綺麗事抜きにKS炎上を語る
タイ俳優の話ですが、SNS批判や差別についての内容なので、界隈外の方も良かったら読んでみて下さい。
先に言っておきますが、私はKSのオタクでもNewのオタクでもGMMのオタクでもないです。
あとレイプ被害者でもなければ、同性愛者でもありません。
配慮に欠ける冷たい表現があるかもしれませんが、綺麗事抜きに、というタイトルなので悪しからず。
結論から言うと、オタクはもう見守るしかないというのが私の意見。
事件概要
一応書いておくと、GMMTV所属の俳優・Krist、Singto、(New)が過去、差別的発言をしたとして批判を受け、6月17日にKristが謝罪会見を行った。
具体的な内容としては
・ライブ配信においてモザイクがかかるフィルターを使い、レイプ被害者だと揶揄し笑う
・SNSにて「ゲイですか?」と質問を受け、「違う」と怒る顔文字をつけて回答。その回答内容が差別的だったらしい。私は自分で翻訳してないので知りません。
・日本のAV女優を蔑むような投稿
・知的障害者を馬鹿にするようなジェスチャー
・”ラオス”に対し、侮蔑を意味する言葉の使い方をした
ということらしい。
怒る権利と謝罪対象
冒頭で書いた通り、幸いにも私や私の家族は今まで性犯罪を受けたことはなかった。
だから被害者の方には申し訳ないが、そういう人たちの気持ちを理解してあげることは一切できない。
もちろん、彼らの発言は良くないことであることは間違いないし、傷ついた人がいるのも事実。
ここまで事が大きくなったのがその証拠だ。
でも、大多数の人間は彼らに対して怒る権利はない。
彼らは自分の家族でもなければ友人でもない、そして彼らに”加害”されたわけでもないのだから。
もし、今まで応援してた時間を返してってことなら、無理なのでさっさと別の推しを見つけるのが時間の節約になると思う。
私たちは勝手に彼らを応援しているということを忘れてはならない。
推すのも自由、離れるのも自由、所詮私たちは推しにとって他人だ。
変わりなんていくらでもいる。
”大多数”の中に、自分や周りが受けた被害を思い出したり、そうじゃなくても不快に思ったりして傷ついたりした方(=直接の謝罪対象)はもちろん含まれない。
この直接の謝罪対象、というのが肝。
今回Kristが行った謝罪を向ける対象は、Kristたちの過去の発言に傷ついた方々。
そうではないオタクは、そもそもはっきり言って野次馬なのである。私も含め。
被害当事者とオタク
当事者の方は怒って当然なので、会社なり本人なりにぶつければいいと思う。
ただ、それで自分の気持ちは晴れても、彼らが過去にした発言が消えることはないし、それによって傷ついた過去も消えることはない。
どれだけ時が経とうとも、過ちは必ず自分に返ってくるし、彼らにとってのそれは今だ。
社会的地位や知名度のある彼らは、たとえちょっとしたSNSの更新でも自分の発言一つ一つに責任を持たなければならない。
だから批判を受け取ることも謝罪をすることも、彼らがしなくてはならない当然のことだと思う。
でも、それはオタクが推しを甘やかしちゃダメな理由にはならない。
オタクというのは、世界で一番推しを無条件に甘やかせる存在なのである。
もちろん犯罪を犯しても許せ、盲目でも良い、という意味ではないなのだが、極論それでも許されるのはオタクだけだと思う。
親や上司が何をしても許しているようではもちろんダメだし、友人だって時には厳しい意見を言うこともあるだろう。
だが、オタクはそうじゃなくていい。
オタクには責任がないからだ。
推すのも自由、離れるのも自由、と書いたが、推し方だって自由。
盲目でいたいのなら、それを止める権利は誰にもない。
しいて言うなら周りの人間だけ。
推しも同じだ。
叱ったり再教育をしたりするのは、会社や親や周りの大人たち、然るべき施設(犯罪であれば警察、裁判所など)がすること。
私たちオタクが口出しすることではない。
SNSでの批判
最近日本ではSNSなどでの批判が原因と言われた有名人の自死事件があった。
彼女に何があったのか私は知らないが、彼女が番組内で世間の人から見るとあまり良くない態度を取り、批判を受けたのだろう。
SNSでの批判が一人の心を追い詰め命を奪うことに繋がると人々は痛感したのだが、その実は何も変わっていない。
SNSで批判する人を批判する人、が多数いた。
じゃあ、そのSNSで批判してた人がたくさんの批判を受け自死を選んでしまったり、そうでなくとも自分の過ちを責められ傷ついていたりしているとしたら?
SNSで批判する人を批判する人、は大ブーメランを受けて、自分が批判していた”SNSで批判をする人”になるのだ。
今回の炎上事件にも同じことが言える。
Kristたちが犯罪の二次被害などを起こしてしまったことは事実だが、そのKristたちを執拗に攻めることで、今度は被害を受けた側や無関係な者たちが彼らを傷つける加害者になってしまわないだろうか。
このSNS批判における問題は、無限ループなのである。
だから、この無限ループをどこかで止めなくてはならない。
そもそもの加害がなければこのループは起こらないのだが、起きてしまっている以上そんなたらればの話をしていても仕方ないのだ。
この事件に限らず、今後もまた必ず同じ問題は出てくる。
被害者側が声を上げるなとは思わない。
しかし、このSNSにおいては加害者を責めることは新たな加害者を産むだけの行為だというのを忘れてはならない、ということだ。
私もSNSで批判する人を批判する人を批判する人、になっているのかもしれないが、直接言うのとインターネットの片隅にお気持ち表明しているのでは多少意味が違うので、そう受け取らないで欲しい。
差別をなくすのは無理
私は彼らを聖人君主だとは思っていないし、性格や思考もそう簡単に変えることはできないと思っている。
だから差別的な気持ちを持っていることもあるだろう。
それは人種かもしれないし、地域かもしれないし、政治かもしれないし、宗教かもしれないし、性別かもしれないし。
その他、この世にあるもの何にだって差別は付き物。
この世に人間がいる限り、差別をなくすことなんて絶対に無理だ。
みんな何かしらの差別心を持っているのだろうし、それと戦いながら生きていかねばならない。
でも、彼らの仕事は自分の差別的気持ちを表現することではなく、役者として良い作品を作り上げることだ。
BLドラマの出演がなければここまでの人気はなかっただろうし、国内外問わずに色んな出自を持ったファンが彼らを支えている。
だからそれに応えることが、結果彼らの新たな仕事につながるのだ。
ただし、こんな一件があったとて、変わらない人は変わらない。
彼らだってそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、それは私たちには分かりえないことだ。
そこでもう一度この言葉を送る。死ぬまで騙して。
オタクに出来ること
こうして公の場で謝罪会見をしたのだから、これから彼らが行うのは長い年月をかけて失った信用を取り戻すこと。
私は、悪いことは悪いと理解し、反省しているのであればそこからの道のりを優しく見守り応援していくのがオタクの役目だと思っている。
でも、そうである必要もないのだ。
離れたい人は離れたらいいし、まだどっちとも言えず気持ちの整理がつかない人は時間をかけてゆっくり考えればいい。
オタクをすることは義務ではないし、彼らを推すことも義務ではないのだ。
彼らを許すことも必要なければ、怒ることも必要ない。
オタクそれぞれがそれぞれのスタンスで彼らに向き合うこと、それが一番だと思う。
でも、向き合わなくたっていいのだ。
私はこれからも外側の人間として見守っていく。
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