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しっかりと時計を買う話(上)

 ここ2か月あたりか、「腕時計」のことを考えることが多くなった。
ふだん愛用している時計はある。ドイツ製のミリタリーウォッチ。かれこれ4年ほど毎日使っていて、ずっと気に入っている。クォーツ、いわゆる電池式だ。
ところが機械式に惹かれはじめてからは、もうどうにも止まらなくなった。踏み入れるとそこは知らない世界。ここまで大人になってからそんな体験を得る機会はなかなかなく、知的好奇心とか勉強欲とか、その伸びようは雨後の筍のごとし。
それからは雑誌を読みあさったり、ネット記事や動画を見たりする日々が続いた。何かしらを購入することは決定していた。

 大好きなYouTubeチャンネルに「毎週キングコング」がある。それの「下町ロレックス」がいっとう好きで、超大作なのに何度見ても笑う。何度か見ていたら、娯楽にとどまらず、とても良い勉強にもなっていたようだ。

 調べるほどに機械式時計は高価なことがよく分かる。もちろんお求めやすいものもあるけれど、機械式の良さたらしめているのは、「価値がある(=ある程度高価)」ことなのだと思った。思っちゃったのだから仕方がない。このあたり、中田あっちゃんのYouTube動画が印象に残っている。
極端に宝飾に彩られていて高額なものは趣味でないし、そもそも手が出ようもないからはなから除外。そのうえで、買うからにはそれなりにしっかりと奮発しよう、と気持ちを強く持った。1桁とかそれに近いくらいのものではなく、もっとしっかりと。
そして、そうそう滅多なことでは買えないものだからこそ、妥協せず、これ、と決めたモデルを射止めるまで気長に、熱心に追いかけよう、と。

 他のYouTube動画やブログなどを見ていると、どうやら時計を買う文脈で「マラソン」という言葉があるらしい。いわく、問い合わせ等で在庫確認ができないことになっているから、足繫く通ったり数店舗を回ったりすることを指す。
意中のものに対して時間も気力も体力も使うもので、行為としては尊いものなのに、なんだかそうやってカジュアルなありものの言葉をあてがって乱発することが、ちょっと下品だな、と思った。「三顧の礼」も、今の時代なら「諸葛亮マラソン」みたいなタイトルになってしまうのだろうなぁ。

 とはいえ、欲しい、手にしてやる、と思った以上、何度も通わなければならないことは覚悟した。
仕事の都合上、人の多い週末くらいしか行くことはできない。不利かも、と少々不安。
そしてなんとなく、ここから半年くらいの週末はあの街にいる自分なのだ、とイメージも。大げさかもしれないが、生活が変わるな、とちょっと緊張。この時点でこんなにも動じているようで大丈夫なのかな自分、と呆れ半分苦笑い。

 格調高い店内、そして接客だということは聞いていた。朝の服選びにもいつもより時間をかけている自分がいた。購入する時計は、平日(仕事日)ではなく、休日に着用したいと考えている。だから、「きちんとした服でいこう!」よりも、「今の気分の自分らしく」に重きを置いた。

 電車に乗って街へ。店に着く。聞いていたとおり、そのまま入店、とはならなかった。「ただいま20組待ちでして……」と整理番号をいただく。目安の時間としては1時間半後。「……入るだけでもこんなに大変なのか」と静かに驚いた。一つひとつが初めてのことでとてもおもしろい。

 なじみの店でカレーを食べ、隣のパン屋を覗くと、今食べたカレーとコラボしたパンが並んでいた。すわ、と思い、とにかく大好きなカレーなので、食べたばかりではあるが迷わず選んだ。これで夜も、それも自宅で食べられる。他にも選んで合計パンが3つ入った袋を振り振り、店へ戻る。「入店していただけます」のメールが届いたのだ。(続きます)

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