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猿人まとめ

ムンディ先生のYouTubeで世界史の勉強中。今回はこちらの記事↓の補足として猿人をまとめてます。

※このページには、人間の執筆とAI生成の要素が含まれています


オロリン・トゥゲネンシス

オロリン・トゥゲネンシスは約600万年前のケニアに生息していたオロリン属の猿人の種名で、現代の人類に直接つながるヒト亜科の祖先であると考えられている。オロリン属に分類される唯一の種で、学名はケニアのトゥゲンヒルズで化石が発見された研究者らによってつけられた。

オロリン・トゥゲネンシスはサヘラントロプス・チャデンシスに次いで2番目に古い化石で、二足歩行をしていた証拠の残る最も古い化石のひとつである。現地語の「オロリン」は「最初の人」を意味し、類人猿と分かれた後の初期の人類の祖先とする説があります。


サヘラントロプス

サヘラントロプス・チャデンシスは、中部アフリカのチャドで2001年に発見された化石人類である。約700万年前に生息していたとされ、類人猿と分かれた最初期の人類の祖先とする説がある。

サヘラントロプス・チャデンシスは発見地に因んで名づけられ、現地語で「生命の希望」という意味の「トゥーマイ」という愛称でも親しまれている。

サヘラントロプス・チャデンシスは犬歯の縮小などから人類の一員と判断できるが、直立二足歩行をしていたかどうかは決定的な証拠がないと言われている。しかし太腿と前腕の化石の分析によって、700万年前に二足歩行していたことが明らかになっている。


オロリン

オロリンはケニアに生息していた化石人類の属で、1種のオロリン・トゥゲネンシスのみが属している。

オロリンは現地語で「最初の人」を意味し、約600万年前に生息していた霊長類である。2000年にケニアで化石が発見され、二足歩行をしていた可能性があり、類人猿と分かれた後の初期の人類の祖先とする説がある。

オロリン・トゥゲネンシスはサヘラントロプス・チャデンシスに次ぎ2番目に古い、現代の人類に直接繋がるヒト亜科の祖先であると考えられている。化石が発見された地層の火山性凝灰岩は610万から580万年前の中新世のものであることが分かっており、これは二足歩行をしていた証拠の残る最も古い化石のひとつである。


アルディピテクス

アルディピテクスは、約580万~440万年前にエチオピアに生息していた原始的な人類(猿人)の一種である。アルディピテクス属はアルディピテクス・ラミドゥスとアルディピテクス・カダッバの2種で構成されている。

アルディピテクスは、長らく最古の人類とされてきたアウストラロピテクス属より古い時代の化石人類である。1992年にエチオピアのアファール盆地で化石が発見され、1995年5月に新しい属として記載された。

アルディピテクスは体に比して手が大きく、現代人女性と大差ない。手の指が長いのは類人猿と同じだが、類人猿と違って手のひらが短い。ナックル歩行をしていたと見なせる痕跡は見出せず、手で体重を支えるときには手のひらをつくようにしていたと考えられている。


アルディピテクス・ラミドゥス

アルディピテクス・ラミドゥスは約440万年前に生息していたアルディピテクス属の猿人の種名で、1992年にエチオピアのアファール盆地で化石が発見された。

「ラミドゥス」は根を意味する現地語に由来し、「系統の始祖」といった意である。現地のアファール民族の言葉でラミドは「ルーツ」、アルディは「地面」もしくは「地上」である。アルディピテクス・ラミドゥスとは「地上のサルのルーツ」の意である。

アルディピテクス・ラミドゥスは脳の大きさはチンパンジーなどと同じ300ccほどで、二足歩行をおこなっていたが、平原・森林どちらの生活にも特化していなかった。

アルディピテクス・ラミドゥスの特徴は次のとおり。

  • 土踏まずがない

  • 足の親指が大きく、他の4本と向かい合わせにしてものをつかむことができた

  • 腕の長さは脚の長さに較べ、チンパンジーやゴリラより短く、ヒトよりは長い

アルディピテクス・ラミドゥスはかなり類人猿に近い外見をしているが、化石を分析した研究チームの推測によると垂直に登る、枝からぶら下がる、拳(こぶし)を地面について歩く(ナックルウォーキング)といった、現存する類人猿の特徴を持たなかったという。


アルディピテクス・カダッバ

アルディピテクス・カダッバは約580万~520万年前(中新世末期~鮮新世初期)のエチオピアに生息していた猿人の一種である。

アルディピテクス・カダッバはハイレーシェラシエやホワイトによって1997~2004年にエチオピアで発見された。アルディピテクス・カダッバの形態は時間とともに変化し、別種として区別できるようになり、アルディピテクス・ラミドゥスが生まれたと言われている。


アウストラロピテクス

アウストラロピテクスは霊長目(サル目)ヒト科の絶滅した属であり、化石人類の一群である。

アフリカで生まれた初期の人類で、約400万年前から約200万年前に生存していたとされている。脳容量はゴリラに近く、歯列の形状は人間に近い。また骨盤の状況から、直立歩行をしていたと考えられる。

1924年ベチュアナランド(現ボツワナ共和国)で発見され、化石人類研究の前進をもたらした。


アウストラロピテクス・アナメンシス

アウストラロピテクス・アナメンシスは、アウストラロピテクス属の中で最初期に出現した種とされている猿人である。

2016年、エチオピア北部のアファール地域で発見された化石は、顔がはっきりと分かる状態のものとしては初めてだった。この化石は犬歯やあご、全体の大きさなどから雄の成人とみられ、アナメンシス猿人のものと判断された。

アナメンシス猿人は脳容積はチンパンジーと大差ないが犬歯は退化し、直立二足歩行していた。生息年代はおよそ420万〜390万年前で、主にケニアとエチオピアで出土している。


アウストラロピテクス・バーレルガザリ

アウストラロピテクス・バーレルガザリは、古人類学者のミシェル・ブルネが発見した化石人類の一種である。

アウストラロピテクス・バーレルガザリは、中央アフリカで発見された唯一のアウストラロピテクス属で、地理的な条件から初期の人類の進化の3つ目の入り口の存在を示す初めての化石とされている。


アウストラロピテクス・アファレンシス

アウストラロピテクス・アファレンシスは、人類の直系の先祖と考えられている猿人の化石である。1970年代にエチオピアのアファールとタンザニアのラエトリで発掘され、アウストラロピテクス類の中で最も古い段階に位置づけられている。

ルーシーという愛称で知られるアファール出土の女性骨格はこの種に属す。ルーシーは320万年前の猿人女性の骨格化石につけられた愛称で、人類の祖先として発見された中で最古の化石である。

アウストラロピテクス・アファレンシスは現代の類人猿と比べて犬歯や奥歯は小さかったものの、現代のヒトよりは大きかったとされている。脳のサイズは380~430mlと比較的小さく、顎が前に突き出た原始的な顔をしていた。直立二足歩行をし、草原に進出した人類である。


アウストラロピテクス・アフリカヌス

アウストラロピテクス・アフリカヌスは、200万年~300万年前に生息していた霊長目(サル目)ヒト科の絶滅した属の猿人の一種である。

「アウストラロピテクス」はラテン語で「南」、「ピテクス」はギリシャ語で「人」を意味し、「アフリカ南部の猿」という意味である。1924年に南アフリカのスタークフォンテンで化石が発見され、1925年にR.A.ダートによって命名された。

この化石は長い間化石人類とは認められず、類人猿の一種ではないかと疑われていた。しかし南アフリカの各地でこれによく似た頭蓋化石が発見され、さらにヒト的な特徴を備えた骨盤や足の骨の化石まで発見されるに及んで、アウストラロピテクスが直立二足歩行をすでに達成していたことが明らかとなった。


アウストラロピテクス・ガルヒ

アウストラロピテクス・ガルヒはアウストラロピテクス属に属する化石人類の一種である。年代は約250万年前で、初期ホモ属の祖先種と考えられている。

アウストラロピテクス・ガルヒはいわゆる華奢型猿人の一種で、顎はかなり大きいのが特徴である。頭蓋腔容積(脳容積より10%ほど大きい)は450mlと推定され、アウストラロピテクス・アファレンシスよりもやや大きい。歯は全体として非常に大きく、歯列は前方に突出している。

アウストラロピテクス・ガルヒは石器で捕食者の食べ残した肉を骨から切り離して食べたり、骨髄を食べたりするようになったといわれている。

アウストラロピテクス・ガルヒという名前は、アファール語で「驚き」という意味である。


アウストラロピテクス・セディバ

アウストラロピテクス・セディバ(セディバ猿人)は哺乳類霊長目(サル目)ヒト科の絶滅した種であり、化石人類の一種である。

2008年に南アフリカ共和国のマラバ地方の洞窟で発見された化石で、10代前半の少年と30歳前後の女性のものだった。骨格の分析から、樹上生活していたが直立歩行と道具の使用が可能であったとされている。

アウストラロピテクス・セディバの頭の体積は420cm3でアウストラロピテクス・アフリカヌスより小さく、顔の特徴はヒト属に近い。猿のように下腕が長く、指の骨が湾曲している。指の関節が大きいため筋繊維がしっかりと固着し、樹木によじ登るのに適している。

アウストラロピテクス属は、約200万年前にヒト属に進化したと考えられている。アウストラロピテクス・セディバはアウストラロピテクス属とホモ属の形質を併せ持っている。


パラントロプス

パラントロプスは東アフリカと南アフリカで発見された化石人類の属で、「頑丈型猿人」とも呼ばれる。パラントロプスは200~120万年にかけて生息し、堅い食物を摂取する方向に進化したと考えられている。

パラントロプスはホモ・エレクトゥスと比較し、大柄で力が強かったと言われている。しかし彼らは100万年ほど前に絶滅してしまった。パラントロプス絶滅はホモ・エレクトスとの生存競争に負けたためである、とも言われている。


パラントロプス・エチオピクス

パラントロプス・エチオピクスは、化石人類であるパラントロプス属の一種である。パラントロプス属は旧称で、頑丈型アウストラロピテクスとも呼ばれる。

パラントロプス・エチオピクスは、およそ270万年から230万年前(鮮新世の終盤)に生息していたとされている。エチオピアとケニアで出土しており、エチオピクス(エチオピアの)とも呼ばれる。

パラントロプス・エチオピクスは、乾燥した草原で硬い植物を食べるために歯と顎が巨大に発達していた。頭頂部には側頭筋が付くためのゴリラのような矢状稜があり、脳容積や体の大きさはアウストラロピテクスと本質的に変わらない。

パラントロプス・エチオピクスはヒト属の人類に進化した可能性はないと考えられている。


パラントロプス・ロブストス

パラントロプス・ロブストスは、1938年に南アフリカ共和国で発見された化石人類の一種である。

パラントロプス・ロブストスは頭蓋骨が左右方向に広がって顔面も広くなり、咀嚼力(噛む力)が強くなった。アウストラロピテクスよりも頑強な種で、人類学者のロバート・ブルームは新たにパラントロプス属を設けた。

パラントロプス・ロブストスはオスが身長120cm、体重54kgで、メスは身長1m以下、体重40kgしかなかった。歯は後述するパラントロプス・ボイセイのものと同程度の大きさで、人間のものよりもゴリラに近い奥歯のサイズだった。脳の平均的な大きさは410から530mlしかなく、ゴリラの脳の大きさとそれほど違わない。

パラントロプス・ロブストスは開けた平地やサバンナに出てくるまで、ナッツや塊根のような固い食物を食べていたと推測されている。


パラントロプス・ボイセイ

パラントロプス・ボイセイは、前期更新世に生息していた頑丈型猿人の一種である。アウストラロピテクス・ボイセイやボイセイ猿人とも呼ばれる。

ケニアの東トルカナで発見され、下あごが発達している。230万年前から130万年前にかけて東アフリカに生息しており、頑丈型猿人の中でも最も極端な種とされている。顎と歯だけでなく、顔面部と頭蓋骨全体が極端な構造設計へと変化している。

乾燥した草原で硬い植物を食べるために歯と顎が巨大に発達しており、頭頂部には側頭筋が付くためのゴリラのような矢状稜がある。脳容積や体の大きさはアウストラロピテクスと本質的に変わらない。


ケニアントロプス

ケニアントロプス・プラティオプスは、鮮新世の350万年前から320万年前ごろに生きた化石人類の一種である。1998〜99年にナイロビ博物館のM. リーキーによってケニアのトゥルカナ湖西岸地域で発見された。

顔が平らで、「顔の平らなケニア人」と名付けられた。リーキーはプラティオプスの顔面の特徴は、他の猿人とは異なりホモ・ルドルフェンシスと似ているので、他の猿人とは独立してヒト属に続く系統であると主張している。

ケニアントロプスは臼歯がきわめて小さく、生き物の歯の大きさと顔の形のは食べ物の咀嚼の仕方と関連している。したがってケニアントロプスとアウストラロピテクスの違いからは、両者が異なる食べ物を食べ、食べ物をめぐって争うことなく共存していたことが推測できる。


おわりに

猿人だけで大量になったので、原人以下は別の記事で書こうと思います。私の知識はアウストラロピテクスで止まってるので、こんなにたくさんいるとは驚きでした。

−おわり−


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