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いじめられっ子が教員に向いていると思う2つの理由

突然ですが、わたしの職業は教員です。

Twitterだったりもくりだったりでこれを話すと、大体の人に「すげぇ!」「見えない!」と言われる。わたしはいわゆる「ハキハキしゃべる人」「しっかりしたリーダータイプ」の人間ではないから、まぁ言われるのは普通だろうな、と思っている。
実際に学生の時はアルバイト先の人に「お前は教師に向いてない」と言われたことはたくさんある。もっというと、この職に就いてからも同様のことを言われたことがある。一年目の時には「あなたは30点(の教師)」と言われたし、三年目の時には「あなたが教師として向いてないのはなぜか、親に聞いておいで」と言われた。
しかし不思議なもので、だいたいこういうことを言ってきた人は謎の退職だったり、次の年にいなくなったりしている。こわいですね、安井金比羅宮。(縁切りの名所)

なんでこんなにけたくそに言われるのか。それもそのはず。わたしはいわゆる「いじめられっ子」というタイプだ。
小学生の時からクラスでも全然喋らない子といることがほとんどだったし、学校へ登校してから下校まで一言も話さないことも多かった。小学生〜中学生は給食こそ班で食べてはいたものの、高校生になるとぼっち飯をしていたし、おまけに部活では同級生どころか顧問からも「暗い」と言われていたような人間である。
今でも人の目を見て話したり、話を振られたりするのは怖いし、大きな笑い声を聞くと体が動かなくなってしまうし、こそこそ話を目の前でされたものなら泣き出したくなってしまう。

しかし、この仕事をしている時にふと、あることを思った。それが、「いじめられっ子ほど教員という職業に向いているのではないのか」ということだ。理由は2つある。

理由1  人をよく見ている

教員という職業である以上、たくさんの人と接さなければならない。それはクラスにいる子どもたちだけではなく、その保護者や同僚の職員、果ては地域の人や教材屋さんなど、接する人は多岐に渡る。
特に子どもたちや保護者は、その数ほど性格がある。なんでも言ってくるクレーマー気質の人。全然話をしない人。とてもしっかりされている人。本当に様々な人がいるな、と毎日感じている。もちろん自分と合う人合わない人というのは絶対にあるし、しかも合わない人からのクレームというのは本当に気が滅入るもので、それ以降はしんどくなってしまうことだってほぼ毎日ある。
しかし、「保護者や子どもたちから何かアクションがある」というのは、何か理由があるのがほとんどだ。その時に、いかにその様子を見ていたのかが大切になってくる。

いじめられっ子ほど、意外に人のことを見ていると思う。どうしても話す時にビクビクしてしまうのだ。例えば誰かが髪を切った時、気づいてはいるけどなかなか話しかけられないというのは多いようで、わたしもその類のことはたくさんある。
つまり、何か起きたのは見ているのは見ているし、聞かれないから話さないだけで、聞かれたら話すのだ。余計な話をしなくても済むから、保護者も混乱しなくて済むようだ。

理由2  人の痛みがわかる

これが一番の理由である。わたし自身の経験だが、言ったことを真似されることや、話しただけで大爆笑された経験だってある。話しただけでこんな仕打ちを受けるのか……と落ち込んでしまうこともたくさんあった。

先にもあったように学校というところは、様々な子どもたちが同じ空間にいる場所でもある。もちろんその中では、嫌な思いをする子どもたちも出てきてしまう。
そのような子どもたちの気持ちに寄り添うことができるのが、いじめられっ子ならではの最大のメリットである。経験を話すことだって、その子どもたちにとっては励みになるし、何かヒントにつながるかもしれない。また、気持ちが分かるという最大のメリットを活かして、そこに蔓延る障害にいち早く気づいたり、取り除いたりすることだってできる。そのような「困り感」に対するアンテナが、過去の経験から人一倍高くなりがちだと感じる。
実際にわたしは現在特別支援の現場に携わっているが、困ったことに対して試行錯誤する気持ちは誰にも負けないと自負している。子どもたちや保護者にも、嬉しいことに「先生でよかった!」と言われることもある。

わたし自身、「いじめられっ子というのは嫌なことだな」と感じていた。しかし、この職に就いてからは、「いい経験をしたな」「役に立ってよかった」と感じている。

子どもたちと過ごす中で、この経験がこれからも活きていければいいな。

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