「かじる世代」にどう向き合うか
昨日、結構な文字量になってしまったが
ために、少し書き足りない部分があった。
今日は、その補足を少しばかり。
実は、最も言いたいことの一つは、
いただいたコメントに答える形で、
既に上記記事のコメント欄に載っている。
それはさておき、まずは昨日のおさらい。
「Z世代」は、とにかく短い動画でないと
無理、1分を超えると我慢できない。
そんなことも言われる。
だからこそ、短尺動画のプラットフォーム
であるTikTokがもてはやされる。
確かにそんな側面があるようだ。
しかし、YouTubeだって、この世の春を謳歌
しているように見える。
特に一昨年から昨年にかけては、YouTuber
デビューする芸能人が乱立し、コロナ禍の
「巣ごもり需要」の追い風も受けて、
相当視聴時間が伸びたと聞く。
結局のところ、消費者はみな、上手に
「使い分け」しているのである。
TikTokは、とにかく短い動画が次から
次へとオススメされるので、何か自分の
関心に沿うものがないか、軽く「かじる」
ことができる。
かじってみて、これはいいぞ、ちょっと
気に入ったかも、ということになると、
そこで初めて、そのTikTokerが別途展開
しているYouTubeやInstagramなどへと
訪問し、長尺のビデオも楽しめば、
Instagramの過去の投稿を時系列で
追いかけてみたりもするのだ。
この「かじる」行為は、彼らにとっては
「リスク回避行動」である。
何か一つに集中して、万一それを失った
ときのリスクを考えると末恐ろしい。
幅広く、色々なものに「つばを付けておく」
感覚で、かじりまくる。
それゆえ、メディアを使う側、伝える側に
とって大事なのは、「かじられる」感覚
なのだろう。
どうせ「かじられる」なら、美味しく
かじってもらえるように味付けする。
全部は見てもらえない前提で、かじられ
消費であっても成り立つような商品なり
コミュニケーションなりを設計する。
そういう意識が必要であることを示唆
している。
ちなみに、「TikTok売れ」した商品の例
として、
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』
『地球グミ』
『ファイブミニ』
といったものが挙げられる。
既に多くの人が論評されているので、
ここでは特に触れないが、
こうして「TikTok売れ」したものの裏には、
色々やってみたけど結局売れてない、
多くの死屍累々も必ずある。
その境界線がどこにあるのか、
何がバズる要因となったのか、
そこが最も興味深いところ。
正直なところ、今は答えがない。
是非アンテナを張っておきたい。