ナラティブを味方につけた味の素冷凍食品

「ナラティブとストーリーはどう違うか?」

藪から棒にそう問われても、
ピンとこない人も多いかもしれない。
「ストーリー」は、ごくごく普通の
日本語として定着したが、
「ナラティブ」の方はまだまだ。

いずれも、直訳は「物語」という
ことになる。
しかし、ビジネス、マーケティングの
文脈で使われた場合には、両者の間に
少々異なる意味合いが出て来る。

昨日、note主催で
「noteとTwitterでつくる
新しい企業コミュニケーション実践編」

というオンラインセミナーが実施され、
戦略的PRで有名な本田哲也さんと、
noteの徳力基彦さんが対談。

本田さんは、『ナラティブカンパニー』
約1年前に上梓。
ナラティブの重要性と、企業変革への
活かし方を唱えてきた。

このナラティブという言葉については、
以前にこちらのnoteでも何度か
取り上げたことがある。

ここでまとめていた両者の主な違いは、
ストーリー:過去=既に一旦完結
ナラティブ:未来=これから紡がれる

というもの。

昨日のセミナーで説明された、
本田さんの著書でも説明されている
両者の違いは、この時間軸の違いも
含まれているが、それより更に重要な
違い
があるという。

それが、「演者」の違い。
即ち、

ストーリー:企業やブランドが主体
ナラティブ:「(生活者たる)あなた」が主体

だというのである。
企業やブランドが、生活者を巻き込んで
一緒に「物語」を共創する。

企業やブランドが、その思いを押し付ける
のではなく、生活者を物語を彩る「素材」
として使ってもらう。

あくまでも、主役は生活者。
企業やブランドは、脇役でいい。
そんな「ナラティブ・アプローチ」
大きなインパクトを生み出した例として、
昨日のセミナーの中で紹介され、
本田さんの本の中にも紹介されている
味の素冷凍食品の餃子が挙げられる。
これは、偶然がきっかけとはいえ、
ナラティブの重要性を語る上で極めて
分かりやすい。

詳しくは、書籍または昨日のセミナー
動画に譲るが、
簡単にまとめると以下である。

夕食に出した冷凍餃子を「美味しい」と言った子どもに、父親(=夫)が、これは冷凍食品(=手抜き)と揶揄するような一言。母親(=妻)が怒りのTweetをしたところ、非常に多くの共感を集めた。
そこに、味の素冷凍食品の「中の人」が参戦。
「手抜き」ではなく「手"間"抜き」であり、家庭の代わりにしっかりとした工程を経て丁寧に作っているんです!と母親擁護のTweetをしたところ、モンスター級のReTweetと「いいね」を獲得した。

これまでの販促においては、
いかに冷凍餃子が美味しいか、
あるいは便利(手間を省ける)か、
あるいはお手頃価格か、
といった情報を一方的に発信するのが
標準的
だったろう。

ときにそれが企業側の「ストーリー」
して、例えば美味しさの秘密は特別な
製法にあったとか、誰でも美味しく
焼けるようにするために血のにじむ
ような研究開発の苦労が伴った、
のように発信されることもあった
かもしれない。

上記のTwitterにおける盛り上がりは、
冷凍餃子の「手"間"抜き」という価値が
生活者側で
「私は手抜きはしていない」
「ただ手間を抜いているだけ」
「だから、準備が簡単でも美味しいと
喜ばれ、みんながハッピー」
という物語(ナラティブ)へと変換された
ということだ。

顧客ニーズをいかに満たすかを考えるのが、
マーケティングの基本中の基本である。
その基本を全うするにあたり、
従来はできる限り完全にした上で
「はい、どうぞ」という方向性だった。

今の時代は、最初から完全など狙わず、
顧客が積極的に関与できる余地を残し、
顧客自身の物語(ナラティブ)へと
変換してもらうようにする
ことが、
「顧客価値」を最大化するために
大切なのだろう。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。