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「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」といえば

私のご先祖様。
と言いたいところだが、
血縁は全くない。

そもそも、生まれたときの彼の姓は
「白石」である。
後に、ご先祖様の姓であった「平賀」を
復活させて名乗ったのだ。

平賀源内は、1728年生まれ。
1780年に52歳で没するまで、
江戸時代後期を生きた人である。

「エレキテル」で有名なので、
「科学者」として紹介するのが
妥当なのかもしれないが、
そのような枠に収まりきらない、
非常に型破りな人物
と言える。

本業は、「本草学者」
今で言うと植物学者だろうか。
当時は、ハーブのような薬草類を
主に研究対象としており、
生家の香川県さぬき市には
彼が管理していた薬草園が残されている。

それ以外の顔としては、
先にも出て来た「科学者」がある。
「エレキテル」を、持ち前の器用さで
修理してしまうにとどまらず、
鉱物採掘に関する知識に長けていたり、
たたら製鉄木炭の生産を手掛けたり、
製糖産業にも関わっていたり、
科学的な知識を用いた産業振興に
多くの貢献
をなしていたのだ。
科学者というよりは、「起業家」
シリアルアントレプレナーに近い
とも言える。

更には、理系的な顔だけでなく、
文才も存分に発揮している。
洋画の技法を日本に広める貢献をなし、
浄瑠璃作家として売れっ子として活躍、
「李山」なる俳号を持つ俳人でもある。
『ガリバー旅行記』の日本版のような
ベストセラー小説を書く作家としての
顔も持っている。

更には、「本日土用丑の日」という
史上最高のキャッチコピーを考案した
稀代のコピーライターであることも
疑いない。

このような、マルチな才能を発揮した
点を捉えて、
「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」
と評する向きがある。

ダ・ヴィンチは、科学者としての
幅広い業績
があるにとどまらず、
『モナリザ』のような絵画を残して
いる、元祖「マルチクリエイター」

右脳も左脳も。
理系も文系も。
正に「マルチタレント」
「マルチクリエイター」と呼ぶに
ふさわしい活躍を、源内もしている。

そんな彼が生まれ変わって、
もし今を生きていたならば、
一体どんな活躍をするだろうか?

今現在の日本は、
起業家がとても少ないし、
起業家精神が育ちにくい風土だ。
それでも、昨日ここに書いたバブソン
大学の山川氏がインタビューで語って
いたのだが、日本においても起業家の
ための制度がかなり整ってきている

という。

私自身も、起業のまねごとを
数年前にやってみた。
やってみないと分からないことは
やっぱり多く、
「事件は現場で起こっている」
という真実を確認した恰好だ。

そんな私が、
「平賀源内の生まれ変わり」を勝手に
「自称」しながら、
人前でお話する活動を行っている。

次回本番の9月3日(日)まで
いよいよあと10日ほど。
彼の「視点」を想像しながら、
絶賛準備中である。

是非「現場」に足を運んで欲しい。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。