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焼鳥最高

東西線、木場駅に降り立ったのは、
実は今回が初めて。
それゆえ出口の感覚も全く分からず、
少し遠回りさせられたものの、
目的地にはすんなりたどり着いた。
暖簾をくぐり、友人の顔を見つけて、
つい顔が綻ぶ。

「大野屋」という屋号は、大将の
祖母が経営していた京橋の旅館に
由来する。
そして、それに続く「和ちゃん」は、
もちろん大将の名前から取られている。
修行した伝説の名店『武ちゃん』
の流儀を受け継いで、名前の一字を
取ったのだ。

丁寧に余分な泡を取りながら、
数回に分けて注いでくれた
エビスの生ビールで乾杯。
新鮮なタコやイカを、これまた新鮮で
シャキシャキした野菜に合わせた
サラダがお通しだ。
市場が近いから、野菜も魚も、
当然ながら鶏肉も、常に新鮮な
素材を入手している。

最初はささみ、伊豆産のわさびを
たっぷり効かせて。
火入れが絶妙で、何とも柔らかいのに、
噛み応えを失っていない。
この最初の一本で、大将の力の程が
素人にも伝わってくる。
隣のエシャロット味噌もまた食感、
味わい共に良し。

続いて、レバーつくね
レバーもまた、火入れでお店の良さが
歴然と出る、と個人的に思っている
のだが、外側がしっかり焼き上がり
つつ、内側がしっとり柔らかい、
ベストバランス

ビールをお代わりせずに、日本酒を
お願いしたところ、当店ではこれ一本、
ということで出て来た「千の風」
升にしっかり店名が焼印されている
ことからも察することができる通り、
こちらの蔵元と深い関係を築き、
日本酒はこれしか出さないという
姿勢をずっと貫いている。
最初に蔵元に泊まり込んで、酵母が
シュワシュワと発酵する音を聞いて
来たときのことを、大将が熱く
語ってくれた。
冬の酒蔵は相当寒かったようだが、
周りに宿もなく、深々と冷える蔵で
2泊過ごしたのも、今となっては
良い思い出の様子。

秋川雅史が歌って一世を風靡した
『千の風に乗って』
作詞家、新井満さんが自ら筆を
とって、「満」の字をラベルに
入れている
のが分かるだろうか?
実はこのお酒、その満さんの
プロデュースなのだ。
風に乗るように軽やかな味わいが、
焼鳥の味を引き立ててくれる。

続いてねぎま
基本中の基本、やはり外さない。
ジューシーな味わい。

下はしめじの歯応えとのハーモニーが
素晴らしい肉巻き
このお肉が、何と合鴨。
レモンをキュッと絞って、
ボリューム感のある塊を頬張る。

うずらは、正直食べたことのない
食感に唸った。
やはり炭火の焼き加減が絶妙
なのだろうか、白身の外側が
カリッとクリスピーになっていて、
中はほっこりと自然な甘さ。

椎茸も、肉厚でジューシーこの上ない。
椎茸から出るお汁と、絞ったレモンが
お皿に残ったのを、
「クイッと行っちゃって」
とのオススメに素直に従ってクイッ、
ゴクッと味わう。

次の鳥かわ、これがまた舌を喜ばせる。
大将自ら種明かしをしてくれたのだが、
このかわの串は首と胸の部分を交互に
する
、つまり脂の乗った部分とさっぱり
した部分を組み合わせることで、
しつこすぎず、でも満足感も得られる
最高のバランス
となっているのだ。
サイズもしっかり計算して、丁度3口位
で食べ切った時にこのバランスが取れる
設計。

そして、結構お腹が膨らんで来ている
にも関わらず、何の躊躇もなく
ジューシーな肉厚手羽にかぶりつく。
いちいち美味い。笑顔しかない。

焼鳥の串を肉に刺すことを「串打ち」
と言うが、これが大変な重労働。
熟練の技を要する仕事でもあり、
大将の負担は相当なものだ。
打つ際に、クイっとひねる動作が
原因で腱を痛めてしまい、湿布などで
誤魔化しながらひたすら串を打つ
よりほかない日々。
そんな苦労を語りながらも、ちょっと
下がった目尻に、焼鳥への愛がにじみ
出ている。

最後の串はハツ
心臓は常に動いているからほぼ筋肉で、
脂分が少ないからサッパリ味わえる。
これも当然ながら、焼き加減が文句の
つけようのない仕上がり。

〆にチキンカレー鳥スープまで
平らげてしまう。
とても入らない、なんて言って
られない。
ここまで美味い焼鳥屋で、〆に
出てくるものを食べない選択肢はない。
ただ、量はさすがに控えめにして
もらった。

大将を知ったきっかけは、大学の
同級生だったから。

とはいえ、年齢は2つ上。
慶應義塾普通部、慶應義塾高校、
慶應義塾大学、全てを4年かけて
卒業したという猛者。
学生の頃は水球で鳴らし、本人は
「ヘタクソだった」とやたら謙遜
していたが、後で共通の友人から
「日本代表候補にもなった」程の実力
と聞いている。

大学卒業後、小田急ホテルに勤めた
後に、汐留の電通があるビルの最上階
にあるレストラン立ち上げに参画。
そのうち、いつか自分で腕をふるう
立場になりたいという思いが抑え
切れず、独立を志す。

そんな時、銀座にある伝説の名店
『焼鳥武ちゃん』
で感動し、自分も焼鳥なら何とか
なるのではないか?ということで
親方に
「1年修行させてください!」
と頼み込んだ。

「焼鳥をなめるんじゃないよ!」
けんもほろろに言われるが、
引き下がらない、いや引き下がれない。
1年で修業を終えて独立し、食える
ようにならなければならない事情

あったのだ。
当時結婚して間もなかった
ウクライナ人の奥様との約束で、
1年で独立できなかったら国に帰られて
しまう危機
だったのである。

気迫が通じたのだろうか、
親方に許しをもらい、
「串打ち3年、焼き一生」
と言われる世界で、僅か1年で修業を
終えるために気の遠くなるような
努力
を重ねる。
何とか師匠のお墨付きをもらって
晴れて独立をしたのが木場の地。
少しでも仕入れの場所からの距離を
近くし、焼鳥に専念したかったのだと
言う。
10年経った今、木場になくてはなら
ない名店だ。

昔はこんなに饒舌ではなかった、
そう自分を評する大将。
焼鳥を愛してやまないが故に、焼鳥の
ことならいくらでも話題が尽きない

といった風情。
これからも、最高の炭と最高の腕で、
最高の素材を生かした焼鳥
を供し
続けてほしい。

焼き鳥 大野屋 和ちゃん

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。