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Do things right より、Do the right thing

エリザベス二世女王陛下の国葬
行われた様子をテレビで拝見したが、
何とも厳かで、見事なものだった。
イギリスという国の懐の深さ
文化的な成熟を見せられた気がする。

日本からは、天皇・皇后両陛下が
参列
なされ、最後のお別れを惜しむ
ご様子を拝見できたのも、
何よりのことであった。

その両陛下が、専用機の乗降時には
マスクを着用していたが、
葬儀の際はマスクを外して参列
されていた。
参列者の中で、1人として着用者は
いない
のだから、至極当然の話だ。

日本を含むアジアの一部を除いて、
マスクをしている人が多数を占める
国は非常に少ない。
アメリカで、日本人がマスクをしたまま
ファストフード店に入ろうとしたら、
「そんなに感染が怖いなら、家にいろ」
と追い返された、などという噂も聞く。

かくいう私も、極力マスクをしないで
過ごしているものの、公共交通機関や
スーパー・コンビニなどの店舗、
あるいはレストランの類に入る際は、
やむなくマスクを着用する。

マスクしてもほとんど意味がないと
認識しつつ、無用なトラブルを未然に
防ぐため、仕方ないとあきらめている

状況なのだ。

ひと頃「マスク警察」などと揶揄された
人々は流石にもう少ないと思うが、
未だにマスク信者は多い。
外を歩いている際に、すれ違い様に
これ見よがしに顔を背けたり、
しかめ面をされるのだ。

そんな経験をする度に、
何とも言えない気持ちになる。
こちらが絶対正しいとは言わないし、
言えないが、頑なにマスクの必要性を
信じて疑わないこの手の人たちとは
お互い理解するのが難しいだろう。

SNSでは、自分が普段から高頻度で
接している情報に近しいものばかりが
タイムラインを占拠する
ため、
よほど意識的に自分の情報環境を
コントロールしないと、いつのまにか
自分の常識が世間の非常識になる
危険性
を孕んでいる。

私が信頼してフォローしている方々の
ごく一部のツイートだが、
マスクやワクチンへの懐疑を表明し、
具体的な行動を起こしてくれている。
こういうツイートは、マスク信者の
ところには、恐らく表示されることが
ないのだろう。

Do the right things.
Do things right.

この両者の違いが何か、
英文法の授業などで習った記憶のある方も
多いのではないだろうか。

前者は、正しいことをやる。
後者は、物事を正しくやる。

前者は、何を、つまりWhatが大事。
後者は、どのように、つまりHowが大事。

マスクにせよ、ワクチンにせよ、
マスコミに流れる情報を鵜呑みにして、
それらをどのように実行するか、
Howばかり気にしている状態の日本人が
多すぎやしないか?

その情報は本当に正しいのか、
客観的事実を収集して、論理的に考え、
何が正しいかを追求する。
そんな、Whatを大事にする態度が
欠けているのではないか?

マスク着用が依然として大多数である
にもかかわらず、新規感染者が世界で
最多というニュースが続く。
さすがに、何かが根本的におかしい
いうことに気付くべきだ。

世界の常識が日本の非常識となっても、
勇気を出してマスクやめようとは
言い出す人がほとんどいない国。

正しいことを見極める目が、いや、
正しいことをやり始める勇気が、
Do things right. よりも、
Do the right thing. の姿勢
が、
今の私たちに必要なのではないか。
そんなことを思わざるを得ない。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。