見出し画像

「会社の看板」の大きさ

残業で遅くまで残っていた者同士、
少しばかり雑談になった。
外資系の転職組ばかりのメンバーで、
たまたま過去の同僚についての話に
花が咲いた。

マーケティングにせよ、営業にせよ、
面接で「即戦力です!」と自らを
売り込んで来たのだが、実際に仕事を
振ってみたら全然できない

「即戦力」という言葉が虚しかった、
そんなことは割とよくある話。

本人は「即戦力」だと思っていても、
実際に通用しなかったということは、
実力とその認識との間に明らかな
「ギャップ」がある
ということ。

その「ギャップ」を生んでいる正体、
それが、「会社の看板」であることが
比較的多いのではないか、そんな話に
なったのだ。

会社名を言えば、とりあえず大抵の
お客様は会ってくれる。
時間を割いてくれる。
そんな恵まれた会社の営業として
どんなに活躍したとしても、
いざ会社の名前が変わってしまえば、
途端に会ってくれる人の数が激減
する、なんてことはザラ

その会社で使われている優れた
フォーマット、仕組みを使えば、
ある程度のパフォーマンスを上げる
ことができる。
そんな恵まれた環境において
マーケティングの実績を挙げたと
しても、その仕組みがないところで
一から自分の頭で考えろと言われた
瞬間、固まってしまう人も、決して
少なくない

そこを客観的に認識できずに、
営業成績をあげたことを誇っても、
「即戦力」であると宣ってみても、
マーケティングの実績を自慢しても、
違う会社で活躍できる保証はない
それどころか、転職自体が失敗に
終わるリスクが極めて高いのだ。


ケネディの有名な言葉、

国があなたがたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、
あなたがたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。

になぞらえて、

会社があなたがたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、
あなたがたが会社のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。

と言い換えをしているのをチラホラと
見ることがある。

正にこの考え方、問いを立てるクセ
持っているか否かが重要だと思うのだ。

知らずしらず、会社に寄りかかって
生きているビジネスパーソンは多い。
「会社の看板」に頼り切っているにも
関わらず、そんなことはほとんど、
それこそ1㎜も意識せずに過ごして
しまっている。

「会社の看板」を外したとしても、
自分は本当に仕事をさせてもらえる
ような実力があるか?

この問いは、折に触れ、自らに問い
続けるべきだ。

独立した人から良く聞く比喩に、
「会社の看板」を外すのは、
いわば「リトマス試験紙」
である、
というものがある。

看板しか見ていない人は、外した
途端に蜘蛛の子を散らすように
去っていくもの。

「会社の看板」などなくとも、
自らが看板となって、
仕事の途絶えない状態に導きたい

ものである。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。