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ラストアイドルに見る少女の消費

ラストアイドルは残酷だ。
少女たち一人ひとりの個性や成長よりも、バラエティとしての面白さを優先してしまうんだから。

ラストアイドルのあらすじ

ラストアイドルとは、テレビ朝日系列で2017年から放送されていたオーディション番組と、そこから誕生した同名アイドルグループを指す。

番組のコンセプトは「究極のアイドル」

番組開始時に”暫定メンバー”が選出され、各放送ごとに”暫定メンバー”1人対”挑戦メンバー”1人のパフォーマンス審査を行う。
そしてそのパフォーマンスを見た審査員1人の独断でどちらがより”暫定メンバー”に相応しいかがジャッジされた。
選ばれた方は”暫定メンバー”への残留or奪還成功、落ちた方はそのままスタジオを去っていく。
最終回で”暫定メンバー”に残っていた少女たちが晴れて”正式メンバー”としてデビューすることになったのだ。

姉妹グループの誕生と”ラストアイドル”の冠

番組でのオーディションに落選した少女たちは改めて集合をかけられ、姉妹グループとして活動していくこととなった。

その中で、番組のシーズン2では表題曲をどのグループが担当するか、というバトルが開催されることになる。
そして勝ち残ったグループが「ラストアイドル」としてシングルを出すというのだ。
その為、オーディションに合格した”正式メンバー”たちには「ラストアイドル」から「LaLuce(ラルーチェ)」への改名が行われた。

その後も番組は続き、現在は番組シーズン1と同じ方式で決定した2期生、そのオーディションに落選したアンダーメンバーも加え、「ラストアイドルグループ」として活動している。

独断による弊害

番組内での審査員はその場に数人いて、ランダムに選らばれた1人がどちらを"暫定メンバー"に加えるか選ぶ権利が与えられる。
この方式は、かねてよりファンからのブーイングや炎上など様々な批判もあったが、今回のテーマはそういうことではない。

コンセプトは「究極のアイドル」という非常に抽象的でわかりにくいもので、それにふさわしいメンバーを1人の独断で選ぶ。

ここでまず私が思ったのは「究極のアイドル」の基準は人それぞれ違うじゃないか、ということだ。
可愛らしい容姿を重要視する人もいれば、歌やダンスの能力を求める人もいれば、伸び白の多さに期待する人もいる。
番組を見ている限り、おそらく審査員の間でそういった具体的コンセプトの共有はされていない。

なぜなら、その方がバラエティとして面白いからだ。

本来グループというのは全体のコンセプトと1人1人の個性適性能力、声の相性、今後の売り出し方やレッスン方法、その他色んなことを考えてたくさんの大人たちが考えて”売れる”ものを作るのだと思う。

私は番組を見ていて、一体このメンバーたちでどこを目指しているのか?と疑問だった。

では、そんな個人のバラバラな思惑が集まって出来あがったグループは、一体どの方向性を目指してやっていくのか?
バランスも何もあったもんじゃないが、大丈夫なのか?

・・・大丈夫。だって、先が分からない方が視聴者は面白いから。

プロデュースの意味

シーズン2以降は秋元康、小室哲哉、つんく♂、織田哲郎、指原莉乃の5人がそれぞれグループをプロデュースし、表題曲を争うという対決も2度あったが、このプロデュースもまぁひどい。

アイドルの卵からアイドルのひよこになった彼女たちにとって、1曲を数週間で仕上げて披露するというのはまずもって無理な話だ。
それに加え、プロデューサーが彼女たちを見つめ、実力と心に見合った曲を提供しているとは思えなかった。

曲のリズムやキーについていけてない、ダンスが仕上がってない、歌えてない、とにかく何も印象に残らない、正直見るに値しないと思ったパフォーマンスは数え切れないほどある。

中でも一番私が舐めてるのか?と思ったのはLoveCocchiの指原莉乃プロデュースだ。

ダンスの振付の際に「サビで座ってみよう」というただただユニークで可愛いと思える”アイデア”だけで振付をしていたのだ。
この人は本当に曲を聴いているんだろうか、歌詞を知っているんだろうか、そう思った。
サビで座る意味はどこにあるのか。
何の為にLoveCocchiは前回の対決で「ここはどういう気持ちで手を上げている?」と振付の理由と歌詞のリンク、1つの動作の大切さを学んだというのか。

振付師は指原さんではないが、同じ系列のグループで活動していた女性だった。
ダンス一筋でプロの振付師としてやっているわけではない。

この発言を聞いた瞬間に、いかにプロデューサーがアイドルの今後を左右する存在なのかを思い知った。

そうして、このLoveCocchi×指原の楽曲は、何のインパクトもない、ただ可愛いだけに仕上がってしまったのだ。

こんなプロデュースで、彼女たちが内から輝くプロのアイドルに育つわけがない。

でも、いいのだ。有名プロデューサーたちと組んで可愛いアイドルが表題曲を争う、その図が斬新で面白いから。

シングル選抜メンバーオーディション

最近の放送では、最新シングルの選抜メンバーオーディションがあったらしい。
ラストアイドルグループに所属する全メンバーに参加不参加を問い、参加を表明したメンバーの中から最新シングルを歌えるメンバーを選出した。

・・・今まで組んだグループやオーディションは何だったんだ?

もちろん、落ちた子たちにも下剋上のチャンスは必要かもしれない。
でも、今のラストアイドルはあまりにも本戦で選ばれたメンバーにうまみがなさすぎる。
なぜ本戦で選ばれた”正式メンバー”が表題を歌えないのか。
”正式メンバー”である意味はどこで見出せばいいのか。

そこにあるのは、悪い意味での平等だ。

まぁいいか。闘争心燃やして頑張る姿を応援するのも面白そうじゃん。

企画の面白さと少女の消費


これは秋元系グループすべてに言えることだと思うが、ラストアイドルに一貫してあるのは、企画の面白さだ。

視聴者、ファンが見ててわくわくする、参加したくなるような企画を作るのが本当にうまい。
今回のオーディション制度も、選抜制度も。

でも、当の本人たちはどうか。

苦労して勝ち残ってデビューしたにも関わらず、落ちたメンバーと同等の扱いをされる。
常に目に見えて勝敗がわかる対決の数々。
時間をかけて成長させる気がなく、いきなり挑戦させられる高難易度のパフォーマンス。

果たして、彼女たちの意思や個性や成長、アイドルとして本当に伝えなきゃならない本質はどこへ行ってしまったのか?
このラストアイドルを経験して、彼女たちに何のスキルが残り、アイドル卒業後の道にどう生かせるのか?
なりたかったアイドルは本当にこんなアイドルなのか?

貴重な若い時間を、こうして商売の為に消費されていく姿を見るのは胸が痛い。

そういいながら番組を見ているお前もその消費者の一人だろ、と言われると思う。
実際、その通りだ。

つんくとアイドルとわたし

私がラストアイドルを見始めたきっかけはつんくさんがプロデュースをすると聞いた、ただそれだけだった。

だから正直、彼女たちに強い思い入れはないし、つんくプロデュース以外の曲は聴かない。
この番組を見てつんくさんのプロデュース能力の高さ、ハロプロの好きなところを再確認できたのは幸いだったな。

つんくプロデュースに当たったLoveCocchiは、今までとは見違えるほど「私が今ここにいます」と画面の前の「私」に語りかけてきていたし、シュークリムーロケッツもそれまでの可愛い路線とは裏腹に新しい一面を見せてくれた。

つんくさんは常にその時その時のグループやメンバーの顔、気持ち、能力、キャラクター・・・色んな現状を見て曲を書き、振付イメージを考え、衣装を決める。
K-POPのように洗練されたかっこよさや元来のシュークリームロケッツのように男性が夢に描く女の子の可愛さはないかもしれない。

でも、そこには今アイドルとして生きる等身大の彼女たちが詰まっている。

何よりも心から「歌」を届けることを大切にし、その中に刻まれたリズムや歌詞の意味やそれらとリンクする振付。
そこに歌の技術はあるに越したことはないが、極論今はなくてもいい。
実力がなければないなりの曲を書き、その時のメンバーが出せる最大限をありのまま生かして一つの曲を作り上げる。
それを繰り返して繰り返して、長い年月をかけてアイドルは花開く。

つんくさんはそういうプロデュースをする人だと思う。

だからこそ、プロデュースされたアイドルたちは内側から輝く。

ラストアイドルにも、表面だけの面白さや可愛さではなく、一人の人間として輝くアイドルになってほしいと願うが、それを求めるのは自分の畑に帰ってからにしよう。

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