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なぜPVを作ろうと思ったか①自己紹介から

さて、
夢のためにnoteはじめる宣言をした者なのですが、

完全に見切り発車オーライ☆でどきどきしてます。

まずは私がやりたいことをもっと具体的にお伝えしよう!ということで

手始めに簡単な自己紹介からさせていただきます。

自己紹介

関東在住の31歳、生後半年の男児の母

岡山県の田舎出身、方言強め

基本的に真面目で争いが苦手、時々お調子者

地元の中学校教員を3年間
→関東の学童クラブのスタッフとして勤めて5年目(現在育休中)

教員時代

上記の通り、大学卒業後は中学校の社会科教員として働いていました。

しかしもともと教員志望ではなく、
たくさんの人の人生を伝える仕事がしたくて、
地方のテレビ局を受けていました。

しかしご縁がなく、
この先どうしようかと考えた時に、

「社会科の先生になったら、授業を通して場所、時代、世代を超えてたくさんの人の人生を子どもたちに直接伝えることができる!

、、、いいんじゃない??」

と思い、

2年生から履修をやめていた教職の授業を取り直して、

運良く試験に合格し、
地元岡山で採用されました。

しかしそこでめっこめこに。

いざ生徒たちと対峙した時、

私の思う「先生」のイメージと自分があまりにもかけ離れていて。

これじゃだめだ、
「先生」らしくしないと、
どうするのが「先生」として正解なんだ、
分からない、こわい

もがいているようで何もできておらず、
前に進めない。

要領が悪くて仕事が進まず、
毎日遅くに帰ってきて、
でも家でも深夜まで翌日の授業準備して。
理想の授業なんて全然できてませんでした。
The・自転車操業で、
マイナスをなんとかゼロにしようとする日々。
睡眠不足でへろへろでした。

私の言葉じゃこの子たちに伝わらない。
私なんかじゃ。

ごめんなさい。

常に心の中で生徒たちに謝っていました。

結局先生になる覚悟なんてできてなかったんです。
先生としてこうしたい、という中身がなかった。

今思えば友達から言われた
「先生向いてるよ!」
と言う言葉に自分から縋って、信じようとしていた気がします。

自分の中に根拠がなかった。

私は結婚を機に教員を辞め、
地元を離れ関東に来ました。

学童クラブのスタッフとして転職

それでも今もまだ、
学童クラブで子どもたちと接する仕事をしています。

教員時代子どもたちのことでたくさん悩んだけど、
私に元気をくれたのもいつも子どもたちだったから。

「先生」としてではなく、
学童クラブのスタッフとして、
「近所のお姉さん」(って言ってきたけどよく考えたらおばさんか、、、)、「友だち」、
そして時には「家族」のように子どもたちと接する。

これが私には合っていたようです。

肩肘張らず、
自分らしさも入れて仕事に取り組めるようになりました。

でもやっぱり、
「たくさんの人の人生を伝えることがしたい」という思いは変わらずあって、
むくむくと私の中で大きくなってきました。

マイナスに捉えるんじゃなくて、
今の私が、
今の私だからできることがあるんじゃないか。

考えた結果が、

自分で映像の勉強をして、
個性が詰まったPVを作ることでした。

ではなぜ映像なのか?
映像で何がしたいのか?

そのあたりを次回書こうと思います。

読んでくださりありがとうございました。

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