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【映画エッセイ小説】心に寄りそう映画館 ~夢のミニシアターへようこそ~

――小さな映画館、「アルケミイ・シネマ」へようこそ。ここはその名のとおり、都会の中の小さなオアシス。映画マニアの私こと光田影一郎(こうだえいいちろう)が、ひとりで経営しているマイクロミニシアターです。

今はデジタル化のおかげで、スクリーンと、プロジェクターと、スピーカーがあれば、まるでカフェを開業するように映画館を開業できる時代になりました。

映画館で『ジョーズ』や『スターウォーズ』を観て、すっかり映画のとりこになった子供のころの私は、大きくなったら映画館をやるんだ! なんて言っていたものです。しかし、大人になった私は、長い会社勤めの後、思い切って脱サラしてその夢を実現することにしました。

この街から映画館が消えて、どのくらい経つでしょう。都心に近いターミナル駅があるわりには比較的閑静なところが気に入って引っ越してきたのですが、映画館がなくなったことだけが残念でした。私はなくなったシネコンの代わりに、ここに小さな映画館を復活させようと思ったのです。

でも、どうせやるならひと味違った映画館にしたい。ただ映画を上映するだけではなく、映画が終わった後に、お客さんと映画について、また映画以外のいろんなことについて心ゆくまで話し合ってみたい。そんな思いも持っています。

映画は不可能を可能にし、楽しい夢を見させてくれるひとときの魔法です。
さて、今日はどんなお客さんがやってくるでしょうか。

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その映画館は、駅のエスカレーターを降りて少し歩いた先の、路地をちょっと入ったところにあった。白い壁のビルの2階、1スクリーンだけの小劇場だ。

平日の仕事帰り、お酒を飲まない私は、残業せずに帰れる夜はひとりで映画館へ行くのが何よりの楽しみだ。若い女性がひとりで映画館へ行くなんて淋しくない? なんて会社仲間から言われることもあるけれど、そんなことはない。そもそも映画はひとりでじっくり楽しむものだ。と、私は思っている。

しかし、最近の私は少しお疲れ気味だ。IT企業のチームリーダーとして、上司と部下の板挟みになりながら残業や出張をこなす毎日。今は独身だからまだいいようなものの、これで結婚したり子供ができたりしたら、いったいどうなってしまうのだろう――。というか第一、結婚できるのか?――

――こんな考えたくもないことを忘れるためには、映画館へ行くのがいちばんだ。今日は、今まで来たことのなかった映画館にやってきた。映画よりもお初の映画館に行ってみることが目的だったので、上映作品についてはタイトル以外ほとんどチェックしていない。

階段を上がると、開け放されたドアのすぐ横にチケット売り場のカウンターがあって、劇場スタッフがひとり立っていた。シャツにチノパンというラフな格好をした50がらみの男性。服装はラフでもどこか紳士然とした雰囲気が漂っていて、なんとなく安心感を覚えた。

チケットを買い、劇場内で上映を待つ――はずが、チケットを受け取ったとたん、私の顔からサーッと血の気が引いて視界が真っ白になり、その場にしゃがみこんでしまった。しまった、貧血だ。生理に疲れが重なったから――。

気がついたら私は待合室の小さな白い長椅子に座っていて、横にはあの劇場スタッフの男性がいた。「大丈夫ですか?」と声をかけながらも、体が私に近づきすぎないように気づかってくれているのが伝わってきた。

「すみません、大丈夫です。ちょっと貧血になったみたいで」。少しずつ顔に血の気が戻ってくるのを感じながら、かぼそい声で私は言った。

「おさまるまで座ってていいですよ。どこかで横にならなくても大丈夫ですか?」男性は、心配そうにそう言ってくれた。

「ここで大丈夫です。だいぶ回復してきたので、映画を観ているうちに治りそうです」

映画の上映開始までにはまだ10分ほど時間がある。劇場内の座席のほうが、背をあずけてゆっくり休めそうだ。映画は体の休養にもなる。

「そうですか。どうか無理をなさらず。お帰りになるのなら、チケットは特別に払い戻ししますよ」

そういえば、この男性以外にスタッフは見当たらない。この男性がここの主なのだろうか。などと思いながら、私は思わずこう聞いていた。

「あの、今日の映画はどんな映画なんですか?」

面白くなさそうな映画だったら観ずに帰ろうかな、という打算が働いたかもしれない。言ってしまってからちょっと恥ずかしくなった。

ところが館主らしき男性は、私の言葉に嫌な顔をするどころか、ぱあっと顔を輝かせた。

「今日の映画は、古い映画のリバイバル上映ですが、実は私の大のお気に入りなんです。ビル・フォーサイス監督の『ローカル・ヒーロー 夢に生きた男』。イギリスの田舎町へ土地買収の交渉に行った都会のエリートサラリーマンが、その土地にすっかり魅せられてしまうという話なんです」

その嬉しそうな口ぶりに、同じく映画好きの私もなんだか嬉しくなってきた。

「仕事で疲れたときにご覧になるのには、ぴったりの映画だと思いますよ」と、さらに館主さんが勧める。あれ、これも打算かな? と考えてちょっと笑ってしまった。

私の微笑を見た館主さんが言った。「だいぶ元気になられたようですね。では、もうすぐ上映が始まりますので、劇場内へどうぞ」

どうやら、今夜はお客は私ひとりしかいないようだ。貸し切りなんてめったにないことなので嬉しくなる。私は40席ほどの小さな劇場内に入って、ふかふかの高い背もたれにひとり身を預けた。

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「映画はどうでしたか?」
映画が終わると、館主さんがまた声をかけてきた。

「当館では、一日の上映終了後に、お客さんと映画の話をする時間を設けているんです。よければ飲み物でも飲みながら、映画の感想など少し語り合いませんか?」

そういえば、ホームページにそのようなことが書いてあった。明日は休みだし、独り身の私は特に急ぐ必要もないので、館主さんの言葉に応じることにした。彼は私をロビーの片隅にある小さなドリンクカウンターに案内した。

館主はさっとカウンターの後ろに回って言った。「飲み物は何になさいますか?」今度はバーテンダーに早変わりだ。それから、あわてたようにこう付け加えた。「ここはバーのように見えて、実はアルコールは置いていないのですけれど」。

私はカウンターのスツールに腰かけながら、ホットコーヒーを注文した。すると劇場主さんは、サイホンでコポコポとコーヒーを淹れ始めた。

手際よく淹れたコーヒーを私の前に置くと、彼は言った。
「では、改めまして。私は当館の劇場主の光田影一郎と申します」
「私は小沢安芸(おざわあき)といいます。どうぞよろしくお願いします」

「まずは、今見た映画の感想をうかがってもいいですか?」
光田さんの言葉に、私はちょっと考えてからこう答えた。
「主人公のサラリーマンが会社命令で地上げに行って、反対運動にでも合うのかと思ったら、お金が入るから現地の人たちも土地買収に大賛成だなんて、なんだか拍子抜けして笑ってしまいました」

すると光田さんも笑顔になって、
「"景色では食えないよな"なんて言って。でもひとりだけ、土地を売りたくないという頑固なおじいさんがいたりしてね」

「あ、あのおじいさんの、『砂浜を買うというけど砂粒の数を数えられるのか?」っていうセリフが心に残りました。なんでもお金で買えると思うのって、本当はおかしいですよね」

お互い無類の映画好きだけあって、会ったばかりなのに話が弾む。光田さんの優しく包み込むような人柄と柔らかい笑顔のせいもあるかもしれない。先ほどの私の言葉に応えて、光田さんが言った。

「この映画は1983年のイギリス映画ですけど、今よく言われているSDGsを先取りしたようなところがありますよね。大企業が風光明媚な田舎に石油コンビナートを作ろうとするけど、その企業の社員も社長も、それよりもっといいものがあることに気づくなんて」

映画の中に出てきたスコットランドの美しい風景を思い出しながら、私も応じた。

「海と星空――そして、そこでいろんな仕事をしながら暮らしている人々――この映画を観ているうちに、ここには私の欲しいものすべてがあるんじゃないか、私もここでこんな暮らしがしてみたいなあと思えてきました」

「まあ、映画は一種のファンタジーですからね。現実の田舎暮らしはもっといろいろ大変なこともあるでしょうけど。主人公のマッキンタイアも結局はあっさり都会に帰ってしまいますし」。ちょっと皮肉っぽい笑顔を浮かべながら、光田さんは話を続けた。

「環境問題をとりあげた作品はたくさんありますが、シリアスな問題提起が多いですよね。真面目に考えることももちろん大切なんですが、環境問題を極上のコメディドラマに仕上げたのはさすがビル・フォーサイス監督というか、へたなシリアス作品よりも一枚も二枚も上手だと思いますね」

優しい顔立ちに似合わないくらい熱く語る光田さんの顔を見ながら、私は、ぜひ聞いてみたいことがあるのに気がついた。

「そうだ、この映画の終わり方って、ちょっとよくわからないですよね。あのラストシーンはどういうことだったんだろう。ハッピーエンドと解釈してよかったのでしょうか?」

「ああ、あれね。主人公のマッキンタイアは、あの素敵な田舎のことは忘れて、裕福だが多忙な都会の暮らしに戻ってしまうのか、それとも――? ということを匂わせていたような。観た人それぞれの解釈でいいんじゃないかな」

光田さんの言葉に、私はちょっと考えこんだ。そして、こう言った。
「私はやっぱり、主人公はまたあの田舎町に戻ってきて、いつかあの土地に永住するんじゃないかなと思います」

すると光田さんはまるで昔を思い出すような顔つきになって、ふと視線をそらすと感慨深そうにこう言った。
「私もそうだといいなあと思っています。そうだ、エンドロールで、エンディング曲の曲名をチェックされましたか? "ゴーイング・ホーム"というのですよ。演奏しているのは、マーク・ノップラーというアーティストで、イギリスでは今もスタンダードな名曲です。それに、この映画の舞台になったスコットランドのあの美しい田舎町には、今も訪れる人が絶えないそうですよ」

光田さんの語りに負けまいと私も言った。
「へえ、日本ではあまり知られていない映画なのに、イギリスではそうなんですね……。あの曲は印象に残りますよね! しかもゴーイング・ホームだなんて、都会の自宅に帰るという意味なのか、いつか心の故郷に帰るという意味なのか、これも意味深ですねえ。いずれにせよ、主人公が理想の土地を離れて、ヘリコプターで都会に帰っていくシーンは、見ていてちょっと切なくなりました」

私もちょっと視線を外して、頭の中で、今の自分の忙しい環境を映画の主人公と重ね合わせた。私もちょっと遠くへ旅にでも出かけたほうがいいのかもしれない。そして探してみようか――自分の理想の生活を。

もの思いにふけっていると、光田さんが言った。

「ああ、今日はすっかりお引き止めしてしまいましたね。これからもいろんな映画を上映していきますので、ぜひまたいらしてくださいね」

「はい、今日は自分の気持ちにぴったりの映画が観られてうれしかったです。ぜひまた来させていただきます」

「映画はいつだって観る人の心に寄り添ってくれるものですから。ではまた、ぜひよろしくお願いいたします」

丁寧にお辞儀をする光田さんに見送られながら、私は映画館を後にした。近いうちに長めの休みをとってどこかへ旅に出よう。そのほうが、長く仕事をがんばれると思うから。

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今日も街の片隅で、「アルケミイ・シネマ」はひっそりと営業しています。平日はお客さん少なめですが、週末には満席になることもあるんですよ。そろそろ週末予約制を取り入れようかと思っています。

自宅でいくらでも映画が観られる時代になりましたが、それでもみんな、映画館で映画を観たいんですよね。映画館は、日常を忘れられる空間だから。

そして、上映後には映画好き同士でぜひ語り合いましょう。映画の話だけでなく、雑談やお悩み相談も大歓迎です。映画を人生の教科書にしながら、みなさんと語り合える日々をこれからも楽しみにしています。

*この物語は、フィクションです(映画『ローカル・ヒーロー 夢に生きた男』はAmazon Primeで現在配信中です)*

第2話はこちら
【映画エッセイ小説】~夢のミニシアターへようこそ~ 第2話 旅する女|ぴむ (note.com)

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