見出し画像

目標設定は「ムダ」か?

昨日、「No 目標設定 no life」ということで、目標設定の力について書いた。

まるで、そんな私を挑発するかのように、堀江貴文さんの記事がYahoo!ニュースに出ているのを発見。

「今年もムダに目標をたてた人たちへ」
(東洋経済オンライン)

一瞬、無視しようかと思った(笑)が、異論・反論もちゃんと取り入れて消化しないと成長がないということで、痛みを覚悟しつつ記事を読んでみる。

実際に読んでみると、彼の言っていることは至極まともで、決して私が書いたことと100%矛盾するとまでは言えず、私自身多分に共感できる内容が含まれていた。

堀江さんは、
「いっさいの計画を持っていない」
のだという。

「PDCAを回す」
のがバカらしい、特にPlanから始めているところが人々の行動を妨げている、という趣旨の指摘をしていた。

そして、とにかくやりたいことを最短距離で、極端な話「今すぐ」に実現できれば、それに越したことはないのだという。

段階をわざわざ踏まずとも、やりたいことをしっかりと持って、それにハマってしまう、一刻も早くそれにハマり続ける。
そのためには、まず動くことこそ重要、という主張なのだ。

堀江さんの言う通り、最初にPlanから始めようとすると、そこでつまづく人がとても多い。

私自身も、人口に膾炙しているから「PDCA」という言葉を使いはするが、基本的には「DCAP」という言葉を脳内で使い、人にも勧めるようにしている。

通常の「DCAP」は、単に「PDCA」の最初のPを最後に持って行き、まずDoしてから最後にPlanせよというものだ。
ただ、私の場合は違う定義を付与している。

それぞれの大文字は、
D:Decide
C:Conduct
A:Adjust
P:Plan
を表す。

いきなりやみくもに「Do」というのも乱暴だと思うので、まずは「決断する」という意味で「Decide」としている。
堀江さんの文脈からすれば、「やりたいこと」を決めるということになろうか。

そこで初めて、通常の「Do」に相当する「Conduct」=「行動する」フェーズになる。

実際に行動したら、うまく行くこともあれば行かないこともあるわけで、そこで「Adjust」=「調整する」必要が出て来る。

その上で、最後に「Plan」=「計画する」という段階を踏む。

このような流れであれば、堀江さんが「ムダ」と言い放った目標設定も、決して無意味なものとは思えない、否、むしろ極めて有益なものになると思うのである。

最後の「Plan」のところで、あまりにも詳細に計画を立てすぎることも、堀江さんが問題視している重要なポイントだと思うが、これにも私はある程度納得するところ。

計画を立てることばかりに時間と手間がかかって、実際の目標実現がむしろ遠くなるリスクがあるからだ。

構想は大きくてもいいが、「着手小局」という通り、まずは小さい一歩でいいから行動を伴わせることが大事。

人の命が関わる、例えば原発の建設計画とか、空港におけるフライト計画のようなものであれば当然緻密さが要求される。

しかし、個人の計画にそんな緻密さは不要で、「理屈はいいから早く一歩を踏み出せよ」という風に理解をしている。
人生は短い、とすれば緻密な計画に時間をかけ過ぎず、行動フェーズにもっと時間を割こうよ、あるいはDCAPの目的となっている部分自体をもっと楽しもうよ、ということだ。

堀江さんの挑発的記事で、頭の中にあるDCAPの考えを改めてアウトプットする機会をもらえたことに、ひとまず感謝である。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。