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江戸時代以前の日本人はどのように歩いていたのか

松尾芭蕉と言えば、江戸時代に
生きた俳句の天才。
ほとんどの日本人が、国語の教科書で
習っていることだろう。

彼の名前を聞いたら、いくつかの
俳句も同時に思い浮かぶ人が
それなりに多くいるに違いない。

冒頭の写真にある句碑は、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
東京都江東区の清澄庭園内に
あるものだ。

『奥の細道』の旅路で詠んだ中に、
有名な句がなおのこと多い。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
「五月雨を あつめて早し 最上川」

そんな「俳聖」として有名な芭蕉だが、
実は「忍者」だったという説がある。
これは、上記のWikipediaにもしっかり
記載されている内容だ。

彼の出身地が、三重県の伊賀であり、
つまりは忍者の郷であること。
また、『奥の細道』の行程があまりに
早く、常人のスピードではないと解釈
された
ことなどが、忍者説の根拠。

この説を三重大学の学者さんが検証し、
確かに当時の一般人よりは3割増しで
早足
だったが、残念ながら(?)一応は
常識の範囲内だということのようだ。

2400㎞を150日間で歩ききったので、
1日当たりにすると16㎞
確かに大変だろうが、不可能な数字
ではなさそうに見える。

しかし、当時は靴などなく、草鞋を
履いての旅
だったはずだ。
つまり、素足に近い
今の道路のように舗装された道を行く
訳ではないので、怪我をせずに道中を
全うするのはなかなか困難が伴ったに
違いない。

それでも、芭蕉は約5か月の旅を見事に
成し遂げた。
その健脚が、忍者だからではないか?
と疑われるのもまた、故なきことでは
ないのだ。

NIKEのAIRに代表されるような、
クッション性の高い靴などは、
江戸時代にありようもない。
薄い底の草鞋で、1日当たり16㎞を歩き
通すことが出来たのはなぜか。

それは、当時の人たちの歩き方が
現代人のそれとは違っていたから
だと思われる。

いわゆる「ナンバ歩き」と呼ばれる
すり足に近い歩き方が一般的だった
という説がある。

これにも異論があるようで、
研究者でない私には、どの説が
正しいとか間違っているなどと
論評する能力は持ち合わせては
いない。

しかしながら、趣味でヴィブラムの
ファイブフィンガーズという5本指
シューズ
を愛用している身としては、
少なくとも昔の人たちは、
土踏まずを生来のクッションとして
有効活用していた
に違いないと
思っている。

そのために、かかとから着地する
のではなく、前足から着地するのが
基本
であったに違いないと思うので
ある。

歩くという行為が、ごく当たり前の、
誰もが行う日常的なもの
であるため、
わざわざその方法論を言語化して
書物に残すようなことがほとんど
なされていなかった。

そんなわけで、江戸時代以前の
歩き方を確認するのが今となっては
非常に難しいことは理解しつつ、
もっと詳しく解明されることを
大いに期待したい。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。