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もし、「難しかったです」と言われたら

ヨガやピラティスその他、ボディワークを教えている人向けに書いています。でも、もし君が何かを誰かに教える機会がある人であれば、きっと共感してくれる内容です。ある人にとっては、自分の子供かもしれません。部下や後輩かもしれません。君がそれなりの年齢や立場であれば、何がしら何かを教えるという場面があると思います。

でも、一応、ヨガやピラティスのインストラクターにこれからなる(なったばかり)という人向けに書いていきます。

レッスン後に

もし君がレッスン後、初めて参加してくれた人に「難しかったです」と言われたら、どう答えますか?いえ、その前にどういう気持ちになりますか?

君はきっと初めての参加者が抱えている不安な気持ちを察していただろうし、あるいはワクワクしている気持ち、楽しみにしている期待だったり、参加者の感情を感じ取ってレッスンに臨んだはずです。そんな君の一所懸命、「その人に役立ちたい」とか「期待に応えたい」「喜んでもらいたい」と思っておこなったレッスンに対しての感想が「難しかったです」だったら、どういう気持ちになりますか?

過去に「難しかったです」と言われたことがある人は、その時の気持ちを思い返してみてください。まだそういった経験がないという人も、想像してみてください。

過去の私の場合

思い返してみて、あるいは想像してみてどうでしたか?ある人は悲しい気持ちになったかもしれません。自信を失くした人もいるでしょう。悔しい感情が湧き上がって、もっと頑張ろうと思った人もいるでしょう。

人それぞれ、色々だと思います。でも「難しかったです」と言われて、嬉しいと思った人はいないのではないでしょうか。

以前の私の場合は、怒っていました。自分自身に、その状況に。

私はさまざまなことを勉強し、訓練を続けてきました。エリクソン催眠の本を読んだり、街のカフェで目の前の人がいつ息を吸って、いつ息を吐いているのか、何時間も観察を続けたり。国家資格者に混じって、徒手治療の勉強をしに行ったり。海外まで人体解剖に行ったり、できる限りの精一杯の努力を続けてきたのに。それは、目の前の人のその期待に応えたかったからなのに。

「ああ、自分はなんて不甲斐ないのだろう」「なんて現実は残酷なのだろう」と落ち込み、腹を立てていました。レッスン終わりに、涙が溢れて、過呼吸気味になったことも何度かありました。「大げさだ」と笑う人もいましたが、自分にとってはそれだけ切実な問題でした。きっと君なら、そんな想いを共感してくれるはずです。チャラチャラしたファッションヨガやピラティス、リア充の世界の住人にはわからないかもしれません。もっと治療的なことに興味があったり、人の深いところにある傷や癒しと向き合ったり、本当に自分を(相手を)より良くしたい、強くなりたいと思う君ならわかってくれるはずです。

「難しかったです」は、一所懸命より良い先生になろうと努力している君には結構、堪える感想だろうと思うのです。

ある日、私が気づいたこと

でも、あるきっかけで私は「難しかったです」が堪える感想ではなくなりました。想像力や観察力が、自分には欠如していたのだとある日、気づいたのです。

例えば、歯医者で歯の治療をしてもらって、「難しかったです」という人がいるでしょうか。考えてみてください。もちろん、そんな人はいません。

歯科では、私たちは口をあけたまま無防備な状態で背もたれにもたれているのです。歯医者さんにお任せしている受動的な状態です。歯磨きの指導をされて、「難しかったです」はあり得るでしょう。でも、歯の治療では難しいと感じることはありません。私たちは歯医者さんに対して「この人は上手だな」とか「下手だな」とか、何がしら感想を持つのです。

受け身の世界では、「難しかったです」は存在しないのです。

「難しかったです」はその人の小さな一歩

「難しい」と感想を言った目の前の人は、自分からヨガやピラティスに取り組んだのです。自ら、身体と向き合ったのです。能動的なエネルギーの発露によって、結果的に「難しかったです」という言葉がその人から湧き出たことに、ある日、私は気づきました。

もちろん、「もっと自分が上手に伝える方法はないだろうか」と努力を続ける必要はあるでしょう。でも、依存的(受動的)な状態から少し自立的(能動的)な方向性にエネルギーが進んだ可能性に目を向けることも大切ではないでしょうか。さまざまな可能性もあり、また物語の過程でしかないのかもしれません。

腹を立てたり、悲しくなったり、落ち込んだりするものではない。落ち着いて、その人の発した言葉を受け取れるように私はこの仕事を続ける中で変化していきました。

最後に

レッスンをし始めたころは、参加者のポジティブな感想が報酬(やりがい、喜び)だったりします。あまりそれは良いことではないのですが(じつは)、最初の頃は誰でもそうだと思います。君にまず気をつけて欲しいことは、「難しかったです」にしろ、他の感想にしろ、(ネガティブに感じる感想に対して)反射的には傷ついて欲しくはないということです。

私のように10年かかってしまうかもしれませんが、「あ、こういうことか」という何か見落としていた発見が時間の経過とともに、きっと現れるだろうと思います。「難しい」について考てみれば、そもそも冷静になってみたら、なんでも初めてのことは難しい訳です。そりゃそうだろう、と特に意味はなかったりすることだったりもします。

目の前の誰かにも、君は君自身にもどうか優しい気持ちで。

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