ彼は、その武芸と度胸で海賊団の首領にのし上がった。

ハバナの総督に挑む

ロロノアと彼の仲間たちは、ハバナの町を人質にとって身代金をスペインの統治者に要求した。ハバナの総督はロロノアの一味を撃退するために軍艦を送ったが、ロロノアは逆にその艦を制圧し、一人を除いて乗員を皆殺しにした。そして生き残った一人に、伝言をハバナに届けさせた。その伝言で、ロロノアは「今後スペイン人には、いかなる容赦もしない」と宣言した。

マラカイボとジブラルタルを襲撃

1666年、ロロノアはマラカイボを制圧するために、8隻の艦隊と600~700人の仲間と共にトルトゥーガ島を出航した。途中で多量の銀貨(2億4000万円ほど)を積んだスペインの輸送船に出会い、襲撃して積荷を奪った後、再びマラカイボへ向かった。港への入口は大砲のある砦に守られていたため、海賊軍は防備の薄い陸伝いに接近して砦に攻め込み、守備隊は激戦の末に玉砕した。海賊団は市街を占領し、即座に退却できるように町の城壁を破壊してから略奪を始めた。陥落の際に多くの住民が資産を隠して逃げたため、海賊たちは富裕そうな者を捕まえると財産の所在を明かすまで拷問し、何日間も町のあちこちから悲鳴が聞こえた。彼らは二週間にわたってマラカイボの町を収奪し、銀貨2万枚をはじめ多くの略奪品を船に積み込んで、マラカイボを引き上げた。

その後、同じようにジブラルタル(ベネズエラ)の町を襲撃したロロノア一味は、500人のスペイン駐屯軍を全滅させ、町を制圧した。海賊たちは市中で多くの貨幣、宝石、金銀、絹、捕虜の身代金を分捕り、ジブラルタルの町は壊滅した。

残忍な最期

このマラカイボとジブラルタル襲撃で名を上げたロロノアは、スペイン人から「ロロノアに出くわすほどなら死んだ方がまし」と恐れられた。ロロノアは非常に残忍で冷酷であり、捕虜にした敵は一人も生かさず全員を殺し、住民には虐殺、拷問、強姦など残虐行為の限りを尽くした。スペイン人を憎悪するあまり、自ら捕虜のスペイン兵の胸を切り裂き、心臓を引き出して食べたという。しかし、彼も彼の仲間も、トルトゥーガ島では気前よく金をばらまく人気者だった。

1668年、ロロノアの一団はニカラグア沿岸のプエルト・カベロという港町を襲撃したが守備隊に撃退された。その帰途で彼の船はパナマ沿岸の浅瀬で座礁し、食料を探しに内陸に入ったロロノアは人食いの風習のある原住民に捕まり、生きたまま手足を切り取られて火あぶりにされ、生涯を終えた。
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