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自己紹介

ピムタと申します。40歳になるまで、新卒から16年間、会社員をしていましたら、メンタルやられて休職して復職して仕事ができるようになって、彼氏ができて、結婚して、主人の仕事の都合でアメリカに帯同移住しております。自己紹介文を作ってみましたので、ご参考になればうれしいです。うっかり調子に乗ってましたら、長くなりました。


生い立ち

・両親も自分も 生まれも育ちも 東京都八王子市(高尾山で有名です)
・父は会社員、母は英語の家庭教師の ごく一般的な家庭育ち。金持ちとそうでない家庭の価値観が合わず、両親は仲が悪く、大きな影響を受けました
・最終学歴は法政大学国際文化学部。海外留学が必須の学部で、オーストラリアへ5ヵ月間、語学留学しました。情報系のゼミに入り、PCの組み立て、プログラミングを学び、シスアドの国家資格を取ったりとPC周りの知識も学習できたため、行ってよかったと思っています
・新卒で都内中堅の東証一部上場企業の半導体関連の企業に入社。16年間ほぼ人事労務の仕事を専任。結婚と同時にアメリカ移住が決定、2022年7月に退職。色々ありましたが、就活としてはまずまずの成功だと思いました
・幼いころからまじめで素直でおとなしく、繊細な部分(HSP?)があるため、興味があるものは深堀りし、ないものには全く興味が持てません。本質的な事を見抜く洞察力は幼い頃から褒められました。友人は少なく、1人で過ごすことが好きでした。会社員生活は修行でした。人が多いところより、自然が多く、瞑想しやすい教会やお寺に行きたいと思うタイプです
・台湾の占い師には、あなたはお金に困らない人と言われ、生命の樹セッションでは、数秘術33番の宇宙人と言われました
・主人は、ピムタの会社の同期。入社して出会い、すぐ好きになりました(笑)その5年後、付き合って1年で別れ、その10年後、私が休職してて復職するときに励ましてくれて、再び付き合い、1年後結婚。アメリカにて新婚生活を始めました。不思議なご縁のある運命の人。生まれも育ちも九州の福岡の小倉出身。前向き、自尊心が高く、人との距離の取り方が上手い。シンガポール赴任歴10年。元セミプロキックボクサー。いいやつ。思ったほどオラオラしていない、尊敬すべき旦那さん

特筆すべきかもしれない経験

・11歳の時に、小学校のクラスで先生にハブられ、11歳で鬱ぎみに。これじゃだめだ!変わらなきゃ!と思い、勉強に打ち込みクラストップになり、先生もクラスメイトも見返しました。人は努力で現実を変えられることを実感。今もずっと自己啓発本(7つの習慣など)を読んだり、Youtubeで雑学を学んだり、聴覚トレーニングなどをしたりと、マイペースな能力開発が生きがいです

・実の父が18歳の時に癌で他界。父と仲が悪かった母は、嫌いな人から解放され、父の退職金や生命保険で我が家はうるおい、私は大学進学ができることになりました。そして、一年の浪人時代を経て、行きたかった法政大学国際文化学部に受験合格。人生の中でトップ3に入る人生の転機で、この辺りから、人生の中で起きる奇跡を意識するようになりました

・心身ともに繊細さがあるため、マイナスイオンを発生させる調理器具、食器(森修焼)や、電磁波対策に有効なもの(アーシングソマヴェティクスなど)、うさとの服、ヨガ、自力整体、ビーガン、アーユルヴェーダ療法など、健康にまつわるものに関心がある。マッサージで治らない肩こりを直すため、姿勢を直すパーソナルトレーニングを受けるため、東京⇔京都を往復していたこともありました

・外見コンプレックスが強かった20代の頃、付き合っていた男性から「眼鏡姿がダセェ!」と言われて、視力回復のレーシック手術をしたり、「すね毛をトリミングしたほうがいい」と言われて、脇から手足を医療レーザーで永久脱毛している。ほくろ、しみもレーザーで除去。アイブロウとアイラインは、ファインメイクという10年で消えるタトゥーを入れていて、美と化粧の時短を実施。パーソナルカラーは「イエベのスプリングカラー」と分かった時点で、黒、紺など暗い服を全部捨て、顔周りにアイボリー、サーモンピンク、オレンジの明るい服を着ることに徹した結果、外見コンプレックスがなくなりました

・7歳の時からTVゲーム(当時はファミコン)にハマる。以降、現在に至るまでTVゲームを趣味とし、漫画、アニメも好きでコミケに行っていたオタク。初恋の人は「ロックマン」、最近好きなゲームが「ペルソナ5ロイヤル」、乙女ゲームで好きなのが「薄桜鬼」漫画は「チェンソーマン」「宝石の国」好きなアニメは「攻殻機動隊」好きなジブリ映画は「魔女の宅急便」「風の谷のナウシカ(原作は今でも読み返します)」

・実は幼いころから絵を描くのが好きで、20代でデザインフェスタに出店していたことがありました。マイキャラクターはひよこちゃん。絵を仕事にしても食えないと思っていたので、職業にすることは断念。周りに絵の上手い人が多く、絵を上手くかかなければいけないプレッシャーにも悩んでいた時期がありました。今は、絵との距離感が掴めたので、必要に応じて描くレベル(どなたかにカードをプレゼントする時に描いたり)

・英語の先生の母の影響で、10代からハリウッド映画にハマっており、その流れで海外留学を決意。何回でも観る映画は「キューティーブロンド」「フォレスト・ガンプ」「ショーシャンクの空に」「フルメタルジャケット
英語はリズムだよ!という母の言葉が忘れられません

・オーストラリア留学が初めての海外経験で味を占め、大学卒業前に3週間のヨーロッパ3か国をバックパッカーとして1人旅。その後、フィジー、インド、シンガポール、台湾、フィリピン、イギリス、国内だと、小笠原の父島、屋久島、穂高など、主に1週間の夏休み休暇中に一人旅をしていた。目的としては、「一人旅が楽しめる大人の女性になるため」でした

・30代で、近所の高尾山のスタンプラリーにハマり、「山ガール」デビュー。山ガールのくせに、高所恐怖症のため、高尾山を週一で登山、地元の山岳連盟主催の長野の日帰り登山に参加。愛読書は「山と食欲と私

・17歳の時から実家に猫ちゃんがいて、大の猫ちゃん好き。現在、実家にいるブリティッシュショートヘアの猫ちゃん「まるくんのインスタ」を更新中

・会社の独身寮で24歳から30歳まで一人暮らし経験あり。仕事が辛く、1人でさみしくて当時の彼氏に依存してしまうくらい、自分を見失っていました。一人になっても生きていけるようになるための投資の経験でしたが、つらかったです

・会社員生活で人間関係に悩み、1年半ほどメンタル休職し、復職し、仕事を猛烈に頑張って、部長や同僚を見返したという人生の大きな転機がありました。その後すぐ結婚して退職、アメリカ移住となって、さらに人生が大きく変わりました。主人から「アップダウンの人生が面白すぎる」、同僚から「奇跡の人」と言われました

・メンタル休職中に、発達障害の検査を2回受け、1回目は該当なし、2回目は該当と診断され、一時的に障がい者手帳を発行してもらいました。復職後は必要なくなったので、手放しました。必要な時に申請すればいいものだと思いました。結局、本当に発達障害だったのかはグレーゾーンで、普通に仕事ができれいれば問題ないことに気が付きました。HPSかどうかも気にしないことにしました。復職のためのリワーク施設に通った経験含めて、後に担当する安全衛生の仕事に活かすことができました

・16年間続けた会社員の仕事は、主に給与計算、社会保険、安全衛生を担当していました。ちゃんと仕事を突き詰めてやりたいほうで、給与計算では期日までに正確、迅速に作業するためExcelを本やセミナーで学習、社内で噂のExcel職人となりました。社会保険では「社会保険労務士」試験に挑戦。安全衛生では、自分がメンタルで休職して復職して成功している体験から、この仕事は天命と考え、「ハラスメント」「心理的安全性」など、身体だけでなく心の健康の重要性を訴える安全衛生委員会を運営。英語ができたので、外国人研修生への各種レクチャーも実施。各種ノウハウをエクセルにまとめてマニュアルを作成、同僚にシェアして組織全体のレベルアップを実践していました。地味な仕事が多く、大きく評価されたことはありませんが、会社を辞める時には上司、同僚から信頼されるようになっていてよかったと感じています

・会社員時代の片道の通勤時間は、30歳で寮を出てから約2時間の長丁場だったので、よく本やオーディオブックで学んでいました。10年続けましたが、さすがにつらく、会社の近くに住む恋人がほしいと思っていたら、今の主人が会社から歩いて15分のところに住んでおり、度々お泊りさせていただき、最終的に夢がかないました

・仕事や人生に悩み、自己啓発セミナーには200回以上参加している。1番役にたったセミナーは、「楽読」。地元の気功の先生のアカシックレコードセッションを受けたり、産土神社を調べてもらって、神社参拝にハマったり、スピリチュアルな本が精神安定剤だったため、愛読書は「ニューアース」「黎明」など、「悟りを開いた人」「目覚めた人」にあこがれていました。今は現実的なこと、スピリチュアルな知識の両方をバランスよく使うことが大切と考えており、Youtubeで「ひろゆき」さん「成田雄輔」さんの話を聞いて、人があまり考えない視点や考え方を参考にさせてもらっています。

・20代に、7年間付き合っていた男性と別れ、新しい恋人を求めて、女子力アップセミナーに参加し、ヒルズクラブブランチという名の合コンに参加、婚活かねて、異業種交流会に50回以上参加し、人見知りを克服し、人との付き合い方、距離の取り方を学びました

・30代は心の修行が必要だと考え、裏千家茶道教室に入門、一悟術ヒーリング、それに付随する覚醒塾参加、断食道場コース参加集中内観コース参加宿坊めぐりなどが大好きな、「修行オタク」になっていました。そして少しづつ凝り固まった自分の心の殻を剥いでいくことができました

・婚活をしていなかったにもかかわらず、若いときに作ったご縁を使って40歳で結婚。アラフォーの婚活実績としては快挙、だと思い込んでいます

・40歳でアメリカに移住、というだけで、他の人の人生と一線を画すステイタスを手に入れたため、アメリカ生活のキラキラな表面上の部分をインスタグラムに投稿し始め、詳細でせきららな部分?をnoteに書くことにしました

・8年前に「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想合宿」に初めて参加し、自分の心を変え、人生をよりよくするには瞑想しかねぇ!と思い込み、京都の瞑想センターで2ヶ月に及ぶ長期のボランティア、オーストラリアで長期コースである20日間コースにも参加し、そこそこのベテラン瞑想者になった。仕事をやめ、アメリカで専業主婦をしている今でも毎日の瞑想を続けている。国を動かすほどの宗教ではないと思うが、宗教を勉強し始めてみると、これもまた宗教の一つだなぁと思うところがあり、他人への開示タイミングは気を付けるようにしています

人生全体のテーマにかかわるもの

・運命は一つではない。自分の手で切り開くものだ
・逆境でもがき続けて、どうしてもうまくいかない場合は、流れに身を任せ、自分をより良い方向に連れてってくれると信じよ
・目に映るものも、そうでないものも、すべてのことはメッセージ
・私は無知だから学び続ける。一つ世界を知るごとに、一つ世界が簡単になる
・何でもないものに意味や価値をつける
・すべては移り変わっており、今ある感情も過ぎ去っていく。極力いま、ここ、にいることが一番大切。より良い人生を選択するため、ヴィパッサナー瞑想を毎日朝晩2時間実施し、死ぬまで続ける

2019年に亡くなった、20歳で大往生したペットの猫ちゃん。今でも大好き。凛とした猫ちゃんの表情と、後ろの母の顔のギャップが面白すぎる歴代No.1のペット写真

以上


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