「未来が過去をつくる」

 一か月以上更新しなかったnote。
べつだん何があったわけでもない。ただ、書かない時期の長さと次へのモチベーションが反比例するようなことは往々にしてよくあること。
いうなれば8月中旬以降は、「夏休みの終わり」の足音にびくびく絶望して忙しかった。
2学期はじまってからは読んで字のごとく心を亡くすほどに忙しかった。本当に、大変な仕事だ。続けられんのかいね、あと30年とか。

 書かない期間があけばあくほど、「何書こう」と悩む。
たぶん、今日はそうやって悩んでいるうちに妙に文字ばかり埋まっていて、エイヤーと終わる。

 世は三連休である。2度目の三連休もまた、天気に気分を邪魔されている。まったくもってひどい。
先週の三連休こそ、台風14号がもろに通ることが言われていたから、万端準備整えて部屋に籠城をキメこんだ。ら、それはもう全然たいしたことのない台風だった。
もちろんいいことなのだが、近場なら近場で楽しめたのにそれさえも享受できないまま、ちょっともったいない休みになった。体はたぶん、休まったのだろうけど。

 そして今回の台風、15号。これは、とあるラジオによると「ぎりぎり『台風』と呼んでもらえるようなレベルの、弱い台風」。
とはいえ昨夜遅くから微妙に嫌な気分になる強さの雨が降っていて、ちょっと繰り出そうと思っていた街へ、の予定はキャンセルした。
夜のうちに洗濯してベランダに干しておこうと思ったものは、その雨で部屋干しせざるを得ず、ゆえに朝起きてもまだ乾ききっていないのも嫌な感じ。
「うまくいかんことの連続ですよね、生きてると」と昨日職場で話していたことはまさに真理なのだ。どっこい生きるしかない。

 そういえば、以前SNSで見た、どこかのお寺の掲示板の言葉が良くて、最近ことあるごとに思い出す。「未来が過去をつくる」みたいな言葉。よくある「過去が、今が、未来をつくる」ではなくて。
調べてみればこの考え方の出どころは様々あるようだけど、とにかく新しい、そして素敵な考え方だと思う。
たとえば今日でいえば、先述したように、雨でこじんまりした休日の過ごし方を余儀なくされたわけだが、夕方現在、まぁでもよかったか、と思えている。

 今日は昼過ぎ、一瞬雨が上がったタイミングで家を出た。近所の大型ショッピングモールへ。
ランチに入った久々のラーメン屋では、チャーハンが新メニューになっていたので併せて注文した。とても美味しかった。チャーハンはめっぽう好きで、「しっとり」も大事な要素だというのが最近の実感。
そして、パンツの裾上げを2本持って行った。もともとロールアップして履くことにしていたから履けてはいたが、やはり3折りも4折りもして履くのは少々格好悪かったのだ。
モール内にオープンしていた新店舗の一角に、古本を並べているブースがあった。角幡雄介さんの本が良い状態良い価格であったのですぐにピック。僥倖。もうすぐ出るという文庫『極夜行前』も超楽しみ。

で、今、即日で仕上げてくれるという裾上げ完成待ち合わせ時刻まで時間をつぶすためにカフェに入ることによって、noteを再開できたのだ。
あのときここまで視えていたわけではないが、これで十分、「雨に降られた過去」は、「雨が降ってくれたおかげでこれだけ満たされた未来」になったのだ。
今回はものすごくスケールの小さな具体だが、でも、「未来が過去をつくる」は、今後きっと様々な局面で物事の捉え方を変えてくれるものと信じられる。
そこで立ち止まって悲観するのではなく、「む、ならばここからどうしよう」と思考転換。

 裾との待ち合わせまであと40分ほど。角幡本、と思ったけれど、土井善晴さんの本がまだ残っている。読書に追われているのは幸せなのだと思う。

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